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『衝撃!!簡単に財産がふえる方法』

こんな簡単な方法があっていいのだろうか!!
わたしは、この方法を発見してしまった時、手の震えからミニカーをうまく走らせる事ができず置いてあったおばあちゃんの入れ歯に追突させてしまった。
あり得ないぐらい簡単な方法なのだ。実行に移さない手はない。
なんといっても道徳的基盤を保持しつつ、人の幸せが自然に流れるような形で簡単に財産が増えるのだから。

ただ少しの行動で。

正義の為に真実を言おう。何も労を発生させず大切な物を手に入れられるとかいう謳い文句のセミナーや講義等は疑いを持った方がいい。
かといって、「それができれば普通に労働をした方が人生効率がいい」とも思えるような複雑でハードルの高いよくある方法論はナンセンスとは思わないだろうか。

この必勝法は一線を画している。
方法論ではない。必勝法なのだ。


しかし、少しだけ、ほんの少しだけ、
行動を起こす必要がある。
ただ少しの行動で、電気が走ったような衝撃を受ける事になるはずだ。

これを青天の霹靂という。
後半の漢字は読めないが、青天の霹靂というのだ。

すべての人が財を生む可能性を孕んでいるので時期がきたら有料にするつもりだが、今はキャンペーン期間中により無料にいたしたい。

以下

---------------[キャンペーン期間中☆無料]---------------

財とはいったい何であろうか。現在と未来の安定や安寧、快楽へ直に直結させやすい媒体である。

人間は常に財を求めている。
その希求性は我々の無意識に常に混在しており本能の軸である三大欲求の中にも散りばめられた状態で存在し続ける。

騎馬民族の移動から大航海時代、西部フロンティア時代と人間は飽くなき欲望の元に大地を開拓し続けた。

詰まるところ、それは人間が必要とする資源発掘に他ならない。
やがて機動は地上から大空へ、地球上での有人飛行から近年は宇宙へと、探求という大義の元に飽くなき挑戦をし続ける。

そこに財を生む資源があるからだ。

財とは何も物々交換仕様の貨幣だけではない。
心の中の光る玉もそれに値する。なぜならば、貨幣を変換しての物質も、心の玉に変換する為の中間媒体でしかないからだ。行き着く先の最終地点のものこそ紛れもなく至上の財なのである。

これを個人レベルに換算する。

もし、空を自由に飛べたのなら財産が自然且つ流れるように増えていく事が予測される。
みなさんは魔女がホウキにまたがり空を飛んでいる絵などを見た事がないだろうか。
わたしはそれを真似てやってみた事がある。しかしながら、飛べるはずもなく、ただお尻の割れ具合が以前よりクッキリハッキリした状態に仕上がるだけの効果しかなかった。

わたしは気付いた。

飛行する為にはそれなりのエネルギーが必要であり、プロペラでもない限り殆どの航空機などは助走を必要としている。
そう、飛ぶ為には助走が必要なのだ。

わたしは、ホウキにまたがり家を飛び出た。
玄関で母が「今度またハローワーク行くふりして公園で遊んでたらお弁当代渡さないからよ!」と言っていたが、根本的な事が間違っている。出かける時の言葉は「いってらっしゃい」である。わたしが今でも愛読している幼稚園の時にもらった『あいさつ』という本にちゃんと書いてある。今でも定期的に読んでないと、時々、ご飯を食べる時に「いってきます」と言ったり初見の人に「ただいま」とか言ってしまう事があるからだ。
今度、母に教えてあげようと思う。

助走は距離が長ければ長い程飛行できる可能性が高くなる。
わたしは、ホウキにまたがったまま走り、公園へ寄っていつも遊んでいる小学生を後ろに3人乗せて歩き出した。
4人乗りだ。
走ると疲れるし、後ろの人が強くホウキを掴み過ぎていると自分の手がすっぽ抜けて股関に“握った形のままの手”を添えながらただ走っている状態になるので歩くのが一番いい。

一本のホウキにまたがったまま、わたしたち4人は、助走という名の旅に出た。
行き先は、わたしが行きたい方向へ舵を取れるので、迷う事なく携帯電話屋さんへ向かった。あそこは、隅っこの四角いクッションで囲われたブースにおもちゃとか置いてるし、意味のわからないプランとかの話を聞くだけでジュースとかをもらえるからだ。カウンターの飴を見つめているともらえる事もある。

