donny
純度99%のエッセイ
エッセイ"たるものでなくても"からは少し角度を変えて、書いてみたいと思います。
新しい事を始める時は、気持ちなり環境なりに今までに無かった変化を伴っている。 これまでの経験上、そういう気がしてならないが、今まさにこの文を書こうとしているあたり、きっと私の中になんらかのそれがある。 次から次に… あれもこれも… なんやかんや… つまりは飽き性も甚だしいということを、良くも悪くも夫や両親から言われるのであるが、それはそれでまぁ、したい事は全部やらないと気が済まないので、チャレンジャー精神とみなして片目ぐらいはつぶってくれ。 (もはや、ここからが ごあい
なんともう9月!! 新しく仕事を始め、なかなか時間がとれなくなりましたが、早く書きたい!
1.呼び名 102歳で天国へ旅立った私の父方の祖母。 私の大好きな「おばあちゃま」 父方の血筋は、なぜかこの呼び名が代々続いている。 もちろん私の息子たちも、両親を「じいちゃま、ばあちゃま」と呼ぶ。 幼い頃は何の違和感も無く呼び、物心がついてくると、ちょっとよそと違う呼び方なのだと気づき、人前だけで「おばあちゃん」などと呼んだりする。 そしてまた、そこを通り過ぎるとその呼び名がかわいらしく、素敵で、格好良くて、誇らしくなる。 明治の時代から一世紀を駆け抜けた、そん
大変ご無沙汰しておりますが、書きたい欲はふつふつと。 今、別の集中力が必要であるため、一旦休憩です。 ですが、また必ずしたためにまいります!!! donny
数年前のある日、父から連絡が来た。 「孫たちが大喜びするモンが出来たぞ」 何かと想像を超えてくることを予測し、送られてきた画像を開くと、祖母が生前、植木や花を大切に育てていた小さな敷地の一角に立っている大木に、何やらぶら下がっている。 おお!手作りブランコではないか! これはすごい!!!っと一瞬浮き上がる気持ちと同時に、その画像が私の頭の中でゆっくりと動き出す。 ちょっと待てよ…。 その、なかなかのロープの長さ。 ブランコは一体どこまで揺れるだろう。 文字では
人類みな兄弟 vol.1はこちら。 ふと思い出した人類みな兄弟シリーズのサイドストーリーです。 1.礼儀も文化 私たち一行は、最終地のローマにいた。 コロッセオに圧倒され、すべての道はローマに通ずを肌で感じていた。 この旅での宿係は以前書いたように私であり、インフォメーションで紹介された、おおよその価格帯のホテルからひとつを選んでそこへ向かった。 ローマは想像していたよりもずっと大都会だったと記憶しているので、今はもっと近代的になっているのかもしれない。 ホテル
悲しいか それはお前が招いたことだ 二度と繰り返さないよう 幼い子どもたちは何度も何度も刷り込まれた 嫌だった 辛かった しかし、大きくなり 親族が目の当たりした話を聞いた その一瞬で醜い戦いが身近なものになった 人が 焼け焦げた栗のように顔を腫らし 橋の上で木のように立ったまま死んでいる その横を幼子を連れて走り抜ける 命からがら焼け野原を駆け抜ける お前の家族にも同じ思いをさせるとしたら? 人は考える 考えて伝えることができる 君の一言が
※(前編)はこちらから ※(中編)はこちらから 1.思い出の人物たち 私たちの念が通じた。 何と、全日程満室御礼。ということは、この部屋に最終日まで泊まれることになったのだ。 (神様、帰りの水上飛行機、大丈夫ですよね?) そんな中で、たくさんの人々に出会った。印象的な方たちを思い出しながら書くことにする。 -----ルームキーパーのおじちゃん----- 私たちの部屋を毎日メイキングしてくれたのは、インド人っぽい、もうまさにガンジーの生まれ変わりか、もしくは本人だっ
※(前編)はこちらから。 1.イルフシ到着からの奇跡 パイロットにこそ一抹の不安がよぎったものの、私たちは無事にイルフシ島に降り立つ事ができた。さっきまでの事が嘘のように、日本人と見られる同じツアー客の集団が見え、何もなかったかのように合流することができた。 その後、団体チェックインは終わったが部屋案内まで待って欲しいとの連絡。 まぁいい。 エメラルドグリーンの海に、 燦々と降り注ぐ太陽。 ウッドデッキに、 これでもかというほど心地よさそうなビーチベットが所々に並べ
