「再考」中の目標 その9ー①

 前回のその9では今回の保育士試験について簡単に振り返りました。その中で、私の原点である「臨床心理」「言葉」「音楽」が保育士試験とダイレクトにつながっていることに気づき、その1つ1つを考察していくことにしました。今回はその1回目で「臨床心理」について評細に語りたいと思います。
 私は20代から臨床心理を専攻して臨床心理士になりたいと考えていました。実際、大学に社会人3年次編入学して臨床心理を学びました。ただ、大学院は行けませんでした。精神保健福祉士の資格を所持していますが未使用です。愛知県での1年間の中学校での相談員を除けば、対人援助職に就いたことはありません。現在の私は福祉事業所A型の利用者(障害者)で調理補助です。では、どういう事情で保育士試験と臨床心理がつながってくるのでしょうか。
 私はプロフィールに書いているとおり、「複雑性トラウマを抱えながら日々を過ごすASD・精神障害当事者」です。先ほどの編入学した大学のゼミでの出来事に起因するトラウマから10数年間で多くのトラウマを被ってきました。ただ、カウンセリング等でトラウマを考察するにつれ、それは私の心の弱さに起因するわけではないことが理解できるようになりました。
 私は『私の「トラウマ」体験』という自分のマガジンの中で、自分には何も責任はないとよく書いています。「人のせいにしている」と取られるかもしれませんが、私は「その出来事の責任の所在」を考察しているだけで、「人のせい」にしたいのではありません。また、責任とはポジショナリティ(立場性:立ち位置、立場)により、変化するものと考えています。要するに、立場が上に行けばいくほど責任は重くなり、下に行けばいくほど軽くなるということです。
 以上のことを踏まえて編入学した大学から10数年間のトラウマを整理してみると、私自身が学生とか利用者(障害者)、患者やクライエント等、力のない下の立場にいることに気づきました。そう考えると、力のある上の立場が本来負うべき責任を私が自己責任で背負っていることになります。となると、私には何も責任はなく、上の立場に責任を返すことになります。私がこういうことを認識したのは、現原宿カウンセリングセンター顧問で公認心理士/臨床心理士の信田さよ子氏による数々の著書、それからTwitterでのフォロワーさんで療育保育士と名乗っている女性のツィートに依っています。上の立場の責任を明瞭にすることで、自分の本当の責任を明確にするだけでなく、そこにある社会構造(抑圧構造)や人権侵害・搾取といった対等でない力関係の理解にもつながっていくと言えます。
 ところで、子どもとは何でしょう。大人(親や保育士等)よりも力のない下の立場であることが理解できます(子どもは弱いと言いたいのではありません)。私は子どもと自分の立場が重なること、保育に限らずあらゆる対人援助職には上下の立場という対等でない力関係の理解が必要であることを踏まえ、試験対策をしてきました。保育士と子どもは立場上対等ではないので、保育士がどうやって子どもを対等にしていくのかという点を、特に意識しながら勉強に取り組んできました。
 保育士試験に合格して保育士として仕事をするかは、自分の心身の状態との相談次第です(障害者雇用の話もありますが、他にやってみたいこともあります)。ただ、私にとって保育士試験と「臨床心理」が責任とポジショナリティ、社会構造(抑圧構造)や人権侵害・搾取といった対等でない力関係の理解によりつながっていることを少しでも理解していただければ幸いです。
 ここまで読んでいただいた方に深く感謝申し上げます。
 
 
 

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