先生と呼ばれる職種に就いてる方々は、その呼称に違和感を感じる事は無いのだろうか。海外では、先生・教授という呼び方をしない。何故なら同等だから。時折、話す気になれなき人もいるから。
彼と付き合ってから、 自分を見つめ直す機会が増えた。 人と対等な関係であること、それが私には難しいことを理解した。そして、対等であろうと努力している。 彼と別れたとしても、きっと今の私は今までの私と違うだろうな。それがとても嬉しい。(別れてないし別れる未来は無いけれど)
令和6年版外交青書 https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/ 原典確認 そこまで歩み寄れる関係? 日中(p.16、5年ぶり記載) 「戦略的互恵関係」を包括的に推進することを再確認 日韓(p.22、14年ぶり記載) パートナーとして力を合わせて新しい時代を切り拓いていく
「個人と役割は分けて人と向き合う」 仕事では組織の中で 上下関係の会話が日々行われる そこで大切なのは ポジションとして上位者であっても 人間として上位ではないということ 時に役割の仮面を通して厳しいコトも 言う必要があるがあくまでも役割として 人として対等に向き合うこと
ちゃんと相手の意見を聴いてくれる人を 選ぶ事は重要だが、こちら側も 「相手に対して自分の意見を言う勇気」 を持つ必要がある。 今まで支配的な他人に発言を抑圧されて 来た人程(私も)特に難しく思えるけど 「自分には自分の意見を言う権利がある」 という事を言い聞かせながら、ゆっくり
今どき、人に説明するのに夫を夫と呼ぶのは古いのかも。関係性の薄い人にはまず、パートナーと話し、関係性の話になってからやっと、夫、男性の、となるのが、全てのカップルが平等に話せる新しい視点なのかもしれない。