「障害」「障がい」「障碍」どれがいい?「しょうがい」の表記問題について当事者が思うこと

最近、「障害」の表記を「障がい」にする企業やメディアが増えてきたなぁと感じます。
障害の「害」の字が「人を害する」というニュアンスを含んでいてよろしくないからだそうで。
一部の当事者の方々の声に配慮してそうしているらしいのですが、様々な文章を読んでいると、「障害」と「障がい」の表記がごちゃ混ぜになっていて統一されていないものを時々見かけます。
基本的に障がいと書くが法律や制度の名称は原題に合わせる等、何らかの法則に従って書き分けているなら納得できますが、そういう法則がなさそうなものも多いです。
そんなわけで、ごちゃ混ぜ表記の文章を読むたびに、「配慮にしては中途半端だなぁ」「『障がい』の方が良いらしいって聞いたからとりあえず変えてるだけじゃないの?」とよく邪推してしまいます(笑)
また当事者の一人として、この表記を変える昨今の流暢にも前から疑問を感じていました。
「日本語としては障害のままで問題ないのにわざわざ変える必要ある?」
「害の字が悪いんじゃなくて偏見が先にあるから『人を害する』なんて解釈になるんじゃないの?」
「表記を変えたところで差別解消に繋がるの?」
「良くないから隠すって臭い物に蓋をしてるだけじゃないの?」などなど…
「障がい」の表記を見るとそんなモヤモヤを最近よく感じます。
なので今回は『しょうがい』の表記についてあれこれ考えてみました。
最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
 
なぜ表記が3通りあるのか?表記の変遷について軽く紹介
いま日本で使われている表記は「障害」「障がい」「障碍」の3通りです。
といっても一般的には「障害」が一番多く、その次に「障がい」が使用され、「障碍」に関しては一部の自治体で使われているぐらいではほとんど見かけませんね。
 
日本で最初に使われていた表記は「障碍」でした。
もとは「しょうげ」と読まれ、仏教用語で「物事の発生、持続などに当たって妨げになる」という意味を持ち、転じて「妨げる」といったニュアンスで使われていました。
「障害」は江戸時代末期頃から使われ始めたようで、「障碍(しょうげ)」と同じニュアンスの言葉だったようです。
 
明治時代に入ると「障碍」を「しょうげ」ではなく「しょうがい」と読む例が表れ始め、次第に「しょうげ= 障碍」「しょうがい=障害」と書き分ける例が多くなり、大正期 になると、「しょうがい」の表記としては、「障碍」よりも「障害」 の方が一般的になりました。
その後、常用漢字が制定された際に「碍」は常用漢字から外れ、「害」の文字が代わりにあてられるようになって今に至ります。

なお戦前は、「心身に医学的な不調や機能不全を抱えている状態や人」を指す言葉として「障害」「障害者」は使われておらず、今は使われていない差別用語が使用されていました。
1950年に施行された身体障害者福祉法において、はじめて現在と同じ意味での「障害」「障害者」の語が用いられ、そのまま定着していったようです。
 
その後、「障害」「障害者」の表記が定着しましたが、「害」の文字には「傷つける」「損なう」等の意味もあるため、文字の意味に着目した場合、人に対して用いるには不適切だ、といった理由から「障がい」と表記して欲しいという声が一部の当事者から上がるようになり、20年ほど前から一部の自治体などで「障がい」表記が使われるようになりました。
 
しかし「障がい」は漢字とひらがなの交ぜ書きであることや、表記を変えることが根本的な差別解消には繋がらない、といった意見から完全には置き換えられず、「害」の文字が不適切なら、もともと使われていた「碍(差し支えるという意味を持ち、傷つけるといった意味はない)」を使えば良いのでは、という意見も出てきて、結果、現在は3通りの表記が併存している状態なのです。
 
