20240113_日記 介護について考えた一日。

昨日は、早めに寝た。19時とか、20時には布団の中に入っていた。風呂に入った後、ストレッチを行って、自分の身体に意識がいくようにした。自分の内面ではなくて。ストレッチをすると、少し気分が落ち着いた。そこから、なにかやろうと思うと、苦しいなと思った。だから、すぐ布団の中に入る事にした。無音だと、さみしくなるから、坂口恭平さんの躁鬱大学の音声を流していた。すると、ちょうど自分が考えていたことについての話をしていた。「我々は適当な人間。ちゃんとしないと語を使わない事。適当語」ちゃんとしないと、ちゃんとしないとという考えが頭の中に、よく浮かぶから、こーいう事を言われると、とても楽になる。出来る限り、夜の時間を減らそうと思っている。夜は、感傷的になりやすいから。音声を聞いていると、すぐ寝れた。しばらくすると、目が覚めた。時計をみると23時だった。数時間で起きたらしい。たぶん、明日早起きしないといけないからという気持ちがそうさせただと思う。だけど、7時間くらい寝た気分だった。久しぶりによく寝れた感じがした。そこから、5時ぐらいまでは、ごろごろして、ねて、起きてを繰り返していた。十分寝れたと思う。今日は、朝早くから、バイト先の研修がある。9時から開始。現地まで、1時間弱かな。遠いし、まだ寒いから嫌な気分。たぶん、1時間前にまたつくのではないかと思う。まぁ、遅刻するよりかはマシか。一日中なので、帰ってきたら、すぐ寝ると思う。日記の続きとかは、まぁ、気が向いたら適当に書こうかなと思う。
研修終了。時間の長さだけがつらかったけど、勉強になったし、楽しい一日だった。法律が出来るまでの歴史~当事者の意見~現状の課題他、前の会社に入る前に勉強しておけばよかったことだなと思う。ここからは、僕なりの意見。僕は、障碍を持っている人を助けるのが正しいのか良く分からなかった。少しは、意見がまとまってきたが、じゃあ、障碍を持った子が生まれると分かった場合、僕は、すぐ決断する事は出来ないと思う。それは、一般的な目がやっぱり自分にはあるのと、自分のような子が生まれた場合、僕と同じような経験をしてしまう気がして、それが、耐える覚悟があるのか分からないからだ。もう一度、ぼくが同じ人生を歩むとしたら、もって中学生までだと思うから、そこは、なんか気にしてしまう。
けど、今日で自分なりに落ち着いている部分だけの意見で言うと、「生きたいと思っている人間は、助ける」という事だろう。僕は、最初の問いの立てかたが、そもそも間違っていた。障碍がある人と、ない人で分けて考えていた点、あと、助けるのではなく、あくまでも主体は当事者であるので、介助である事。少なくとも、当事者の方と話をして、そう感じた。僕が言えるのは、まだそれくらい。僕は、善意全ぶりの意見を見ると、疑ってしまう。たぶん、自分が、そうはなりきれないからだ。
短いけど、今日はこの辺で。本日もお疲れ様でした。

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