Miho

編集者&ライター。3児の母。

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記事一覧

未亡人日記62●沈黙の海

「沈黙」の舞台の一つだから「沈黙の海」と名付けてもいいかもしれないけれど、そうでなくて、そもそも海自体が沈黙している印象だった。  海辺で育っていればその人だけ…

Miho
1か月前
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未亡人日記61●銀座の歩行者天国で、愛を叫ぶ

 自分で着物を着て、銀座まで来られるようになったけど、だからといって褒めてくれるあなたはもういません。  と、そういう短歌か、俳句がふっとできればいいんだけど、…

Miho
1か月前
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未亡人日記60●FIRE! 荷風

電車に乗るのが好きなのだ。できればいろんな電車に乗りたいのだ。 今日は息子を迎えに成田まで行くのであるが、新宿からどうやって行こうかな? と行き方を調べてい…

Miho
2か月前
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未亡人日記59●サン・レミに置いてきたもの

 「後期印象派のゴッホの足跡を訪ねる旅」に結果としてなったのは、アルルを訪ねたからである。私はビゼーが好きで、ビゼーと言えば「アルルの女」である。ファランドール…

Miho
4か月前
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未亡人日記58●エクサンプロヴァンスにて その2

 広場を四角く囲んでいるマーケットの中にある日本のブースに滞在中何回も行った私は、やはり一人旅で寂しかったんだろう。その日も私はフラフラとマーケットに向かったの…

Miho
4か月前
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未亡人日記57●エクサンプロヴァンスにて

 悲しみはもう私の肌の中に潜り込んでなかなか出てこないようになったのに、不意に温泉のように噴き出すことがあって、それは体育館でやってきた。息子の試合を見ながら、…

Miho
4か月前
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未亡人日記56●キセキ

 母が転倒して、意識が戻らない日々が続いていた。  古い病院のICUに母を見舞うと、口の端から人工呼吸器が繋がれていた。血圧や心拍数や血中酸素濃度がピコンピコンあ…

Miho
5か月前
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未亡人日記55●長崎の奇跡

 母は「長崎の鐘」がラジオから流れてきた時代の話をたまにしていた。  永井博士の話も覚えていた。胸が潰れるような気持ちで聞いたという。そして話の最後には必ず「憧…

Miho
5か月前
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未亡人日記54●DRIVE

「あなたを誰がうちに送って行くの、今夜?」  そんなふうにCarsのベンは歌ってたな。あれは私が高校生の秋だ。多分、新人戦の帰りだったんじゃないかな? 試合の帰りの…

Miho
7か月前
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未亡人日記53●池袋ウエストゲートパーク

  東武東上線の発車のベルは、なぜかモーツァルトの「ディベルティメント」なのである。 一緒に電車乗り込んだ、東武東上線と全く生活圏が擦り合わない再従姉妹(はとこ…

Miho
11か月前

未亡人日記52●ハッピーロードへようこそ

   春になると動物の赤ちゃんが生まれるニュース記事がどんどん出てくるが、人間だってそう。春先になると急に赤ん坊を抱えたお母さんたちが目立つような気がする。  …

Miho
1年前
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未亡人日記51●一筆書の旅 その3 

 降りていったフェリーターミナルの待合室のところに背の高い外国人の男の人がいて、私は吸い寄せられるようになんとなく近づきながら3秒ほど見ていて、向こうも私を見て…

Miho
1年前
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未亡人日記50●一筆書きの旅 その2

地図を見ながら夢想していたことが本当になるというのは不思議なことだ、とフェリーに乗船しながら私は思っていた。 コロナの外出禁止期間中、閉塞感を空想力のエンジンに…

Miho
1年前
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未亡人日記49●一筆書きの旅   その1 

介護帰省の道中の退屈と憂鬱を軽減するために、電車のルートを変えたり、高級車両に乗ったり、途中の街で下車してご飯を食べるということをやっていたが、だんだん手詰まり…

Miho
1年前
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未亡人日記48●銭湯と文士村

自分の多動性を友達から指摘された時はムッとしたのだが、実際私は多動なんだなあ、と動いているバスに乗ってちょっと笑っている。自分が意識しないことが人には見えてしま…

Miho
1年前
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未亡人日記47●北鎌倉の蝶

 貧乏性なので、JRのお得な切符を期限の最後まで使いたいのである。 乗り放題の最終日にどこかに行こうと思って、池袋から湘南新宿ラインに乗った。 暑い日だった。 私…