当事者はどう思っているのか? アンケートを取ってみた
冒頭でも少し書きましたが、筆者も表記についてはいろいろ言いたいことがあります。
が、ふと「自分以外の人はどう思ってるのか?」と気になりました。
筆者の意見が当事者の総意ではないし、自分の意見だけ発信しても実態に即していなければかえって迷惑になるため、他の人達の意見も交えて発信したい。
 
というわけで、当事者、関係者の方たちにアンケートを実施してみました。
筆者が利用しているシンワークス泉佐野の利用者や職員の皆様、筆者個人の知り合いの方たちにご協力いただき、下記のアンケートを配布してお答え頂きました。

10人ぐらい集まれば良い方かなと思っていたのですが、皆様快く協力してくださり、総勢19名の方から回答いただけました。

さっそく結果を見ていきます。

まず回答者の内訳ですが

19名の方のうち、約2/3が障害を持つ当事者、残りが職員などの関係者、無回答の方が2名いらっしゃいました。なお当事者の方のうち5名は、身体と精神、精神と発達など複数の障害をお持ちの方でした。シンワークス泉佐野の性質上、精神障害のある方が一番多いですね。内訳から分かる通り、サンプル数が少なく偏っているため統計学的にはあてになりませんが、「こう思っている人もいるんだな」と思って続きも見てください。

内訳が分かったところで、次は表記についてですね。
どの表記が望ましいと思っているか、複数回答でお答え頂きました。

「こだわらない/どれでもいい」が12票と最多でした。
次に「障害」が4票、「障がい」が3票、「わからない」が2票、「障碍」と「どれも望ましくない」が1票ずつでした。
このグラフは障害当事者と関係者、双方を合計したものですが、当事者と関係者に分けてみると若干ですが傾向に差が出ました。

まず当事者の方の回答(無回答の方は除いています)

概ね総合計のグラフと同じですが、「どれも望ましくない」が0票で、「こだわらない/どれでもいい」が7票と最多、ついで「障害」が4票、「わからない」が2票、「障がい」と「障碍」が1票ずつでした。
ちなみに「障がい」と「障碍」を選んだ方たちはそれぞれ、「こだわらない/どれでもいい」も選んでおられました。
「どれでもいいんだけど、強いて言えばこれかな」という心情ではないかと回答結果からは推察します。
「障害」や「わからない」を選んだ方にも同様の方がいらっしゃいました。
全体的に「絶対この表記が良い!」という方はおらず、
「こだわらないんだけど強いて言えばこれかな」「別に今のままでいい」と思っている方が多い印象でした。
精神障害の方が多いので、身体障害や知的障害の方が母数に加わるとまた違う結果になるかもしれませんが、アンケートにお答え頂いた方たちの間ではこのような傾向がみられました。

次に関係者(主にシンワークスの職員の皆さん、筆者個人のお知り合いもいます)の回答です。

当事者と違い「障害」「障碍」が0票と全く選ばれず、「こだわらない/どれでもいい」が3票、「障がい」が2票、「どれも望ましくない」が1票でした。
母数が6名なのでたまたまかもしれませんが、当事者の方とはやや違う傾向になりましたね。

この傾向の違いが生まれた理由として、下記リンク記事にある調査結果と同じ現象が起きているのではと感じました。
「障がい」表記は差別の解消に有効なのか?
この記事の中に、表記の変更によって障害者に対する態度が変わるのか、大学生を対象に検証した調査結果が紹介されており、要約すると
「表記の違いは障害者への態度にほとんど影響を及ぼしていなかったが、ボランティアで障害者と接触したことのある者は「障がい」表記のほうが尊敬のイメージが強まるということがわかった。言い換えれば、表記の効果とは、接触経験のある者の障害者に対するポジティブなイメージの向上といえる。」
という事です。

つまり、障害のある当事者に接した経験がある人のほうが「障がい」表記にポジティブな印象を持ちやすい傾向があるということ。
関係者の皆様は当然、当事者に接していますから、似たような心理効果が働いて今回の結果に繋がった可能性は無くはないと思います。
母数が少ないのでなんとも言えませんがね(笑)

