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自分の気持ちを探す旅

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自分と向き合い、本当の気持ち、本当の考えを探していく場所。
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記事一覧

『何度でも』

『何度でも』

昨日、大切な人が言った言葉に感動し泣いてしまいました。
それから一日経った今日も、その言葉を思い出すだけで涙が出てしまいます。

そして、なぜか今日は自分の嫌いなところ、ダメなところを思いっきり書きたくなりました。
しばしお付き合い頂けますと幸いです。

私は自分に対して完璧主義です。
0か100。
少しでも上手くいかないと「自分は何も出来ない」とガッカリする極端な人間です。

そうなってしまった

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私の好きな『丁寧』という言葉。

私の好きな『丁寧』という言葉。

私はずっと『真っ直ぐ』という言葉が好きでした。
"でした"と言っても今も好きなので、正確には「好きです」。

"真っ直ぐに物事を見られる人になりたい"
"他の人と真っ直ぐに向き合える人になりたい"
"自分の気持ちを真っ直ぐに表現出来る人になりたい"

そんなふうに思っているからです。

でも最近、『真っ直ぐ』以外にも好きな言葉が出来ました。

それが『丁寧』という言葉です。

今までの私の記事でも

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私のフォロー数が少ない理由。

私のフォロー数が少ない理由。

自分のページを開く度に思う事があります。

それは、
「私ってフォローしてる人少ないよね」
っということ。

でもそれには私なりの理由があるのです。

今回はその2つの理由を書かせて頂こうと思います。

【1】丁寧に向き合いたいから。

以前つぶやいたように、私は皆さまの一つ一つの記事と丁寧に向き合いたいっと思っています。
なぜなら、書かれた記事は、
その人が"その時"感じ、"その時"考えたことを

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オーバーに話すことをやめた自分。

20代前半までの私は、
「本当に」「とても」「すごく」という言葉をよく使っていました。

例えば、誰かと話している時に「すごく感動しました」と言ったり、誰かにお手紙を書く時に「本当にありがたかったです」と書いたり。

確かに、感動したり、ありがたいと思う気持ちに嘘はありませんでした。

でも正直に言うと、
「本当に」とか「すごく」という表現を使うほど私の気持ちが大きく揺れ動いていた訳ではありません

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繊細な心は『ガラス細工』のように...

繊細な心は『ガラス細工』のように...

私は昔、ガラス館に行った事があります。

行ったのはその時の一回だけですが、
私はその時の光景を今でも忘れる事が出来ません。

"辺り一面に美しいガラス細工たちがキラキラと輝いている光景"

"ガラスで出来た風鈴がただただ優しい音色を生み出している空間"

心が清らかに、穏やかに、研ぎ澄まされていく。

そんな本当に素敵な空間でした。

あの時の光景をずっと覚えているからこそ、思う事があります。

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書けない時があっても良い。

皆さま、おはようございます。

数週間前から鬱がひどくなり、
(マシな日すらも全然なく)
ずっとnoteを投稿できない日々が続いておりました。

正直今もまだ鬱状態です。
きっと季節的なことや、この寒さが関係しているんだと思います。

希死念慮がひどくないだけ先月よりはまだマシなのかもしれませんが...
それでもやっぱり辛いです(T_T)

そんな中でもnoteを「書きたい」という気持ちはずっとあ

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私にとってnoteは真っ白なスケッチブックのよう。

私にとってnoteは真っ白なスケッチブックのよう。

「noteを書きたい」っと思いテキストページを開いた時、私はいつもこう感じます。

「真っ白で、まるでスケッチブックみたい」。

実際、noteを書く時の私の頭の中にはいつもスケッチブックのイメージが広がっています。

この真っ白な空間は、

『私が言葉を紡ぎ出す事によってのみ
埋められていく』。

そんなふうに思う私は、
noteに初めの文字を打った瞬間、

完成させたいものに向かって小さな一歩

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『頑張った過去』があるから『今の自分』がいると気付きました。

