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弟の誕生日

こんにちは、マーヤです。
本日、1月19日、我が弟が57歳の誕生日を迎えました。

57年、産まれ他者より人生の荷物が多く、大変だと思います。
ァテトーゼ型脳性麻痺...と医師に告げられそのようだと思っていたのですが、直型脳性麻痺・・・これによる四肢麻痺。

今後の事もあるので医師(新らしくかかる所です。彼が産まれた時の医師はすでに他界したようで、病院自体ないのです。)に相談はしますが…
私が個人的に調べて思うのは、混合型脳性麻痺か…しかし、これの場合の知的障碍は見てとれません。

弟が高齢者となっても安心して生きて行けるように姉である私が供に・・・といつも考えています。
一時は人に騙される事もありましたが、ひたすらに話し・・・話し・・・話し続け今は聞くも考えるも落ち着いています。

脳性麻痺の結果、耳は聴こえず(聴覚障碍)、話すも出来ず(言語障碍)、身体障碍を持ち、母のひたすらな努力により、眼球が下を見たままだったのも普通になりました。
視力は2. 0と寧ろかなりよかったものです。(今でこそ老眼の様ですが)

歩けないよと言われても母のマッサージで思うよりスピードがありました。
片腕はほぼ動かなかった物のパソコンの組み立てが出来る子でした。

彼は産まれて1言も『どうして僕ばっかり』とか『○にたい』などの言葉は口から出た事がありません。

ひたすらに生き生きて行こうとする子です。

今も頸椎狭窄があり、4ヶ所トラブルがあるとの事。
昔のように自由に歩く事が出来ず、車椅子がメインです。

喘息もあり、肺がかなり動きも悪く、少しの事で息が上ってしまいます。
喘息の吸入薬も手放せません。
痛みも寝返りをしても出ますから、眠りもあさい事でしょう。
週に3回・・・数時間、作業所に行き働いています。

2年半で10万円くらいの…

それはどんな宝より輝くお金です。

考えれば弟よりも大変な人は沢山います。
それでも57年生きて来ました。
6人兄弟姉妹の本来なら3番目。
幼くして4人の兄弟姉妹はこの世から去りました。
たった2人の姉弟です。

弟に障碍がある事で、57年前は母も父も...私も親族や社会の冷たさを身に染みています。
弟を守るには、私が強くなくてはと・・・ひたすらに強くなっていかなくては。

そんな思いを新たにした今日でした。

弟をはじめ、皆が幸せを得られますよう。

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