アンケートではどの表記が望ましいかだけでなく、その選択肢を選んだ理由もお聞きしました。
これもグラフにまとめたので見ていきます。
(いずれも複数回答、0票だった項目は切り捨て)

まず「障害」を選んだ人から

「今の表記で問題ないと思うから」が3票と一番多く、ついで「日本語として不自然ではない/適切な表記だと思うから」が2票、「障害は個人にあるのではなく社会側が作り出しているものだと考えているから」「表記を変えることが差別解消に繋がるとは思えないから」「表記はさして重要ではないと思うから」「その他」が1票ずつ。
その他では「害を変える以前にできることがもっとあると思うから。」というコメントがありました。このコメントをしてくれた方は「こだわらない/どれでもいい」も選んでおられたので、表記なんかどうでも良い、他にもっとやる事あるでしょ、というお気持ちなのではと推察します。
全体的に「今の表記で問題ないし、変えても大して変わらないでしょ」とったお気持ちの方が多い印象でした。

次に「障がい」を選んだ人

「漢字表記よりマイルドで柔らかい印象になるから」が2票、「「害」は「加害」や「害悪」といった言葉を連想させ印象が悪い/差別につながると思うから」が1票でした。
「障がい」を選んだのは当事者が1名、関係者が2名で、当事者の方は「漢字表記よりマイルドで柔らかい印象になるから」だけを選択しておられました。
「どれでもいいけど、強いて言えば柔らかい印象になる「障がい」がいいかな」といったお気持ちのようです。
あとは関係者の方がそれぞれ1票ずつ。やはり「障がい」のほうが印象が良いから、という理由のようですね。

次に障碍を選んだ人(1名だけですがグラフのほうが分かりやすいので)

この方は
「今までずっと「障害」で認識しており、「障碍」は知りませんでしたが、「害」の字を使うと「きずつける」という意味になり、危害を及ぼしたり害悪であったりするニュアンスが出てしまうのは否めないと思います。
ひらがなの「障がい」も「さしつかえる」という意味が文字で表されず、見た目も含めてしっくりきません。
もともと使われていた「障碍」に置き換えていくのが最も良いのではないかと思います。」
とコメントしてくれていました(本当はもっと書いてくれていたのですが要約させて頂きました)。
今まで意識していなかったけど、アンケートを見て調べた結果、「さしつかえる」という意味を持ち「きずつける」といったニュアンスを含まない「障碍」が最もふさわしいのではないか、と思われたようです。

次に一番多かった「こだわらない/どれでもいい」ですが

「表記はさして重要ではないと思うから」が6票と最多でした。
ついで「どう表記しても障害そのものは変わらないから」と「その他」が4票ずつ、「今まで意識した事がなかった」「書き方をどう変えても読み方は「しょうがい」のままで変わらないから」「表記を変えることが差別解消に繋がるとは思えないから」が2票ずつでした。
なお、関係者の方で「こだわらない/どれでもいい」を選んだ方のうち2名は、ご家族に障害のある方がいると記入してくれていました。
その他の理由では、
「こだわらないけどひらがなのほうがよみやすいから」といったコメントや、
「どの表記にしてもそれぞれ思うことがあるだろうし、不快に思ったりする人が少数でもいると思うからです。」という表記問題の核心を突いたコメントがありました(これは関係者の方)。
「どれにしても変わらない、表記なんてどうでもいい」という方が多く「そもそも意識したことがなかった、言われてはじめて考えた」という方もいる印象でした。
このグラフが一番当事者の本音がにじみ出ている気がします(笑)

次に「わからない」を選んだ人ですが

こちらも「今まで意識した事がなかった」と「どう表記しても障害そのものは変わらないから」が1票ずつですが選ばれていました。
「今まで意識した事がなかった/どう表記しても障害そのものは変わらないから、どれがいいかと聞かれてもわからない」といったお気持ちだったのではと推察します。
本質的には「こだわらない/どれでもいい」を選んだ方たちと同じ感覚ではないかと思います。

