覚醒は言葉を越えているが、、、 この世は障碍だらけだから、ワンダーランドだと、この本でも語ってきたけど、 どんな解釈も越えて進行していく真実にとって、 言葉は障碍であるからこそ、その言葉を紡いで言語芸術を紡ぐことができるのだと新たに整理できたとき、 また一皮剥けた。
今日の記事書きながら、「障害と障碍と障がい、どれで書けば良いねん!」って無限に思ってた。
車椅子は苦じゃないとは言いつつ、「バリアフリーです。全然問題ないですよ〜。エレベーターまで、数段階段があるだけです😉」というとっても親切な声がけに…… あ、私の車椅子だとそれ無理だ……と気がつく😅 気持ちはバリアフリーなんだよなぁ。 本当、些細なことが大きな障壁😭
体調関連の記事書くときに使う参考文献を足しておきました。何冊か再読終わったので。記事のURLはこちらです→https://note.com/sanahama/n/na0539905e77d?magazine_key=m814e1eb109fb
日本での「社会生活」困難者としての呟き 身体障害などは…特に私は視覚が大きいわけですが、「できる」か「できないか」ではない 工夫と周囲の方々の支えを求めることが許される環境ならば、できないことはそうそうないと感じています 「工夫することがどこまで許される場なのか」なのだと感じた
時々なんで読字障害を持って生まれちゃったんだろうなあとか思います。あまりに本を読むのが遅すぎて。ただ活字の本はほぼまともに読めなかった状態から少なくともきちんと1冊通じて本が読めるようにしてくれた小学校の図書室の司書の先生には本当に一生感謝し続けると思います。