ペテンの配達人

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ペテンの配達人

88年式。遊び人から賢者に転職するためにロンドンでレベル上げ中。元グローバル人材(落ちこぼれ)。 BA in Economics(2012)/MPhil in Philosophy(2025)。ポランニー、アーレント、バタイユを繋ぐ本をいつか書きたいな。

マガジン

  • ロンドン留学日記

    英国ことイギリスの首都ロンドンにて2年ほど修士課程で哲学修行をする予定で、在ロンドン大学院生として書いた記事です。

  • 好きな映画について

    好きな映画、俳優・女優、監督などについて書いた記事です。その年のベスト映画なども記事の内容に合わせて公開しています。月に1本ペースで記事を追加していきたいと思っています。

  • 哲学(というまだルールさえ知らないゲーム)について

    直近読んだ哲学書についてのアウトプットです。

  • 好きな音楽について

    好きな音楽、特に日本のヒップホップアーティスト達について書いた記事です。

  • オートセオリー試行

    オートセオリー、つまり批評理論を理論として回収させないための抵抗としての自伝的な物語を試している記事です。「このように自分を知ろうとする者は、大胆に自分を持ち出し、自分の口を通してそれを知るようにするといい。」ーモンテーニュ『エセー』、第 II巻、第6章。

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戦争とか選挙とかビジネスとか

日常を取り戻したその先確か、あれは2021年5月中旬ぐらいだったっけか。確か、1回目のワクチン接種が終わって、「あぁ、来年には日常を取り戻しているのかもしれない、嬉しい」と未来が明るかった頃。確か、戦争という日常を取り戻したイスラエルのニュースを聞いて、人間ってすごいなぁと思った。確か、日常を取り戻してまず最初にやりたいのが空爆になるなんてって思った。 休戦状態から赤紙によるその白紙化。May DayからMayday [m'aider]へ。 センシャを回して戦い挙げろ!も

    • ロンドンでの映画体験を供養する

      そしてまたOnce Againを歌い出す約49日間のサマーが終わり、オータム[Autumn]になるのかフォール[Fall]になるのか分からない秋が訪れいる。もう、ウィンターに突入しているのかもしれない、私1人だけを取り残して。 北欧旅行から帰ってきてすぐに新学期が始まり、大量の課題図書をこなしながら新しいリズムを獲得しようと努力していたら、結構時間がかかってしまっていた。そして気がつけば、10年以上定期的に書き続けてきた地元の雑誌のコラムの締切をしっかり忘れていて、ギリギリ間

      • はじまりの門前で:はじめてのバタイユ③

        ('DELETE Your Local Fascist'、「近くのファシストを削除せよ」とは非常にファシスト的な命令である。) ↓前編と中編はこちらから↓ ドイツ観念論からのニーチェ経由のバタイユ(とデリダ)ではニーチェについてはどうか。これはドイツ観念論からの系譜からまとめてみよう。つまり、「カント-ヘーゲル-ニーチェ-バタイユ-デリダ」というラインで見てみよう。 まず、バタイユとカントである。この2人は主体性と笑いで重なり合う。「主体性が無へと突然回帰すること」は、『

        • はじまりの門前で:はじめてのバタイユ②

          ↓前編はこちらから↓ バタイユに理論体系はあるのか(一般経済学を例として)バタイユ的な思想を体系立った理論に落とし込むことは可能であろうか。私が最も影響を受けた「一般経済学[l’économie générale]」という概念を例にとって考えてみよう。まず、バタイユはエネルギーから経済を考えていく、以下のように。「本質的に富はエネルギーであり、エネルギーは生産の基礎であり尺度である。」つまりは、はじめに太陽ありき、なのである。太陽は計算も見返りもなく、自らを失う非生産的な消

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          はじまりの門前で:はじめてのバタイユ①

          バタイユへのめまいのような開眼今はバタイユに入門していいとは言えない。後になって入門してもいいかもしれないが、今はダメだ。 禁止と侵犯。 その後、バタイユの作品から多大な影響を受け、「現代ヨーロッパの思想家でいちばん親近感をもっている人」と自決する前に語った三島由紀夫は、『潮騒』にて初江に「その火を飛び越して来い。」と言わせている。(『シンエヴァ』と『潮騒』とLeap of Faithについてはこちらを。あまちゃんと「潮騒のメモリーズ」と能年玲奈についてはこちらを。)精神的