最後に「どれも望ましくない」を選んだ方ですが、1名だけで理由もコメントのみだったのでグラフは省略します(笑)
どれも望ましくないと感じる理由として
「『障害』という言葉は人に対して使う表現ではないと感じているので、障害にかわるワードを希望します。」
というコメントを頂きました。
「しょうがい」という表現そのものが、人に対して使うのは不適切なので、他の表現にするのが望ましいというお気持ちのようです。
「障害をネガティブなものとして捉えない」という考えの人もいますから、そういう方にとっては確かに「障害」や「障害者」はネガティブな表現であり、望ましくないと感じるのも頷けます。

アンケート結果は以上です。
筆者の予想ではもう少し「障害」を選ぶ当事者の方が多いと思っていたのですが、「こだわらない/どれでもいい」を選んだ方が予想以上に多く、表記なんかどうでもいい、こだわらないと思っている方や、そもそも考えたことがなかったという方が多かったのが新鮮でした。
関係者の方は「障がい」を選ぶ人が多いと予想していたのですが、こちらも「こだわらない/どれでもいい」が半数だったのも少し以外でした。

またアンケートでは自由回答で、もし「しょうがい」以外にこれがいい/ふさわしい、こう呼ばれたいと思う呼称があれば教えてください、とお尋ねしましたが、これは皆さん「なし」「思いつかない」という事でした。
「しょうがい」以外の言い方ってなかなか出てこないですよね。
巷では英語の「チャレンジド」を提案する声もありますが、日本人には直感的に分かりにくいし、考え方もキリスト教的な思想から来てると感じるので文化的にも合わない気がします…(英語の話はまた別の機会に)。

またアンケートの最後に、選択質問で答えきれなかった事や、「しょうがい」の表記問題、障害者差別などについて、ご自身の意見や社会に伝えたい事、知ってほしい事などがあればご自由にお書き下さいとご意見募集したところ、多くの方が回答してくださったので一部をご紹介します。

「表記は今の障害で良い。差別というけれどその人その人の個性、自分が認めるか認めないか次第。」(身体・精神障害当事者)

「こだわらないけどひらがながいい、ひらがなはだれでもよめるから」

「ぞんざいに扱われなければ良い。」(知的障害当事者)

「表記以前の問題がたくさんある。目にみえるものだけが障害ではない。
車いすを利用する時、車いす=足が動かないというイメージが多いと思った。
車いすから離れる時にめっちゃ足を見られたり、立っているのをガン見されたりする。」(精神・発達障害当事者)

「どれでもいいが「害」という字が特別悪いとは思っていない。
本人にとってこの社会で生きていく上で障害が「害」になっていることは事実。
社会が「害」を作り出していることも事実だと思う。本人が社会にとって「害」になっているという意味で使うなら良くないがそうでないなら良いと思う。」(職員・家族)

「言葉の意味なんて時代とともに変わっていく。
「ヤバい」は昔は悪い意味だったが、今は良い方に使う。
「すばらしい」も昔は「ひどい」「とんでもない」という意味で使っていた。
「害」だって将来は良い意味で使っているかもしれない。表記なんて重箱の隅をつつくような問題よりも、もっと本質的な問題があると思う。」(関係者)

「表記問題や障害者差別を知るきっかけになれば良い」

沢山のご意見ありがとうございます。
表記は今のままで良い、それぞれ個性であるというポジティブな意見、ぞんざいに扱われなければそれで良いという至極当然の意見から、ひらがなは誰でも読めるからひらがなが良いというハッとさせられる意見や、表記よりもっと本質的な問題がある、障害の多様性がもっと認識されて欲しいという意見等々…

ひらがなが良いという意見は筆者も盲点でした。確かに障害特性上、漢字を読むのが苦手という人もいますから、バリアフリー的な観点からみればひらがなで表記する新しい表現を作るのもありですね。
といってもどんな言葉が良いか思いつかないし、日本語の場合、漢字を交えて書かないと読みにくい、意味が分からない事もしばしばなので、漢字にはルビを振るという対策をするのが今のところ現実的かなとも思いました。日本語って難しいですね…(笑)

