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コドモノアソビ

1.外遊びをするまで

子どもの頃を思い返すと、今の時代とは違い、ゲーム機の勢いが出始める、まさに真っ只中だった気がする。

私といえばお人形遊びなどに全く興味が無く、もちろんゲームもしたかったのだが、5歳年上の兄に、指一本触る事を許されてなかったので、兄が帰宅までのわずかな時間に、異常な緊張感を持ってこっそりするのが常だった。兄が外の門を開けた音が僅かでも聞こえたら、電光石火の速さでテレビ台の下にゲーム機を片づけた。

ごっこ遊びらしきことでいえば、束になった新聞広告の中から、晴れ着・訪問着が大量に載った着物屋と、これ見よがしにギラついた宝石屋のチラシを見つけてハサミで切り取り、ペラペラの着物は横にした爪楊枝に貼り付け、たくさんハンガーのように吊り下げ、その前にはペラペラでギラギラの宝石を並べて、どこかの街の裏通りに存在していそうな怪しげなお店屋さんごっこを楽しんでいた。

残った時間といえば、やはり外遊びだった。
九州の田舎の山の上。
遊べるものがそこらじゅうに転がっている環境だったなと、子育てをしている今は心から思う。

2.アリを見たら…

友達が少なかった訳ではないし、どちらかと言えば大勢で遊ぶタイプだったが、時々の1人遊びにもハマってしまうと非常に長かった。今も変わっていない、私の中の性質でもある。

当時ハマった遊びのひとつは、アリの行列を見つけるところから始まる。実家の庭には植物もたくさん生えていたので、いろいろな種類の昆虫たちに出会えるのだが、アリの行列を運良く見つけた日、私の遊びは決まっていた。

アリさんに手渡し配給遊び

これが、最高に面白い。

①まずは、小皿に砂糖をひとつまみ用意する。
②そして、爪楊枝を1本。これが準備できたら、
③アリさんの行列を前に、出来るだけ視界をアリ目線に近づける。(必須)
④爪楊枝の先端を若干ペロリと湿らせて、
⑤ひとつまみの砂糖から、一粒だけ先端にくっつける。

それを、アリの行列のひとりに差し出すと、口ではもちろん、なんと、両手で受け取ってくれる時があるのである。

アリの行列というものは、連結同然の距離感。過酷な道のりを生死をかけて移動するのだから、次の一粒を爪楊枝の先に付ける間に、どんどんと先へ行ってしまい、新しいアリたちがやって来る。

集中しないと出来るだけ多くのアリたちの手元に届けることができないのだ。全員に配給することは不可能だが、とにかく手持ちの砂糖が無くなった時、この世で自分1人にしか分からない、謎の達成感で満たされるのである。

絶対に信じてもらえないだろうし、ひょっとしたら1人か2人ぐらいは友人が減るかもしれないが、コレだけは言わせて欲しい。

時々、受け取った後、お辞儀する礼儀正しいアリがいる。

皆さん。大人も子どもも関係なく、人に迷惑のかからない場所で、アリの行列を探して一度お試しあれ。

3.石を見たら…

この話は、正直本人である私は覚えていない、小学校低学年の頃のお話。

私は山の上に住んでいたため、急な坂を下り切った先にある小学校へ歩いて登校していた。

行きはずっと下りだったので、時にはいっきに駆けおりるのを楽しんだ。今思えば、あんなにも急な坂を全速力で走り下りるなんて、一歩間違えば【顔面総ズル剥け事件】が起きかねない。
その事件の記憶は今のところ思い出せないので、当時の小さな私の脚力に拍手を送りたい。

帰りは一転。ほぼ登山に近い坂道になる。舗装されたコンクリートの道とはいえ、その傾斜に太ももやふくらはぎは軽く悲鳴をあげる。
観光客が他所行きの格好で地図を持って、この世の終わりみたいな表情で登ってくるのを帰省時はよく見かける。

そんな坂を、卒園したての年から毎日歩いて上り下りする。全て平坦の通学路を「遠い遠い」と嘆いている我が子たちに歩かせてやりたいものだ。

そして、その登山ともいえる下校には登校時よりも時間がかかった。その心情は本人すら知らないのだが、きっと今から書く遊びは、長く感じる帰り道での暇つぶしだったのだろうと思う。

石の路上キャッチ&自宅リリース

駆け抜けていく間には見えなかった地面の石たちが、なかなか前に進まない下校時間の私には、はっきり見えたのだろう。
その石たちは、私の服についている、ありとあらゆるポケットに次々と詰め込まれる。

母曰く、帰宅するとポケットがパンパンなのだそうだ。そして、そのまま様子を見ていると、何を思うのか庭に撒きに撒きだす。撒き散らかす。

"貴女は…一体何をしているんだ…"

母がそう思うのも無理はない。
日に日に庭に不要な石が増えていくのだから。自分だったら、まだ見ぬ未来の庭が石だらけになるのは御免だ。しかし、母に石を拾って帰ってくるなとも、撒くなとも言われた記憶は一度も無い。そもそもどちらの記憶もないのだが…(笑)

そこから数十年の時が経ち、私は母にこんな相談をした。

「どこからか知らないが、息子たちが山ほど石を拾ってきて玄関先に置いている。割って遊んだりして、めちゃくちゃ困っている。外に出たら砕石場かと思った。」

母はこう思ったそうだ。

"どの口が言ってんだ"


4.遊びの変化

現代社会はSNSやオンラインゲームなど、当時の私たちが想像もしなかった世界になっている。子どもたちの脳への刺激は、あの頃からすると比にならないと思う。

大人にも中毒性のある、この魅力的な時代に子育て期を迎えてしまい不安もあるのだが、私は全てが悪だとは思わない。しかしながら、やっぱり私は子どもは山猿であって欲しいと強く願うのも事実。

今のこの国では、勉強やパソコンができればできるほど、将来の収入に繋がる。そんな事実がはっきりと突きつけられているが、私は勉強だけをしてきた人の中に、例えば大災害が起こって衣食住が脅かされた時、木を拾って来て小屋を建て、蛇の皮を剥いで丸焼きにしてくれる人間がどれだけいるのだろう、などと考えてしまうのだ。

なので、両方のスキルを子どもには身につけて欲しい。(もっとも、アリや石で一人遊びをするだけの人間らしい発言ですね。)

機械を触れる山猿が私の理想像であるのですが、(勉強はさておき)少しは近い形で育ってくれているのを見ると、ウフフとなってはいる今日この頃。

今の時代の子どもたちが大人になったとき、一体どんな世界になっているのでしょうね。
大人が上手に見守りつつ、コドモノアソビを堪能して欲しいものです。

おわり

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