母と私。劣等感の塊⇔誇り

前回の投稿に引き続き、【私が私】として【生き続けたいと強く願う気持ち】から、思考回路を巡らせた。結果、見えてきたことを紐解くような形のブログを今日も更新していく。

前回の投稿後すぐの私は、【自分がワーママじゃなくなること】を受け入れたとして、『実際何が出来るのか?』と自問した。
そもそも来月くらいからは、本格的に私が金銭管理をすることになる。旦那の収入も私の収入も。すると、【必然的に私の収入は貯蓄】に回される。何故なら、私の収入は『一時的に必ず減る』し、その後も『安定するかどうか、不透明でしかないから』だ。【私の収入を頼りに生活する】なんてこと、そもそも『旦那の思考の中では皆無に近い』のだ。
実際、そんな【旦那の思考は分かっていて結婚したのは私】だ。それなのに、【金銭管理を自分がすること】が間近に迫っている今、改めて【私の収入の意味】を考えた。極端な話だけど、【男は仕事、女は家事育児】みたいな、【昭和的な思考】に思う人だっているかもしれない。でも、私からすれば、『旦那みたいな人の方が珍しい』と思っている。それに、【旦那の会社事情を知っている私】だからこそ、【旦那が安心して仕事に行けるような嫁】になることは、『漠然と夢見ていたんだよね』ってな話。なんなら、同棲始めた時からずっと、子供無し状態の【今】も。あくまでも、【仕事と家事(育児)のバランス】を保ちながら。

そんな私だけど、【私の収入が頼りにされていない=私の価値が無くなる】みたいな思考が、どうしても抜けなかった。確かに実際、会社でも大したことはしてないと思うし、給料だって旦那の半分にも及ばないくらいかもしれない。けれど、それでも『私だって働いて、家にお金を入れて、旦那と対等に暮らしたい!』とずっと思って来たんだよね。決して、旦那の方から「家にお金を入れない私は対等じゃない」なんて言葉、『一度も言われたことない』くせに。私の勝手な思い込み。

そして次は、『何故私は、こんなにも自分勝手な思い込みが酷いのか?』なんてことを考えた。この答えも、思ったよりも簡単だった。【自分の実家や両親と重ねて見ているから】ってこと。

具体的に何を重ねたのかと言うと【私の母】だ。母は、私が10歳くらいの頃までは、いわゆる【専業主婦】だった。1番下の妹はまだ小さかったかもしれないが、1番上は私の2歳上。丁度そんなタイミングで、初めてパートに出かけるようになった記憶がある。しかし、『母がパートで働くようになったから』と言って、【それまでと何も変わらない日常を過ごしていた】ように、私は思う。あくまでも「【父の収入】のお陰で私達の生活は成り立っている」と、口癖のように『母は言っていた』し、『父はそれを主張』して【家族の中で一番偉い人】みたいなイメージだった。

つまり、【お金を稼ぐ父は偉い】ってこと。では逆に、【パートをして、家事育児を毎日こなす母】を『大切に思う家族は、一体どこにいたのだろうか?』って話。
子供達4人は、ぶっちゃけ当時は子供だった。私は、そんな【両親を見て育った】が故に、『母と同じにならないために』と【無意識】に強く思っていた。『母にはめちゃめちゃ申し訳ない』けれど、【私がワーママになること】は【絶対条件】だった。そうでないと、【旦那と対等に生きられない】とか【家族から大切にされない】とか。【無意識だけど本気】で思っていた。

しかし、『なんとも【他人任せ】で【薄っぺらい理由】なのだ』と、【初めて実感】のと同時に【我ながら呆れて】しまった。だって、それは【父と母】の話であって【私の話じゃない】んだよ。それに、『母は自分ではそんなこと一切言わない』代わりに、私がブログを通して堂々と言おうと思う。今までの過去の話にはなるけれど。

ただお金を稼ぐだけじゃなくて、家事育児も積極的だからこそ、文句も多い【父】だったよね。そんな中、いつも一生懸命な【母の存在】は、なかなか表に出る機会は少なかったように思うね。でも、母の存在があったからこそ、間違いなく『日常生活は困らなかった』よ。【毎日手作り料理が並ぶ食卓】や、自分の時間を削って【洗濯したり片付けしたり】と。『誰に褒められる訳でも』なく、『直接感謝される訳でも』なく。【ただただ黙々とこなしていた、母の努力の賜物】だってこと。【間違いなく大きな事実】だってこと。今更ながらに本気で思うよ。

こんな風に、私の中で、【母に対しての見方】が、とても大きく変化した。そして、母に対して【純粋に尊敬する気持ち】になった瞬間、『なんだか一気に、私の心が軽くなった』気がしたよ。

それともう1つの理由。これも【母】に起因する。あくまでも【私から見た母の印象】の話。私の記憶にある母は、『家事育児をしている時』も、『子供が手を離れた今』でも【人生を楽しんでいるようにはなかなか見えない】ってのが本音だ。
正直、誰だって、『いつでもどこでも人生を楽しめる人の方が少ない』かもしれない。けれど、それを加味したとて私の母は【常に自分が、とにかく生きること】に一生懸命。【楽しむ】よりも【苦に耐える】ことの方が圧倒的に多い。
【そんな印象を持ってしまったのは私】なんだけれども、やっぱり母のように【家の中で過ごす時間が多いこと】が、どうしても私は、肯定的に思えなかった。
今でも、何かと『やらなきゃいけない!』に追われているし、『家族の機嫌を損ねないこと』に、人一倍執着していると思う。
そんな母親を見ると私は、【劣等感の塊】をイメージしてしまう訳だ。まるで『自分では大したこと何も出来ないから』と言いたげな、だから『こんなことくらいしか私には出来ないのよ』みたいな。