Miho
1年前
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未亡人日記62●沈黙の海

未亡人日記62●沈黙の海

「沈黙」の舞台の一つだから「沈黙の海」と名付けてもいいかもしれないけれど、そうでなくて、そもそも海自体が沈黙している印象だった。

 海辺で育っていればその人だけの海のイメージがある。その海は私の知るどの海にも似ていなかった。断崖に大きな岩の塊が危うく乗っかっていて、その重力を受け止めるように海は広がり、淡いミントブルーのような淡い色合いで静まり返っている。潮騒は聞こえない。文学館の駐車場に車を停

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未亡人日記61●銀座の歩行者天国で、愛を叫ぶ

未亡人日記61●銀座の歩行者天国で、愛を叫ぶ

 自分で着物を着て、銀座まで来られるようになったけど、だからといって褒めてくれるあなたはもういません。

 と、そういう短歌か、俳句がふっとできればいいんだけど、思いつかないので頭の中でも沈黙したまま、母の大島紬に道行き姿の私は地下鉄から銀座通りへの階段を上がっていった。
 この草履は銀座の小松やで買った。25年は前だと思う。まだ子供がいなかったから。小松やはもう銀座通りにはないかもしれない。当時

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未亡人日記60●FIRE! 荷風

未亡人日記60●FIRE! 荷風

電車に乗るのが好きなのだ。できればいろんな電車に乗りたいのだ。

今日は息子を迎えに成田まで行くのであるが、新宿からどうやって行こうかな? と行き方を調べていて、成田エクスプレスは結構高いなあ、山手線で日暮里から京成もあるけど、こっちの方が良さそうかな、と、導き出したのが都営新宿線で本八幡まで行って京成線に乗り換える方法だった。1200円だから成田エクスプレスの三分の一の値段。
  でも本

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未亡人日記59●サン・レミに置いてきたもの

未亡人日記59●サン・レミに置いてきたもの

 「後期印象派のゴッホの足跡を訪ねる旅」に結果としてなったのは、アルルを訪ねたからである。私はビゼーが好きで、ビゼーと言えば「アルルの女」である。ファランドールやメヌエット。ファランドールは、大学生の時、退官前最後の授業で教授(フランス人)が、フランス語の歌詞で歌ったことをいつも思い出す。あれって歌詞があるんだ? とその時思った驚きと共に。フルートの出だしで有名なメヌエットの方は、でも実は本来「ア

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未亡人日記58●エクサンプロヴァンスにて その2

未亡人日記58●エクサンプロヴァンスにて その2

 広場を四角く囲んでいるマーケットの中にある日本のブースに滞在中何回も行った私は、やはり一人旅で寂しかったんだろう。その日も私はフラフラとマーケットに向かったのだった。

 そのブースの前に立っていた、赤いコートにサングラス、ボブカットの背筋の伸びた女性を「日本人だろうな」と思って見ていたら、「この前あなた忘れ物したでしょう」と日本語で話しかけられた。

「そうです」

 初日にこのマーケットに来

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未亡人日記57●エクサンプロヴァンスにて

未亡人日記57●エクサンプロヴァンスにて

 悲しみはもう私の肌の中に潜り込んでなかなか出てこないようになったのに、不意に温泉のように噴き出すことがあって、それは体育館でやってきた。息子の試合を見ながら、あああ、夫はこの息子のジャパンをつけた試合をどんなに見たかったろうな、と思うと、私の目からじんわりと涙が出てきた。

 息子のおかげで来れるはずもないところに、一人でやってきた。私はどこまで自分が行けるかやってみたかったのだろうか。そもそも

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未亡人日記56●キセキ

未亡人日記56●キセキ

 母が転倒して、意識が戻らない日々が続いていた。

 古い病院のICUに母を見舞うと、口の端から人工呼吸器が繋がれていた。血圧や心拍数や血中酸素濃度がピコンピコンあっちでもこっちでも電子音楽による不協和音を奏でている。

「お母さん」

と呼んでも、もちろん母は目を瞑ったままである。

 頻回な電話をあんなにウザく思っていたのに、母の「えーと、〇〇子さん?」と絶対最初は自分の妹の名前で私を呼んだつ

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未亡人日記55●長崎の奇跡

未亡人日記55●長崎の奇跡

 母は「長崎の鐘」がラジオから流れてきた時代の話をたまにしていた。

 永井博士の話も覚えていた。胸が潰れるような気持ちで聞いたという。そして話の最後には必ず「憧れ、ためらい、ながーさきの、ああー、長崎の鐘がなる」と、いい声で歌った。