1.飛び立つ先 高校を卒業し、関西で一人暮らしを始めたときには、家事のひとつも満足にできなかった私である。 洗濯機のボタンの押し方から戸惑っていたし、自炊も気が向いた時にしかせず、整理整頓も大の苦手であった。 しかし!そんな私も2009年に晴れて結婚することとなる。 おおよそ同じ温度で物事をとらえる私たちは、結婚願望も結婚式願望もなかったのだが、両親たちや親族の想いに応える一心で、小さな挙式は行うことにした。 動画・写真撮影を当時のバンドメンバーにお願いしたのだが、人
1.若さって本当にあるんだぜ誰しもが思う。 "ずっとこのまま"だとか、"いつでもできる"だとか。 そんな訳がないことを分かっているのに、その瞬間はまるで信じようともせず、当たり前に不変を決め込む。 しかし、例えば有りあまるお金を手に入れ、バキバキにヒアルロン酸を打つことに財を費やさない限りは、おおよその人間に老いはやってくる。 スポーツすることだけが好きだった私など、膝が痛くて思うように走れなくなるとか、サッカーボールを追いかけているのに、顔が足を追い越して転けそうにな
贈られるもの贈りもの、お土産、プレゼント…。 私たちは生きていく中で、時に人から何かを贈られることがある。 小さい頃であればクリスマスや誕生日、大人になってからお歳暮やお中元、旅行のお土産…そんなところだろうか。 例えばそれが、公園で小さな子どもが寄ってきて、 「これをあげる」とどんぐりを手の平に乗せてくれることも、贈りものとして受け取りたい。 そんな今までの人生の中で、 後にも先にもあの日、あの時、あの一回こっきりであろう贈り物をもらったことがある。 今回はその
はじめに大昔の記憶というものは、時に自分に都合よく書き換えられていたり、複数のものが混ざり込んでしまっている場合がある。 もちろん、少しの狂いもなく記憶が残っている事や、それが得意な人とも時々出会うが、幼い頃にキョウレツに焼き付けられた記憶だとしても、時にそんな事実はなかったと告げられる、あの瞬間、頭の中に当たり前に存在し続けていた一部が、急にぽっかりと空いたりする。 そんな記憶のいくつかの、答え合わせをしてみたくなった。 今回はここに書ききった上で、その事柄の答え合わせ
①書きたい欲のはじまり 「将来の夢はなんですか?」 数え切れないほど投げかけられたこの問いに対して、一番小さい頃の記憶は動物のお医者さんだったと思う。 保育園で、大きな画用紙にその絵を描いたのも薄らと思い出す事ができる。 しかし、世の中を知るにつれ、こんなに世界は知らないものだらけなんだと、是非やってみたいと思うことも山ほど増えていくのである。 スポーツ選手、歌手、その他色々。 その中のひとつに【何かしらの作家さん】という漠然とした夢があった。 小説家… 詩人… 童
回想してみる 私は現在、関西に住んでいる。 高校を卒業して関西の大学に進学し、そのまま働きに出て、結婚して、子供が産まれて、なんやかんやと今に至る。 今年の春で20年。 あっという間に生まれ故郷で過ごした期間よりも長くなっていることに驚く。 関西に出てきた理由は、そんなに多くはない。 ”人がおもしろそうだから” あとは…いや、もしかしたら、それだけかもしれない。小学校の文集に書いた「関西に行って、国際結婚する」という、不思議な夢の半分は達成できていることになる。 そ
1.コモノートとは まずは、タイトルにあるコモノート。はて?と思われる方もいるかもしれない。実際に私も今回書きたい内容について調べ物をしている際に初めて目にした言葉である。 生物学の中に出てくるのだが、何やら難しいことがたくさん書いてあるので超簡単に説明させてもらうと、 地球上の全生物は一つの祖先生物から進化してきたのではないかという考えが広まって、それをセナンセスターとか、プロゲノートとか色々な呼び方で呼ぶらしいのだが、かなりしっかりとした遺伝の仕組みを既に備えている