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たるもの、でなくても

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#思い出

手作りブランコ

手作りブランコ

数年前のある日、父から連絡が来た。

「孫たちが大喜びするモンが出来たぞ」

何かと想像を超えてくることを予測し、送られてきた画像を開くと、祖母が生前、植木や花を大切に育てていた小さな敷地の一角に立っている大木に、何やらぶら下がっている。

おお!手作りブランコではないか!

これはすごい!!!っと一瞬浮き上がる気持ちと同時に、その画像が私の頭の中でゆっくりと動き出す。

ちょっと待てよ…。

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とんでもハネムーン記(後編)

とんでもハネムーン記(後編)

※(前編)はこちらから
※(中編)はこちらから

1.思い出の人物たち

私たちの念が通じた。
何と、全日程満室御礼。ということは、この部屋に最終日まで泊まれることになったのだ。

(神様、帰りの水上飛行機、大丈夫ですよね?)

そんな中で、たくさんの人々に出会った。印象的な方たちを思い出しながら書くことにする。

-----ルームキーパーのおじちゃん-----

私たちの部屋を毎日メイキングして

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とんでもハネムーン記(中編)

とんでもハネムーン記(中編)

※(前編)はこちらから。

1.イルフシ到着からの奇跡

パイロットにこそ一抹の不安がよぎったものの、私たちは無事にイルフシ島に降り立つ事ができた。さっきまでの事が嘘のように、日本人と見られる同じツアー客の集団が見え、何もなかったかのように合流することができた。

その後、団体チェックインは終わったが部屋案内まで待って欲しいとの連絡。

まぁいい。

エメラルドグリーンの海に、
燦々と降り注ぐ太陽

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思い立ったが吉日か?

思い立ったが吉日か?

1.若さって本当にあるんだぜ誰しもが思う。

"ずっとこのまま"だとか、"いつでもできる"だとか。
そんな訳がないことを分かっているのに、その瞬間はまるで信じようともせず、当たり前に不変を決め込む。

しかし、例えば有りあまるお金を手に入れ、バキバキにヒアルロン酸を打つことに財を費やさない限りは、おおよその人間に老いはやってくる。

スポーツすることだけが好きだった私など、膝が痛くて思うように走れ

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後にも先にも

後にも先にも

贈られるもの贈りもの、お土産、プレゼント…。
私たちは生きていく中で、時に人から何かを贈られることがある。

小さい頃であればクリスマスや誕生日、大人になってからお歳暮やお中元、旅行のお土産…そんなところだろうか。

例えばそれが、公園で小さな子どもが寄ってきて、

「これをあげる」とどんぐりを手の平に乗せてくれることも、贈りものとして受け取りたい。

そんな今までの人生の中で、

後にも先にもあ

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出会いは突然に、そして時に

出会いは突然に、そして時に

回想してみる

私は現在、関西に住んでいる。
高校を卒業して関西の大学に進学し、そのまま働きに出て、結婚して、子供が産まれて、なんやかんやと今に至る。
今年の春で20年。
あっという間に生まれ故郷で過ごした期間よりも長くなっていることに驚く。

関西に出てきた理由は、そんなに多くはない。

”人がおもしろそうだから”

あとは…いや、もしかしたら、それだけかもしれない。小学校の文集に書いた「関西に

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コモノート

コモノート

1.コモノートとは

まずは、タイトルにあるコモノート。はて?と思われる方もいるかもしれない。実際に私も今回書きたい内容について調べ物をしている際に初めて目にした言葉である。

生物学の中に出てくるのだが、何やら難しいことがたくさん書いてあるので超簡単に説明させてもらうと、

地球上の全生物は一つの祖先生物から進化してきたのではないかという考えが広まって、それをセナンセスターとか、プロゲノートとか

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はじめてのアルバイト

はじめてのアルバイト

1.九州から関西へ

私の生まれは坂と階段の町、そして美しい港がある長崎である。生まれてから高校までの18年間、この異国情緒あふれる故郷で過ごした。

小さい頃から運動が大好きだった私は、中・高は部活に明け暮れ、母の手伝いもろくすっぽせず、ましてアルバイトなども大学に入るまでしたことがなかった。

幼い頃から漠然と日本のイタリアとも言われる関西に興味があり、どうしても行ってみたかった。

日本中の

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人類みな兄弟 vol.3

人類みな兄弟 vol.3

※前回投稿した人類みな兄弟 vol.2 の続編です。
まだ読んでいない方は人類みな兄弟 vol.1からとっかかってくださいませ。

-----イタリア・ヴェネツィアにて-----

旅も終盤、ドイツからオーストリアを下り、その後イタリアへ。そろそろ一行にも疲れが出ているころではなかろうか。いや、そんなはずはない。

言わずと知れた水の都、イタリアはヴェネツィアにおりたったのであるからして、テンショ

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人類みな兄弟 vol.2

人類みな兄弟 vol.2

※前回投稿した、人類みな兄弟 vol.1 の続編です。

----オーストリア、ハイリゲンブルートにて----

ここはグロースグロックナーという氷山の麓にある、比較的小さな地区だったと思う。

出発する前から大興奮していた父だが、この地区にはさらなる思い入れがあった様子で、以前にも泊まった、とても素敵なゲストハウスにできればもう一度辿り着きたい!と出発前から口にしていた。

とは言え、5年ほど前

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塩のなる壁

1.あのころ私の地元は坂と階段だらけの街。港から見上げると、まるで家々がレンガのように積まれているかのような、独特の景色が見られる場所である。
実家もまさに山肌の段々畑に並んで建って見える、そんな立地だった。

ふと思い出す、小学校までの通学路。
学校まではとにかく下る下る。
そんな毎日。

朝、幼馴染と家の前の階段を下りたところで待ち合わせ、狭い石道を通り抜けていく。
神社の下あたりから、道幅が

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あの日の撃退法

あの日の撃退法

私の地元は山と坂の町、車がないとなかなか大変な地域である。中学から始めた陸上は、高校でも一生懸命に続けていた。なんなら陸上のために受験した進学校だったので、勉強は二の次で、朝もはよから朝練、試合前であればお弁当を食べて昼練、授業が終わって夕練という陸上漬けの日々を送っていた。

学校まではバスがあったのだが、そのバス停というのが、山の頂上まで上った先か、ふもとまで下った街まで行かなければならず、な

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コドモノアソビ

コドモノアソビ

1.外遊びをするまで子どもの頃を思い返すと、今の時代とは違い、ゲーム機の勢いが出始める、まさに真っ只中だった気がする。

私といえばお人形遊びなどに全く興味が無く、もちろんゲームもしたかったのだが、5歳年上の兄に、指一本触る事を許されてなかったので、兄が帰宅までのわずかな時間に、異常な緊張感を持ってこっそりするのが常だった。兄が外の門を開けた音が僅かでも聞こえたら、電光石火の速さでテレビ台の下にゲ

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音楽のチカラは母をも

音楽のチカラは母をも

1.私の母今回は、音楽と母にまつわる話をしたいと思う。私の書くものには度々登場する母。私を大きく育て上げてくれた母。そんな母を漢字一文字で現すならば、

「凛」

これに尽きる。今は還暦も超え、アルコールが入れば饒舌になるが、私が実家にいる時分は四六時中喋っている陽気な父の横で、多くは語らず、"フフフ"と笑うぐらいの物静かな母だった。
そして、私からは想像できないかもしれないが、ひかえめに言っても

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