人間同士の関わり、とは

私に見えているあなた(言動・行動)が本当のあなた?それともあの人に対して、それともあの場面でのあなたが本当?
恋愛ドラマで良く聞きそうな言葉だ。
人はそんな簡単な表面的な「面」で判断できるものではない。

同時に、「面」は、誰かとの関係性、が主体ではなく、「本人が本人の人生を営む上で」必要なところで必要に応じて「使っている」もの。

Aさんに対しているのも、Bさんに対している(Aさんに見える)姿も、Cのような場面での(Aさんに見える)姿も、そのすべて合わさったものも、「その人本人」などではない。

では本音を隠しているのかとか演技なのかとか信頼していないのかとか言うこともなりそうだが、そんなものは関係ない。
揺ぎ無くどこまでも信頼の絆を結んでいようが、そもそも本音本心というものが、見る人の解釈によっていかようにもとられてしまうものなのだから。


その時々で使っている、また出てくる無数の自分があり、更にそれを見るひとの数の分、見え方(それぞれの中で作り出して思い込んでいるその人)があり、更にそのひとたちはそれぞれに、その時々によって(実はそれぞれの人の心や身体の状態変化によるのだが)その人への見え方が変わったり、時には「あなた変わってしまった、あなたが変わってしまったのよ!」というような見え方をすることもある。
それこそ微妙に角度が違えばまるで違った見え方になる、無数の角度から見ることができて無数の「その人」の見え方があるのだ。

しかし、それら全部をも含む全体、というものがある。

その全体同士で関わることができる(ただし、これは常に全体全面全角度すべてが見えているという意味ではない。が、同時にそれはどの面どの角度であってもそのものを受け取ることができるし建設的に働こうとする状態)のが、本当の意味での「個人」同士の関わりであり、自律・自立をともなった信頼のある関係というものである。

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