表記を変えるよりもっと他にやる事があるだろうという意見も当然ですよね。
世間では一括りに障害者とまとめられるけど、身体、精神、知的、発達では抱える困難も必要な配慮も全く違うし、当事者同士でさえ分からない事もあります。
(筆者は気分障害と不安障害なので、同じ精神障害でも統合失調症の方や身体・知的障害を持つ方の困難は正直わかりません。同じ病名の人でも自分にはない症状がある人もいるし、逆に自分はあるけど相手は経験がない症状もあります。)
筆者も正直、車いすのコメントを見るまで「車いす=足が不自由な人」という先入観がありました(すみません…)。よく考えたらそうですよね。慢性疲労症候群や心臓疾患などで、2、3歩程度なら歩けても数メートルの歩行移動は難しいという人もいますし、安静が必要な妊婦さんや手術直後の人なども車いすを利用しますしね。
今の社会では「車いす=足が不自由」のような、障害のステレオタイプが蔓延している感は否めません。
「障害にも多様性がある」というと変な表現かもしれませんが、「障害は一人ひとり違い、状態も考え方もニーズも一人ひとり違うんだ」という認識が無いせいで、摩擦が生じてお互い関わりにくくなってるんじゃないのかと思う次第です。
障害の多様性に関しては当事者ももっと発信する必要があるし、学校教育で教えたり、政府などの公的機関や専門家の方々からももっとアナウンスしてもらいたいですね(そして世間一般の皆さんには話を聞いて分かる努力をしてもらいたい…)

脱線しました。表記問題に話を戻します。
アンケートでもこだわらない/どれでもいいが一番多かったですが、筆者も正直同じ気持ちです(笑)
変えても大して変わらないからわざわざ変える必要ないよね、というのが本音。
「害」の字を当てられる事への不快感も特にありません。
募集したご意見に「本人にとってこの社会で生きていく上で障害が「害」になっていることは事実。」ともあったように、筆者も自身の障害は自分の人生にとって文字通り「障害」でしかないと感じています。
障害のせいで働けないから収入が少ない、収入が少ないから資産形成も満足に出来ない。今トレンドのFIREなんてスタートラインにも立てない状態です(笑)
行きたい所にもろくに行けないし、やりたい事もろくに出来ない(ハリーポッターシリーズ好きなんですけど遠い&人混み無理でUSJ一回も行けてないんですよね…)
これが障害でなくてなんなのか。
自分自身の生活や人生に対して障害になっている、と感じているので、少なくとも自分の状態に対しては「障害」が一番しっくりきますし、「障がい」は正直、臭いものに蓋をしている感覚があって好きじゃないです。ひらがなにしても実情は何も変わらないですから。
「障害」がどうしてもダメなら同じニュアンスの「障碍」でもいいとは思いますが、この表記は死語に等しく、読みにくい書きにくい馴染みがない、常用漢字ではないから使えない場面がある、というデメリットを考えると今のままで良くない?と思います。
繰り返しますがどう書いても中身は変わらないので。

また、「障害」という単語は一般用語であり、ニュースなどで「システム障害が発生しました」と言ったり「障害年金」や「障害者総合支援法」など公的制度の名称にごく普通に使用されています。
「障害+他の用語や言い回し」で修飾されて差別的なニュアンスになる事はあると思いますが、「障害」という単語そのものは差別用語ではないため、使用して問題ないのではとも考えます。

そもそも筆者の場合、「表記を変えるという行為を配慮と感じない」という感覚が大きいんですよね。
「表記を変えただけじゃ何も変わらないし、そこ問題じゃないと思うんだけど」という感じです。
筆者が表記問題にモヤモヤを感じる一番の原因はたぶんこの感覚です。
社会が配慮しようとあれこれ試すのは望ましい事だけど、配慮の仕方というか方向性が違うんじゃないの?と…