『頑張った過去』があるから『今の自分』がいると気付きました。

かつての私は、過去の思い出や記憶を思い出してそれに浸る時間が好きでした。

それが私にとって、

『幸せな時間』
『穏やかになれる時間』だったからです。

「楽しかったなぁ」「幸せなひと時だったなぁ」「一生の宝物だなぁ」っと思い出すだけで、心が温かくなり、今を頑張る活力になっていました。

しかし、うつ病になってからの私は、過去を思い出す事が苦痛となりました。

どうしたって"楽しかった過去の自分

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人には『承認欲求』があり、『与え合う』ことで満たされていく。

人には『承認欲求』があり、『与え合う』ことで満たされていく。

『認めてほしい』

そんな承認欲求は大なり小なり誰しもが持っていると私は思う。

全く何の見返りも期待せずに与え続けられる人はいないのではないだろうか?
もしいたとしたら物凄い才能だと思う。

見返りといっても、実際に物品をもらうとか、代わりに何かしてもらうとか、そういう事だけではなく、

相手から「ありがとう」と言ってもらえて心が温かくなった。相手が優しい対応をしてくれた。相手の嬉しそうな顔を見

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『自分探しの旅』から『自分の気持ち探しの旅』へ!

皆さま、こんばんは。

前回の記事と共通している内容もありますが、今考えている事を書いていきたいと思います。

私は高校を卒業してから「自分らしさってなんだろう」と考えるようになりました。

そして20代前半の頃から日記帳に『自分探しの旅』という言葉を沢山書くようになりました。

っというのも私は、本当の自分がどれなのかよく分からなかったからです。

幼少期から自分の気持ちを抑え込んで周りが喜ぶ事

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頭で考えず、"その時"の気持ちを書ける人になりたい。

皆さま、こんばんは。
っといっても深夜ですね💦

私はどうも夜中にnoteを書きたくなるクセがあるようで、記事を投稿するのが深夜(または朝方)になる事が多いです。

本当はきちんと眠らなければいけない時間ですし...
自分でも分かってはいるのですが...

不安感や虚無感で眠れない日が多く、結果として頭の中でいろんな事をグルグルと考えてしまうのです。

それで、今夜考えたことは...

『自分の

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『100』のうち『30』出来たら凄い!! 野球から学べること⚾️

『100』のうち『30』出来たら凄い!! 野球から学べること⚾️

皆さま、こんばんは。

野球観戦が趣味の私は、今テレビでプロ野球の日本シリーズを見ています⚾️

『100』出来ないと「自分ってダメだな」っと落ち込み、自分が出来なかった事ばかりに目がいってしまう私なのですが...。
野球を見ていると毎回考える事があります。

それは...

「野球ではバッターの打率が3割だと『凄い』と評価されるんだよね」

つまり『100』のうち『30』出来れば上出来という事で

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『"違う"と思ったら書かない』。 これが私のこだわりです。

『"違う"と思ったら書かない』。 これが私のこだわりです。

私は、『自分の本当の気持ちではない事』を書くのが好きではありません。

だから「日記を書きたい」と思って書き始めたとしても「これ今の私の本心じゃないよね?」と思ったら、例え途中であったとしてもページを破って捨ててしまいます。

それはnoteでも同じで...

「これって今の私が本当に書きたい事なの? 違う気がする。」っと思ったら投稿しません。

だから、毎日投稿する事を私は目標にしていないのです

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noteは私が素直な自分でいられる大切な場所です。

noteは私が素直な自分でいられる大切な場所です。

皆さま、こんばんは。

突然ですが、私は以前、今のとは違うアカウントでTwitterをしていました。

しかし私にとってストレスとなっている事がわかり、アカウントを削除しました。

これから書く事は「Twitterがダメだ」と言っている訳では決してありません。

ただ私には合わなかった。 それを見抜けずストレスを溜め込んでしまった私の失敗談だと思って頂けたら幸いです。

私が持っていたのは、同じ趣

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