おばあちゃんと報酬と小石。

こんにちは。


人間って本当に面白いです。


特に子供は本当に面白い。


僕実は高校で政治経済系の
勉強を少ししていたのですが

そこで「報酬」について習ったのです。


報酬とは本当に
人間を狂わせる罪深い概念です。


人間は常に報酬のために
行動しているといっても
過言ではない。


例えばわかりやすい王道でいうならば
労働ですよね。


アルバイトは多くの大学生の時間をむしばみ、 
会社勤めは人生の多くの時間をむしばみます。


むしばむというと、
否定的に聞こえるかもしれませんが
ここでは中立的に聞いてください。


それでも、人々は給料という「報酬」のためなら
少々の苦難を乗り越えて法外な労働にも
無心に食らいつくことがしばしばあります。


女の子を見てみましょう。


女の子は褒めてもらうことが
大好きです。(僕が思うに)

頭なでなで、可愛いといわれる、
抱きしめてもらう。

こういった男性からの
承認に対してとても敏感な傾向があります。


これは愛とでも言いましょうか。


愛、または承認という「報酬」の一種です。


子供もそうですよね。

嫉妬、駄々、泣きわめくこと。


すべて親からの承認、といった「報酬」が
多かれ少なかれ絡んでいます。


はたまた、動物を見てすらも
報酬の威力を認めざるを得ません。


もうお分かりのように、
エサという「報酬」がなければ
お手をしつけることはできません。

もしエサがなくてお手をしたとしても
飼い主様からのなでなでやえさを
求めていることは想像に難くありません。


このようになかなかに強力な
性格を内包している「報酬」について
興味深い知見を得たので今回は
記事にしようと考えました。


それこそ、「報酬のすり替え」という
モノにほかなりません。

人は誰しも「報酬」を求めますよね?

そこで注意したいのが
報酬」は一種類ではないということです。


複数の報酬が存在するということですね。

これも想像には難くないですよね。


所謂、バイトでいうならば
お金、友達、職場経験、まかない。。。

いろいろな求める「報酬」のなかで
相対的に最も求めるものがお金、という
位置づけになるという意味です。


ここで改めて本題の
報酬のすり替えについて。


まずはたとえ話から聞いてください。


有名なものなので知っている方も
いるかもしれませんね。


あるところに悪ガキがいました。

悪ガキの趣味は近隣住民の
庭に小石を投げ入れるという
なんとも反社会的なものでした。

それに懲りた近隣住民の中には
ある頭の切れるおばあさんがいて
彼女はある解決策を思いつきます。

やーいいい!

今日も悪ガキは小石を投げにやってきました。

すると、小石を投げ入れられたおばあさんは

おお、本当にありがとうね…
 お礼に100円上げますよ…


と言ってお金をあげるんです。

悪ガキはとまどいつつも気をよくします。

次の日も、少年はやってきて
小石を投げ込みます。

ありがとうねぇ…

そう言って200円を払います。

次の日も、その次の日も
おばあさんはお金を差し上げます。

そうしてある程度たったらこういうんです。

今日も投げてくれてありがとうねぇ…
 でも今日からはお金が無くなっちゃったから
 もうあげることはできないんです…

 
次の日から少年が小石を投げ入れることは
ぷっつりとなくなりましたとさ。

めでたしめでたし。

という何とも小気味のいい話があるわけです。

ここで行われていることは
報酬のすり替え」です。

繰り返しになりますが。

しかも、相対的に求めているお金という
報酬」にうまくすり替えた様が
とても普通のおばあちゃんがなせる業では
ないな、と心から感じます。


この話は本当に考えさせられます。


悪ガキという子供に
しかりつけるなどという方法ではなく、
実に心理を巧妙に操ってのけたわけです。


あなた自身しかりつけるという
悪手を取ってしまったなという
経験はたくさんあると思います。


報酬の操作」という
新しいこの手法はぜひ
学んでみてはいかがでしょうか?


あなたの貴重なお時間で、僕の稚拙な文章をお読みいただき本当にありがとうございました。何か改善点、ご意見などおありでしたらお気軽にコメントいただければ幸いです。