たかが表記、されど表記
・どう書いても実情は変わらないから変える必要はない
・差別用語ではないから今のまま使用して問題ない
・表記変更を配慮と感じない
筆者は上記の3点から表記を変更する必要はないという立場ですが、当然人によって考え方感じ方は違うので、「障害」表記は嫌だと感じる当事者や関係者もいらっしゃいます。
「害」は「傷つける」という意味も持っているからその時点でアウトだ、というのも一つの意見ですし、自分や家族の状態を否定的に言われたくない、という気持ちもわからなくはないです。
ひらがなのほうが柔らかい印象になるというメリットがあるのも事実ですし、一人でも不快に思う人がいるなら配慮すべきだと言われたらぐうの音も出ません。

実はアンケートに「子供には障がいを使い大人には障害を使っては?」と書き込みをくれた方がいらっしゃいました。
子供の障害をなかなか受け入れられない親御さんの心理的抵抗を減らすためにこれはありかもなとは思いました。ひらがなのほうが柔らかい印象があり、漢字のニュアンスも伝わらないので多少の緩和剤にはなるかもなと。
(筆者的にはこの心理的抵抗も元をたどれば障害に対する偏見、差別、無理解から来るネガティブなイメージが原因ではと思うので変わるべきなのは表記ではなく社会のほうなのでは?と言いたくなりますけどね)。

「障がい」は嫌だけど「障害」も不快に思う人がいてNGなら「碍」を常用漢字にして書き換えを促しては?とも思いますが、筆者はぶっちゃけそこまで表記にこだわっている訳ではないのでそこまでしなくてもな…というのが内心です(笑)
わざわざ変えても現状は大して変わらないだろうって気持ちなので。

「というか、そんなにこだわってないんだったら表記なんて細かいこと考える必要ないんじゃないの?」と思った方。
まあそうなんですが、物書きをしているとそうも言ってられないんですよ(^^;)

文章を書く場合、文字一つ違うだけでニュアンスが変わってしまうので、表現というものに気を配らざるを得ないんです。
こと「しょうがい」に関しては「障害」「障がい」「障碍」のどれか選ばなければいけないし、3つとも望ましいとされる背景があるため、どれを選んでもなにがしかのメッセージになってしまいます。
たかが表記、されど表記。どれでも良いなんて言ってられないんですよね(笑)

おそらく、企業や行政もこのあたりの問題には苦労してると思います。
どれを選んでも突っ込みやクレームが来かねないですからね。
記事冒頭で触れた表記ごちゃ混ぜ問題もこうした事情が背景にあるのかもしれませんね。
(個人的には表記を統一しないのは方針が中途半端にしか見えないし文章の見た目も悪いので最悪手だと思いますが…)
しかし、どれを選んでもクレームが来るというのは対応に困りますよね。
そういう場合どうするか、筆者的には
「使う表記を自分たちなりの考えで選び」「選んだ理由を明確に説明できるようにする」のが正解じゃないかと思います。
クレームが来たら「私たちはこのようなポリシーからこの表記を使っています。数ある意見の中の一つとして捉えて頂きたい」と。
表記問題に正解はないですから「自分とは違う考え方だけど、その意見も一理あるな」とお互い納得できればとりあえず衝突は避けられます。
特にメディア関係の方々にはこれやって欲しいなと思っています。
特に障害について扱うのであれば、表記に関する方針を決めておくのは基本では。
現にNHKは2020年東京五輪に向けて検討会を開き、当面は「障害」表記でいくと決めたみたいです。
第1441回放送用語委員会(東京)2019年11月22日「障害」の表記について
(客観的資料としてはこちらの方が余程参考になるので良ければ目を通してみてください)

