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キリスト教

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クリスチャントゥデイの編集長が不定期にnote.comを巡ってこれは良いと思ったキリスト教関係の記事をまとめていったものです。
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#イエス・キリスト

放蕩息子のたとえから

放蕩息子のたとえから

イエスのたとえ話シリーズ No.5 放蕩息子

2024年6月30日ルカによる福音書15:11-32

15:11 またこう話された。「ある人に息子がふたりあった。
15:12 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。
15:13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を

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賢さと愚かさ

賢さと愚かさ

イエスのたとえ話シリーズ No.4

岩の上に家を建てた人と砂の上に家を建てた人

2024年6月23日マタイによる福音書7:24-29

7:24 だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
7:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
7:26

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あなたの心に何の種をまくのか

あなたの心に何の種をまくのか

イエスのたとえ話シリーズ No.3 種まきのたとえ

2024年6月16日マタイによる福音書13:1-23

マタイによる福音書
13:23 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

タイトル画像:日没の種まく人 / Vincent Willem van Gogh 世界の

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赦せないことについて

赦せないことについて

イエスのたとえ話シリーズ No.2 仲間を赦さない家来

2024年6月9日マタイによる福音書18:21-35

18:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」
18:22 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。
18:23 このことから、天の御国は、地

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自己顕示とキリストの愛

自己顕示とキリストの愛

2024年5月26日Ⅱコリント5章11節―15節

5:11 こういうわけで、私たちは、主を恐れることを知っているので、人々を説得しようとするのです。私たちのことは、神の御前に明らかです。しかし、あなたがたの良心にも明らかになることが、私の望みです。
5:12 私たちはまたも自分自身をあなたがたに推薦しようとするのではありません。ただ、私たちのことを誇る機会をあなたがたに与えて、心においてではなく

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「信仰とはコミュニティである」美しき気仙沼第一聖書バプテスト教会で賛美歌と信仰を聴く|イベントレポート

「信仰とはコミュニティである」美しき気仙沼第一聖書バプテスト教会で賛美歌と信仰を聴く|イベントレポート

気仙沼市で賛美歌を聴く機会を得られると知り、気仙沼第一聖書バプテスト教会を訪れた。

美しさに満ちる気仙沼第一聖書バプテスト教会で賛美歌と楽しみながら信仰とは何かを知る筆者は無宗教であるが、だからといって見聞を広げなくて良い理由はない。その一心で、今日という機会を得ようと伺っている。気仙沼第一聖書バプテスト教会は、東日本大震災の後に新築された教会である。被災によって全壊した建物を、世界中のクリスチ

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イエスが生きておられるから

イエスが生きておられるから

今年のイースター(復活祭)の頃に私がよく聴いていた曲の一つに、『Because He Lives(主が生きておられるから)』という賛美歌があります。日本語では、『主は今生きておられる』、『み子イエス世人のため』、『私をゆるすために』などの題名で訳されています。

この賛美歌は少しユニークで、イエスの復活を歌っているけれど、2番の歌詞が親子についてのものになっています。ほとんどの日本語訳では省かれて

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「この人を見よ」

「この人を見よ」

クリスチャンにとって、春と言えば、イエス・キリストの受難に思いを寄せながらイースター(復活祭、今年は3月31日)を待ち望む季節です。

受難とは、イエスが裁判と処刑によって、計り知れないほどの苦痛を精神的にも身体的にも味わったことを言います。裁判は短時間のうちに何度も行われており、祭司長や議員たちはイエスが死刑に値するとしましたが、ローマの支配下にある彼らには処刑の権限がなかったため、総督ピラトの

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「わたしの」救い主イエス・キリスト

「わたしの」救い主イエス・キリスト

「イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れる」という言い回しがある。"Accept Jesus Christ as your personal Savior"の直訳だろう。

"personal"を「個人的な」と訳すと個人主義が連想されネガティブな感じ。

「自分にとっての」がより良い感じ。他人事だった救いが自分事になるのだから。

「イエス・キリストを自分にとっての救い主として受け入れる」

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あなたに生きてほしい

あなたに生きてほしい

 今日いきなり本題です。
 キリスト教最大の教えって何か知ってますか?

 答えは十字架ですね!

 ところが、その意味は? というと、
「神の子イエスキリストが、あなたの罪を背負って身代わりに死んだ」
 ってことなんですが、これ、大勢のかたが

 は?

 て反応示されると思います。
 
 事実、わたし自身が

 は?

 という人間でした。
 牧師や宣教師が力説すればするほど、腹たってきたほど

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空気を壊しても神に誠実でありたい

空気を壊しても神に誠実でありたい

僕は個人的には理屈通りに物事が進まないとスッキリしない体質だし、何でもかんでも言語化、明文化されてないと居心地が悪く感じる。空気や世間の言外の圧力はクリスチャンになる前から相当嫌悪していた。キリスト教に出会い、渡米し一言ごとにはっきり定義を共有した言葉で全部表す生活は性に合った。

物理学が好きなのも「物」事の「理」屈を可能な限り正確な言語、数学という言語で表し、実験で仮説という「理屈」通りに物

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関係を持とうとされる神

関係を持とうとされる神

教会に通い始めのまだ求道者であったころ聖書のザアカイの箇所を異なる複数の機会を通して聞いたのを思い出す。最初は何を意味するのか表面的にも分からなかった。イエスと自分の関係が深くなるにつれ分かったのは、つまりあれは関係についての話だったという事。関係以下の関係を脱却した神と人の話。

ザアカイははじめイエスのことを一方的に聞き、一方的に見る。ザアカイは自身を主体としイエスを客体の立場に置く。しかし全

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AIに「この会話を続けたくない」と言われた話

AIに「この会話を続けたくない」と言われた話

AIが今興味があることについて質問してきたので素直に答えたら、会話が続いた。自分の考えていることを整理できるちょうどよい壁打ちになるだろうと思っていたが、話がAI自身のこと、しかも僕の興味についての核心的な内容に及んだ時、AIが突然英語で「この会話を続けたくない」と言い出して会話は終わった。

その仕草があたかも触れてほしくない話題にあえて触れられた人間のような仕草だったこと、そのAIの裏の顔のよ

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【牧師エッセイ】アンパンマンとイエス・キリスト

【牧師エッセイ】アンパンマンとイエス・キリスト

最近娘が大好きなおもちゃの一つに、アンパンマンのぬいぐるみがあります。
今の姿のアンパンマンを原作者やなせたかし氏が登場させたのは1973年の幼児向け絵本が初出でしたが、実はそれに先駆け、青年向けの物語としてアンパンマンが登場していたことはご存知でしょうか。

その時のアンパンマンはまだ人間の姿をしていました。
世界中で飢え渇いている人のところへとやってきて、自分のマントから「自分の大事なもの」と

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