そんなことを改めて思った私だけれども、【母】に対する気持ちが、『確実に改まった』気持ちはある。家族皆が母に対して、何かと【出来ないこと】に目を向けることが多かった。我ながら『酷いよな』って思うけれど、それは事実。だから、【家族が納得することが出来ないこと】を、『その都度克服するため』に。【決して器用では無い母】だけど、『いつも一生懸命だったんだろうな』ってこと。そして、『人一倍自分を責めては、苦しんだんだろうな』ってこと。
でも、きっと本当はそうじゃない。【既に十分に家事育児をこなしている母】だよ。【既に十分に立派な母親】だよねってこと。母は、【自分で自分を満たすことが苦手なタイプ】だから、きっと、『家族に認められたかったのかな?』なんて風にも思う。今更気づいてごめんね。遅かったね。

そして、そんな【母への気持ちの変化】と共に、【自分がなりたい母親像】も、ガラッと変わった。私の中の【劣等感の塊】が『どれだけ邪魔していてたことか』と本気で思う。【私が選んだ私の人生】を、【私らしく生きるため】に、私の思考はガラッと変わった。

私の場合【自分がワーママしたい気持ち】に【執着し過ぎて】いたってこと。【自分本位】ばかりで、ココ最近ずっと、【私がワーママしたい気持ち】が故に【懸念されるものばかり】に焦点を当てていた。自分の経済力、自分のキャリア、自分の価値、、、。また、【それらが無くなること】を極度に恐れ、【自分だけが勝手に不安】を煽ってきた。
それが、【実母への気持ちが変わった】ことにより、【私自身】は【旦那や未来の子供】にとって『どんな嫁や母親になりたいか?』ってモチベーションになった。こんな大事な気持ちを無くして『母親になりたい』と思っていた自分が恥ずかしい。そんなことさえも『意識したことがなかった』と、初めて気が付いた。昨日までの【劣等感の塊】は段々と薄れている実感がある。

私は、自分が望んで旦那の嫁になった。そして、子供を無事に授かれば、『私と旦那が望んだから、私は母親・旦那は父親になるんだ』って話。きっと、その気持ちが全て。だから、それ以上に【自分を優先にしたい気持ち】があるのなら『子供を産む資格なんて無いかもしれない』と思うようになった。というのも、旦那から実際に言われた。「私が私のキャリア優先するなら、子供は作らんよ」ってハッキリと。私の旦那って、本当に直球タイプで潔い。
私が【自分本位過ぎること】で、【他に大事なことが叶わなくなる現実】を突きつけられた気分になった。【私が自分本位ならば、旦那だって自分本位】なのは当たり前だ。だから、『私の望み1つ叶えるため』に旦那が簡単に変わる訳じゃない。【私は私】だし【旦那は旦那】なんだよね。
それともう1つ大事なこと。前にも【誇り】って大事って思ったけど、今回も改めてそう思った。

【職場でのm__lovemi】と、【旦那の嫁】と【未来の子供の母】と。他にも私の立場って色々ある。そんな中で、どれも【自分が誇りに思える自分】で在りたいと思った訳だ。
そう思ったなら、今の私は【職場でのm__lovemi】って、ぶっちゃけ二の次だ。『キャリアという名の勤続年数とか経験が欲しい』だけ。そして、それなりの『経済力が欲しかった』訳だけど、旦那との生活においての『重要度は低い』ってことだ。私が思い描く【誇り】とは、きっと違う。

【自分のキャリア・経済力】なんかよりも、今の私は、【仕事と家事を両立してる自分】が一番の【誇り】だ。それなりに【遊ぶ時間もお金も満足】している。でも、それは【今】の話であって、今後どうなるかなんて分からない。分からないからこそ不安は募る。けれど、出来ることから不安要素を払拭したい。そう考えた時、【私のキャリアの優先度は必然的に低くなる】って訳だ。そこまで【自分を追求】したことで、『やっと自分を納得させられる』答えを見つけ出せた。本当に長かった。

どんな未来になろうとも、【自分の意思】で【自分のキャリアの優先度を下げる】とか【一度キャリアを手放す】とか。また、【自分の時間やお金の使い方】に関しても【自分が納得してセーブすること】もあるかもしれない。けれど決して『子供や旦那を言い訳にしない』で、【自分の意思】に添う形で、優先度や許容範囲を選択したい。
そして、そんな時に抱きガチな【劣等感】が私の課題。【劣等感の塊】が押し寄せてきた時程【自分が選んだ人生】を【誇りに思う気持ち】を大切に生きたいと、改めて実感した。

そして、今日は、母の記念すべき誕生日。私は、去年とはまた違った母への気持ちが生まれたよ。そんな私になれたのも、母が産まれたこの日のおかげ。母の両親よ、母を産んでくれてありがとう。そして、お母さん、改めて誕生日おめでとう。



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