で、こう言ったからには筆者も当然どれにするか選ばなければいけないわけですが、筆者はこれからも基本的には「障害」表記を使用していくつもりです。
理由はすでに述べた通りですが、もう一つ、当事者の自分があえて「障害」を使うことにそれなりの意味があると感じているからです。
なぜなら企業や行政の場合、当事者団体等から「変えてくれ」と言われたら、内心どう思っていようが変えざるを得ないと思うんです。
・どう書いても実情は変わらないから変える必要はない
・差別用語ではないから今のまま使用して問題ない
この理由を当事者の筆者が言うのと企業や行政が言うのとでは、聞こえ方が全然違いますよね(^^;)
表記にこだわらない人や変える必要ない派の人はわざわざ「変えないで」なんて言わないし、企業や行政は不特定多数が相手ですから「不快に思う人が一人でもいるなら」という配慮もあって、現状ではどうしても「障がい」表記が採用されやすい状態になってしまうのかなと。
しかしアンケート結果でも出たように、「どれでもいい」「変える必要ない」と思っている人も一定数いるわけです。
当事者である筆者があえて「障害」表記を選ぶことで、表記にこだわらない派、変える必要ない派の存在も認知してもらい、変えない理由を聞かれたときに自分の意見を話して障害について理解を深めてもらえたらな、という思いがあるので、これからも基本的には「障害」を使用します。
変えるとしたら、団体名などの固有名詞の表記に合わせる場合、(機会があるか不明ですが)障害のある方を取材して書く時にご本人の要望があれば、のどちらかです。

ただ筆者の場合、「障害」は使うけど「障害者」の表現は極力使いたくないとも思っています。この記事でも一貫して「障害のある方」や「当事者」等と表現しているのにお気付きでしょうか?
自分の事も「精神障害があって~」等とは言いますが「精神障害者で~」とは言いませんし、他の人に対しても「○○さんは障害者で~」ではなく「○○さんは障害をお持ちで~」等と言います。
人というのは様々な要因から構成され「その人らしさ」や「人格」がみんなそれぞれあり、障害はその人を構成する要因の一部であるため、障害は「ある」とか「持っている」と表現する方が正確だと思っています。
「障害者」は「男性」「女性」「日本人」等のように、人を属性で分ける時のカテゴリーの名称で、「障害者福祉」のような概念を指すのには必要だけど、個人に対して「障害者」と言うのはその人の障害を前面に押し出し、その人らしさや人格を無視してしまうようで望ましくないと感じているためこのような方針を取っています。
もっとも、メディア等でも個人に対して障害者とはほぼ使わないので、これは言う必要ない話かもしれませんね。

3通りあるのも悪くない
しかしこうやっていろいろ考えてみると、否定的に感じていた「障がい」の表記も悪くないのかなと思うようになってきました。
表記そのものの効果ではなく、「配慮のために表記を変える」⇒「表記を変える以外に出来る配慮はないのか」「表記を変えるのはそもそも配慮なのか」「他にやるべきことはないのか」など、表記をきっかけに様々な議論を巻き起こす効果があるからです。
人間、自分に関係ない事は他人事ですから、なかなかマイノリティの問題というのは認知も議論されにくいものです。
しかし、表記の変更によって「なぜ変えたんだろう?」と少なからず皆疑問に思うし、頭の片隅には引っ掛かるはず。
文章に書かないわけにもいかないから自然と考えるし議論にもなり、社会全体を当事者にして話し合いのテーブルに着かせることができる。
表記を変える、そしてそれについて考えるのには、そういう効果が期待できるのではないかなと思いました。
一番問題なのは「問題が認知されない事」であり、表記という表面的な問題でも議論されるだけマシなわけで。そう考えると、3通りの表記があるのも悪くないかなと。

理想は当事者も関係者もそれ以外の人も、社会全体で「この表記でいいよね」と総意ができ、他の議題がメインになる事だと思います。
社会がその域に達するのは果たして何年後でしょうかね…

最後までお付き合い頂きありがとうございました。
表記、皆さんはどうするのがベストだと思いましたか?
「しょうがい」以外の表現も思い付いたら是非コメントください。
感想お待ちしております。
静野沙奈巳

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