 長崎は歌枕であるなあと飛行機の中で私は思っていた。

長崎、と聞くとまずクールファイブの曲が私の中を流れて、その後、頭のてっぺんから、高いところからプッチーニの

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未亡人日記54●DRIVE

未亡人日記54●DRIVE

「あなたを誰がうちに送って行くの、今夜?」

 そんなふうにCarsのベンは歌ってたな。あれは私が高校生の秋だ。多分、新人戦の帰りだったんじゃないかな? 試合の帰りの車の外は金色の秋だった。

 寝たまま意識が戻らない母を輸送する車。母の隣の席に座って私はそんなことを思っていた。

 私の前には息子がゲロを吐かないまでも苦しそうにぐったりとして突っ伏している。今日は母の転院なので、夏休み最後の息子

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未亡人日記53●池袋ウエストゲートパーク

未亡人日記53●池袋ウエストゲートパーク

 

東武東上線の発車のベルは、なぜかモーツァルトの「ディベルティメント」なのである。

一緒に電車乗り込んだ、東武東上線と全く生活圏が擦り合わない再従姉妹(はとこ)は、「何でクラシックなんだろうね?」と呟いた。

多分それは池袋芸術劇場があるからだろう、と私は思った。東上線のホームからすぐの「グローバルリング」に隣接する池袋芸術劇場があるから。

クラシック音楽と池袋の組み合わせは唐突だが、もう

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未亡人日記52●ハッピーロードへようこそ

未亡人日記52●ハッピーロードへようこそ

 

 春になると動物の赤ちゃんが生まれるニュース記事がどんどん出てくるが、人間だってそう。春先になると急に赤ん坊を抱えたお母さんたちが目立つような気がする。

 胸のところの抱っこ紐から頭を半分だけ出してキョロキョロと動かしている赤ん坊や、ベビーカーの中にでんと横たわっている赤ん坊や。つい目を細めてしまう自分に、歳をとったことを自覚する。今日は老人の施設に行くので尚更そんな気がするのかもしれない

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未亡人日記51●一筆書の旅 その3 

未亡人日記51●一筆書の旅 その3 

 降りていったフェリーターミナルの待合室のところに背の高い外国人の男の人がいて、私は吸い寄せられるようになんとなく近づきながら3秒ほど見ていて、向こうも私を見ていて、あ、と思うと、
「Miho?」
向こうが私の名前を口にした。

 昨夜、フェリーの旅の途中経過をSNSでチャットしていると、友人の一人が「朝の5時に着くんでしょう? 駅までバスはないんじゃない? 朝ごはん食べるところもないと思うよ」と

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未亡人日記50●一筆書きの旅 その2

未亡人日記50●一筆書きの旅 その2

地図を見ながら夢想していたことが本当になるというのは不思議なことだ、とフェリーに乗船しながら私は思っていた。

コロナの外出禁止期間中、閉塞感を空想力のエンジンにして、私はずっと世界一周の船旅を夢想していた。そこにはすぐ、自分の推しである永井荷風や白洲正子の洋行の影が出てきてしまうのだけれど。(映画「タイタニック」のイメージは特にでてこなかった。)

言ってみれば飛行機のまだなかった時代の優雅な洋

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未亡人日記49●一筆書きの旅   その1 

未亡人日記49●一筆書きの旅   その1 

介護帰省の道中の退屈と憂鬱を軽減するために、電車のルートを変えたり、高級車両に乗ったり、途中の街で下車してご飯を食べるということをやっていたが、だんだん手詰まりになってきた。そこで乗り放題チケットを握りしめて、遠回りして帰省してみることにした。

午前中は子供の学校の集まりがあったので、JRの駅から出発したのは昼少し前。いつも新幹線に乗る駅だが、今日は行き先が違う。今日は北に向かわず、左の方向に曲

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未亡人日記48●銭湯と文士村

未亡人日記48●銭湯と文士村

自分の多動性を友達から指摘された時はムッとしたのだが、実際私は多動なんだなあ、と動いているバスに乗ってちょっと笑っている。自分が意識しないことが人には見えてしまっているというのが恥ずかしく、でも面白いのだ。

五百円で1日有効の券で、都バスの旅を時々する。

今日は土曜日の朝。夫の病院に2年以上通っていた時のバスに今、乗っている。

バスを待っている間はしゅんとした微妙な気持ち。このバスに乗って夫

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未亡人日記47●北鎌倉の蝶

未亡人日記47●北鎌倉の蝶

 貧乏性なので、JRのお得な切符を期限の最後まで使いたいのである。

乗り放題の最終日にどこかに行こうと思って、池袋から湘南新宿ラインに乗った。

暑い日だった。

私の前でやはり電車を待っている男女がいる、多分夫婦。女は私より少し若いぐらいに見えるが、スタイルは良い。がっちりして体格の良い、お腹の出ている男と喋っている。私は見るともなしにじーっと見ている。そして幸多かれ、と心の中で中年夫婦を祝福

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