みなでクッションのあるブースで遊んでいると、ふとプラレールが目に入った。電車を線路の上で走らすおもちゃである。大好きだが、母は「お前はいったいいくつだから」と買ってくれない。わたしはすかさずプラレールの電車にまたがった。体重で進まないが憧れのものに乗っているという優越感からテンションが上がった。
「プラン変更でお待ちの…」
と店員さんに呼ばれた。
お尻にプラレールが挟まったままカウンターへ向かう。
やはりわけのわからない話を聞かされる時間になったので、わたしは、カウンターの飴を触ったり触らなかったりしていたら、なんと、2個!2個もらえたのだ!1個目もらえた後に、触わったり触らなかったりをまたやったら、もう1つどうぞと言ってきたのだ!同じ事を三回目もやったが、なぜかそれ以降は何も言わなくなった。

しかし、飛ばない。
いっこうに飛ばないのだ。そうだ、ホウキにまたがっていなかったからだ。わたしは、慌てて3人の小学生をまた後ろに乗せて、また、歩き出した。

4人で街を練り歩く。

道中、大学時代の友人に出くわした。
普段、理由はわからないが「公園で小学生と遊んでいる時に同級生を見かけたら隠れなさい」と親に言われているが、ここは公園ではない。
話を聞くと、どうやら仕事で重大なミスを犯してしまい会社を辞める事になってしまったらしい。

結婚も決まりこれからという時にそういう状況になり落ち込んでいるという。
そして、「自分は男として情けない」と言っていた。
男として情けない状況という事は、金玉が取れたかもしくは、外してお中元などにどこかに送ったかどちらかという事になる。
わたしはスーパーボールを差し出した。2個。
接着剤でのつけ方も教えた。「お前は変わってないな」とかつての友人。
礼には及ばない。大学時代、スイッチを入れるとわんわんと鳴くぬいぐるみの鳴き声が講義中に止まらなくなった時に電池を取ってもらって助けられた事がある。
ナンバーズ3で儲けて凌いでとアドバイスし直感で999がくると当たりまで教えた。
彼は確か物理が得意でJAXAに就職するのが夢であった。
またこれを機会に宇宙飛行士に挑戦してもいいのかもしれない。

ふと、思い付いた。
飛行の方法を。
わたしと小学生3人はホウキにまたがったまま、急いでダイソーでロケット花火を大量に購入した。お弁当代とバス賃だったけれど、財産が増えれば母も安心だ。こういう親孝行の仕方もある。
ホウキにまたがったまま公園へ戻る。
そう、ロケットの推進力で押し上げてもらうのだ。


わたしはロケット花火をお尻に差し、小学生に火を点けてもらった。


ヒィーーーン、パァン!!


お尻が火花を吹き出した後、ロケットの先が破裂した。

座薬の100倍程の痛みに涙が出そうになる。
ふと、我に返る。
わたしはいったい何をやっているのだろうか。
こんなもので、空が飛べるはずはないではないか。
少し考えればわかるものである。自分の考えの甘さと稚拙さで恥ずかしさでいっぱいになった。

わたしは考えを改め、再度、限界まで尖らしたお尻を小学生に差し出した。

これならいける。わたしには確信があった。

再度お尻に差したロケット花火に小学生に火を点けてもらう。
6本。


ヒィンヒィンヒヒィンヒィン、パラパラパパァン!!!!!!


すべて同時に導火線に火を点けるのはやはり難しいのだろう。もう、ズボンの中の白いブリーフまで焦げている。
情熱大陸で、あくなき挑戦という言葉を聞いた事がある。
限界を超えてさらに挑戦し続ける事が大事なのだ。
わたしは座って大股を開き、右足を小学生3人、左足を小学生3人に思いっ切り引っ張ってもらい、束ねた20本のロケット花火を尻に押し込んだ。

そこへ通りかかった、昔から知っている近所のおばさんがこちらを見て泣いていた。おそらく、頑張っているその姿に心を打たれたに違いない。心の中では情熱大陸のテーマが流れているのがわかった。
世の中は愛で溢れている。



燃えたパンツとズボンを土に埋め、みなで手を合わせて供養した後、わたしは自宅へ急いで戻った。
考えてみれば、文明が発達した現代で、ホウキ等に乗って飛べるわけがないのだ。
時代における文明の発達を疎かにしていたと気付いたのだ。
母に気付かれないように、掃除機を持ち出し家を出た。
近所のおばさんがわたしの感動行動を母に報告していた場合、またなぜか怒られるからだ。たぶん、自分を差し置いて良いことをしている息子が妬ましいのだろう。