          はじまりの門前で:はじめてのバタイユ①

          ラトゥール『存在様態探求』から見る「新しい唯物論」の位置付け②

          ↓↓前編はこちらから↓↓ 改めて、ブリュノ・ラトゥールとは何者なのかこのエッセイは、ラトゥールが自らの著作を通じて「『物質』の唯物論」を否定していることについての台本を積み上げ、融合させることに満足したところで、彼の否定をヨーロッパ哲学史の中でどのように位置づけるかに興味を持ち、いくつかのActantな(アクタント/アクタン、行為や影響の媒介となる)文献を援用しながら、次のような問いを立てることで激しい方向転換を行う: 改めて、ブリュノ・ラトゥールとは何者なのか、そしてヨー

          ラトゥール『存在様態探求』から見る「新しい唯物論」の位置付け②

          ラトゥール『存在様態探求』から見る「新しい唯物論」の位置付け①

          口も喉頭もない救いの天使たちは語ることができるかこのエッセイは、こんな問いから唐突に始まる: 「伝統的唯物論から新しいそれへ」というメッセージを天国から伝えるために、口も喉頭もない救いの天使たちは語ることができるか? このエッセイでは、ブリュノ・ラトゥールの「『物質』の唯物論」に対する拒絶と、物質を不活性的に理解する還元主義へ連れていく近代性に対する彼の批判(クリティーク)を探求する。そして、フッサール、ドゥルーズ、デリダといった現代的な哲学者、あるいはスティグレールやメイ

          ラトゥール『存在様態探求』から見る「新しい唯物論」の位置付け①

          カトリーヌ・マラブーが語る「神経科学とその不安」:研究セミナーの参加レポート

          出会いとしての哲学への権利キャトリン(以前もそう断ったように、カトリーヌでもキャサリンでもなくあえてこう表記しておきたい)を最初に知ったのはいつだっただろうか。確かあれは大学3年生になり、入りたかった2つのゼミ(1つは財政学、もう1つは実践的な経済学を英語で学ぶプログラム)のどちらにも入れたけど、期待していたような知的興奮を得られず、かなりもがいていた時期だったと思う。どうやってそのイベントを知ったのか全く覚えてないのだが、私は2010年4月23日に確かに一橋大学で西山雄二氏

          カトリーヌ・マラブーが語る「神経科学とその不安」:研究セミナーの参加レポート

          世界の果てのギャラクシー(S21+ 5G)

          6日間のポルトガル旅行(リスボン・シントラとポルト)を終えてロンドンに戻った私を待ち構えていたのは、私の想像力の範疇を遥かに超えた驚くべき風景の変容 であった。惑星的な規模で展開されるスマートフォンのモビリティ(移動性)は、私をよりスリリングで知的興奮に満ちた旅へといざなった。 海外旅行先でスマホを盗難されてしまった後の荒廃した生の可能性について世界が崩壊し始めたとき、あなたなら何をする?私ならネットを徘徊し、運が良ければ盗難されたスマートフォンを見つけ出すことに成功したい

          世界の果てのギャラクシー(S21+ 5G)

          6日間で巡るポルトガル旅行モデルコース、の一例②ポルト編

          ↓↓前編であるリスボンとシントラはこちらから↓↓ 6日間のモデルコース、の一例前編では最初の3日間、つまりリスボンとシントラについて書いてきました。この後編では、4日目以降のポルトについてを書いていきます。もう一度、旅程のおさらいから。 リスボン 1日目 10時:リスボン空港到着 11時:ホテルチェックイン 12時:Cervejaria Ramiro(セルヴェジャリア ラミロ)で昼食 14時:リスボン市内散策 17時:Bairro Alto付近で飲み歩き(Leve Le

