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子供を持つ親の責任と負担〜言葉は命を救えるか?岩永直子

突然ですが、皆さんはNIPTという言葉をご存知でしょうか?
胎児の染色体異常を調べる検査で、要するにお腹の中にいる子供に染色体異常がないか(ダウン症だったりしないか)を調べるものです。

日本ではあまり一般的ではないようですが、海外では割とメジャーな検査だそう。
目的としては自主選択の機会を増やすため、ということになっています。

自主選択の機会を増やす。
聞こえはいいですが、言葉を選ばずにいうと
「もしお腹の中にいる子に障害があった場合、中絶するか否かを選べる」
選択肢を提供する、ということかと思います。

障害の有無で命の選別をしても良いものか

自分もまだ明確に答えがあるわけではないのですが、この考え方には少し素直に受け入れ難いモヤモヤが付き纏っています。

自分も小さい子供を持つ身として、障碍者を持つ親の苦労には大変なものがあることは推測に難くありません。
程度にもよるかと思いますが、一定程度以上だと本当に親の一生を左右する場合もある。自分の知人の子供は十度の心臓病を患って生まれてきたため、知人は多額の医療費を払い、静岡にある専門の病院に結構な頻度で通っていました。

「それが親の使命だ」といってしまえばそれまでですが、そういった世間の目や空気感というのは、少なからず障碍や重病を抱える子供を持った親には、精神的な負担となってのしかかっていると思います。

そういった障碍児を持つ親の大変さを見るにつれ、選択機会の提供という観点から出生前検査は推進されるべきという風潮に納得はできるものの、じゃあ検査で異常があったら中絶しても良いのか、という問題には自分は現在のところ答えが出せていません。(他の方がどういう選択をするか、というのに賛成も反対もありませんし、各人・各家族で決めるべき問題かと)

なんとなく、生まれる命の殺生を他人の判断に委ねるということにモヤモヤが晴れないというのが正直なところです。

脳死に近い状態の娘と14年暮らした記録

本書のうちの1つの章では、西村帆花さん(14)という出生時に低酸素脳症となり脳死に近い状態となってしまった女性とその周囲の方々が描かれています。

帆花さんが退院した時には、気管に痰がつまり死にかけたこと、母親が過労で倒れ救急車で搬送されたことなどに触れられています。
終わりのない介護、いつも目を離せない緊張感。
その苦労は想像するのも難しいほど。
徐々に支援の体制は整っていったようですが、お世話には両親の身体的・金銭的・精神的な負担がかかることは間違い無いでしょう。

世間からは
「こんな状態で生きていて楽しいのかわからない」
「無理やり生かされてるのでは」
という、オブラートに包まない心無い言葉も寄せられることがあるようですが、母親は本人の意思で呼吸し、生きていると答えています。

そんな西村さん家族を支援する体制は多少は整ったものの、まだまだ十分とはいえず、”週3回自室で眠れるようになった” 程度の改善だそう。
もちろん、リソースは限られているわけですから全国民が満足する十分な支援なんていうのは現実的に不可能かもしれません。

子供を産みましょう!という前に・・・

少子高齢化への対策として、昨今、子供を産むことを推奨するような政策が数多くなされているのは肌で感じているところです。
保育のや高校の無償化、さまざまな制度の改善。
是非推進していってほしいと思います。

でも、生まれた子供を育てやすいようにする、という視点の他に「安心して産める」という体制を整えるのも同じくらい大事な気がします。
自分の知るうる範囲で障碍者の両親のご苦労を聞いていると、子供を産むという選択に非常に慎重になるのは今の日本の状況を見ると仕方ないのかな、とも思ってしまいます。

自分の子供が大きくなった時に、もっと自由に、もっと多様な選択肢のある日本にしたい。そう願ってやみません。

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