しかし、そこまで母と一緒にいるわけにはいかないのだ。『おかあさんといっしょ』という番組は好きでよく録画してみているが(ソファーの上で跳んだり跳ねたりして視ると楽しい)、それとこれとは別で、実際、お母さんと一緒に公園で遊んでいたら社会人として恥ずかしい。だからわたしは小学生たちと遊んでいるのだ。もう、わたしは赤ちゃんではないのだから。れっきとした、“お茶も飲める”おにいちゃんなのだから。


わたしはホースを装着していない掃除機に乗り込んだ。
またがって座り、足で漕いでゆっくり進んでいるのだ。
公園を通りかかり、小学生たちに手を振る。掃除機の大きさからいって後ろには乗せられない。
静かに敬礼をする。
小学生たちもわたしに向かって敬礼をする。
これから財産を求めて飛行する自分自身が誇り高くなった。

掃除機にまたがり、道を行く。

街をゆく。
商店街をゆく。
駅の前をゆく。
横断歩道をゆく。

しかし、いっこうに飛ばない。
何かエネルギー供給が足りないのか。
わたしは電源コードを引っ張り伸ばし、また進んだ。

進みながらコード仕舞い込みのボタンを押してみる。


ヒュルヒュルヒュル、バシッ!

お尻にコードとプラグがぶつかり痛みが走る。
これは、競馬などでよく見かける馬のお尻を叩くムチではないか。
ここにターボ機能が存在した。


ヒュルヒュルヒュル、バシッ!

漕ぐ足も早くなる。
さっき燃えてしまったのでパンツとズボンを履いていなかったのが功を奏している。直に打たれるムチのターボは強烈で、漕ぐ足の速度を早まらせた。繰り返し続けながら前へ進む。

そう、あくまで助走なのだ。
この段階で挫折してしまっては公園に残してきた同志たちに顔向けできない。
お尻をみると、プラグが当たった部分が青く痣になっている。
この青い痣は飽くなき挑戦し続ける隊員としての勲章である。
さもすれば、誰かにジョンソンアンドジョンソンのベビーパウダーとかポンポンしてもらえる。

しかし、調子が出ない。飛ぶ気配がないのだ。

理由はたぶん、白いブリーフを履いてないからだ。
最近、ショッピングモールのチラシでモデルが履いてるのを見て憧れて以来、それを履いてないと調子が出ないのだ。
やはり、自分らしく、自分の在り方でやっていかないと財産は増えていかないのだ。

各々、求める財産が違うように、各々が自分らしくする事が大事なのだ。財産を増やすとはそういう事である。

わたしは、白ブリーフが好きだ。
白いブリーフを求める旅こそ、財産を得る旅なのである。

白いブリーフこそがわたしの財産を増やす鍵なのだ。

わたしは、それを求め、掃除機を漕ぎ始めた。

先日、西松屋のセールで大量に購入したら全部一才児用だったので西松屋には行かない。
ある場所はわかっている。
大型ショッピングモールだ。
隣り街なので、ここからは遠い。



わたしは、

掃除機にまたがり、

自分らしくある為に、

白いブリーフを求めて、

電車に乗り込んだ。


『どんなときも』
歌:槙原敬之


僕の~背中は自分が~
思う~よ~り正直かい?


誰~かに、聞か~なきゃ
不安になってしまうよ~


旅~立つ僕の為に~
ちか~ったあの夢は
古~ぼけた教室の~
すみにおきざりの~まま


あの泥だらけのスニーカーじゃ
追い越せない~のは~
電車~でも時間でもなく
僕かもしれないけど~

☆(さあ、ここからみんなで歌おう!)☆
(あなたがあなたらしく)
(みんながみんならしく)
☆(幸せになるために)☆


どんなときも~ どんなときも~
僕が僕らしくあるために~
「好きなものは好き」と~
言える気持ち~ 抱きしめてたい~


どんなときも~ どんなときも~
迷い探し続ける日々が~
答えになる~こと 僕は知ってるから~

(電車で読んでるあなたも)


 (会社で読んでるあなたも)


 (学校で読んでるあなたも)


 (おうちで読んでるあなたも)


☆(みんな一緒に歌おう!)☆
せーの、


どんなときも~ どんなときも~
僕が僕らしくあるために~
「好きなものは好き」と~
言える気持ち~ 抱きしめてたい~



どんなときも~ どんなときも~
迷い探し続ける日々が~
答えになる~こと
 

僕は知ってるから~

さあ、ここからだよ。
本当の旅は!!
いくよ!!

さあ、赤いボタンを押して。
一緒に旅に出よう!!
白いブリーフを探しに行く旅を。
フィナーレへ!!!!
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