          6日間で巡るポルトガル旅行モデルコース、の一例②ポルト編

          6日間で巡るポルトガル旅行モデルコース、の一例①リスボンとシントラ編

          なぜ2月下旬のリーディング・ウィーク(中間試験の勉強や課題レポートの作成のために授業が休講となる1週間のこと)にポルトガルに行こうと決意したかというと、全部ヨルゴス・ランティモスとエマ・ストーンのせい、つまり映画『哀れなるものたち』を見てしまったせいであったことは、以前書いた以下の記事を参照してほしい。 とにかく、空中を飛び回る黄色いトラム、生牡蠣を追いかける白ワイン、そしてリスか!ってぐらいパステル・デ・ナタ(エッグタルト)を頬張りたかった。それに、ロンドンが寒かったのも

          6日間で巡るポルトガル旅行モデルコース、の一例①リスボンとシントラ編

          哲学徒4人で「全部ドラフト」やってみた

          この前書いたいつメン(オーストラリア人のKはパートナーとの予定かなんかで欠席)で「全部ドラフト」やってみました。それぞれの背景を知ってた方がより楽しめると思うので、もし気になったらこちらも読んでいただければと思います。 ↓↓こちら↓↓ 「全部ドラフト」って知ってる?新作がアップされれば必ず見るYoutubeチャンネルを挙げよと言われると、「佐久間宣行のNOBROCK TV」、「さらば青春の光Official Youtube Channel」、「粗品 Official Ch

          哲学徒4人で「全部ドラフト」やってみた

          いつメン(死語)との「はなればなれに」

          増えてく「再び逢うまでの遠い約束」、また一つずつここロンドンに来てもうすぐ1年になる。長かったような、短かったような。成長したような、何にも変わっていないような。でも、充実していたのは確かだ。それもこれも、今では死語となってしまったいつメンのおかげだ。I feel a little uncomfortable saying this directly, so I will say it to my friends here; 私の大学院生活を充実させてくれてありがとう。私に

          いつメン(死語)との「はなればなれに」

          日本男子バスケの未来と福岡第一の過去

          この世に存在しない『スラムダンク』32巻(単行本)今考えても辛かった中学受験の時期に、唯一私にとってのオアシスみたいな存在だったのが、伝説のバスケ漫画『スラムダンク』だった。中学からバスケ部に入った姉がその友達から借りてきたものをこっそり読ましてもらっていた。週に1巻ペースで読んでいたと思う。(こう考えてみれば、私のお笑い好きやバスケ好きは全て姉からの影響なのだな。。。姉は偉大だ。)楽しいはずのない受験勉強を「来週また『スラムダンク』の続きが読めるから、今週もアーニャ頑張る

          日本男子バスケの未来と福岡第一の過去

          カント『純粋理性批判』における「自発性」の機能:「超越論的分析論」を中心に②

          前編はこちらから↓ 「私は考える」という自己意識と自発性の関係さて、本稿では、自発性の基本的な機能と、構想力の自発的な総合にとって重要な役割について述べてきたが、ここで、「自己意識」との関係における自発性の点に立ち戻ることにする。なぜなら、「私は考える」という自己意識は、以下にピエール・ケラーが指摘するように、自発性の意識の存在から演繹される即時性の意識と受容性の意識によって形成されなければならないからである: この最後の文章は、時間と空間との関係の重要性を指摘している。

          カント『純粋理性批判』における「自発性」の機能:「超越論的分析論」を中心に②

          カント『純粋理性批判』における「自発性」の機能:「超越論的分析論」を中心に①

          『純粋理性批判』における最重要概念の1つ:自発性『純粋理性批判』(以下、『第一批判』)において、イマヌエル・カントは合計18ページ中25回、「超越論的分析論」では12ページ中16回、「超越論的弁証論」では6ページ中9回、「自発性」という言葉を用いている。 この「25回」という回数は、空間と時間、ア・プリオリ、理性や超越論的なもの、といった『第一批判』の他の主要概念に比べれば相対的に少ないが、『第一批判』において自発性が最も重要な概念の一つであることは紛れもない事実である。

          カント『純粋理性批判』における「自発性」の機能:「超越論的分析論」を中心に①