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未亡人日記56●キセキ

 母が転倒して、意識が戻らない日々が続いていた。

 古い病院のICUに母を見舞うと、口の端から人工呼吸器が繋がれていた。血圧や心拍数や血中酸素濃度がピコンピコンあっちでもこっちでも電子音楽による不協和音を奏でている。

「お母さん」

と呼んでも、もちろん母は目を瞑ったままである。

 頻回な電話をあんなにウザく思っていたのに、母の「えーと、〇〇子さん?」と絶対最初は自分の妹の名前で私を呼んだつもりになるパターン化された間違いや「ええと、真ん中の子、下の子?」と3人いる孫の名前がわからなくなるあの退屈でイラっとするやりとりさえももうできなくなってしまったのかと私は呆然とする。


 お母様が、今朝お部屋で転倒して、こぶができているので、CTの撮れる病院を受診させたいのですが、来られますか? と施設長から電話があったのがゴールデンウィーク前日の8時半ごろだった。その時仕事をしていた私は、
「ええと、今日は難しいのですが」
「では看護婦といかせますね」と言われて、「お願いします」と電話を切った。

そのあとすぐ、
「今車椅子で病院に向かおうとしたら、急に意識が悪くなりましたので救急車を呼びます」と今度は切羽詰まった電話が来た。
「え? 救急車ですか?」
さっきまで普通に喋っていて、朝食も全部食べたという母の状態はどんどん悪くなり、今度は
「こちら救急車ですが、どこまでの治療を望みますか?」という救急隊からの電話もかかってきて、ジェットコースターが一体どこまで下がっていくのだろう? と驚きながら周りの風景を見ている感じで
「ええと、全部やってください」と答えると、
「わかりました、全部できる病院に運びますね」と言われて、なんだか判然としない、呆然とするような気持ちになって、でもとりあえず化粧をして着替えて、救急隊が向かうといった病院を目指した。

 脳外科の先生たちは説明がうまくて、事務的ではなく適度に同情的でいい意味でとてもプロで、少しだけ救われる思いがした。しかし状況は厳しかった、後から家族に責められたり何度も聞かれたりするのが嫌なので、途中から、録音していいですか? と許可をもらってメモもとった。手術が終わって、帰宅のために病院を出たのが5時で、半日の間私は病院にいたのか、と思った。

 死ぬ確率が70%だったのに、敏腕医師たちのおかげでそこからは戻ってきた。それはすでに奇跡的で、でも目はこのまま醒めないと思われた。状況が厳しすぎた。ピコンピコンあちこちで音がしているICUは騒がしくて、その中に母はちんまりと、目を瞑って寝ていた。

 昔、父が倒れた時、せん妄のわけがわからない状態を2日ぐらい過ごしてから正気に戻ったことを覚えていた。だから諦められなかった。


 今日も病院に電話して、午後から見舞いに行くのだが母の状態はどうでしょうか? と聞くと看護師が
「あ、お目覚めですよ」と言う。

 え? おかしいな? 昨日のあの状態から? と私は思ったのだが、いやこれは奇跡が本当に起こったのか? とドキドキしながら

「あのう、写真を持っていこうと思っているのですが、何がいいか聞いてもらえますか?」と言ったら、ちょっと間が空いて

「何でもいいから持ってきてくれれば嬉しい、とおっしゃっています」と普通に言うのだ。まさかそんな長いセンテンスを母が喋るとは? 

 でも看護師が言っているからそうなんだろう。
「ありがとうございます、午後に行きます!」と声が弾んでくる。
なんてこと! 神はいる! 
慌てて叔母に電話して
「あのね! 目が覚めたらしいよ! 喋っている」

「ええーっ」と叔母も素っ頓狂な声を出し、親戚に電話をしなければ、といって電話を切った。

 私は長男と二人で、いそいそと病院へ向かった。こんな幸せな気持ちになることはもう一生ないんじゃないかと思うぐらい、ふわふわして、世界が美しく見えた。

「あなたから先に上がって行って、私は何回も来たから」

 コロナのせいで面会は一人ずつというルールなので、長男を先に行かせて、下で待っていた。10分もしないうちに、エレベーターのボタンが光って、息子が降りてきた。

「どう? おばあちゃん?」

私は弾んだ声で聞いた。

 背の高い息子は私の頭の上の方から私の方を見つめ、ちょっと間をおいて「おばあちゃん、目覚めてなかったよ」と言った。

 息子はしょっちゅうそういう類の冗談をいうので、私は笑った。そうしたら、息子は私を大きな目でじっと見下ろしながら、薄く笑っているように見えるけれど笑っていない顔で「ほんとに」と言った。

さあーっと、全ての風が私の中を通って足元まで吹き抜けていった。


 エレベーターを上がってICUに一人で入っていくと、相変わらずピコンピコンうるさい喧騒の中で、母はまたちんまりと目を瞑ったまま、枕の右側に首を垂れていた。「なんでもいいから写真を持ってきてくれたら嬉しい」などど喋る人の姿ではなかった。涙と怒りがわらわらと湧いてきて、それを抑えようと私はギリギリと唇を噛んだ。息が苦しい。

 母の今日の担当だという看護師に涙目で抗議すると、隣のベッドの人と間違えました、という。怒りで目の前が暗くなる。そんな間違いする?

 後日、家族がこの件で病院に抗議して、その後、病院は電話での受付方法を変えた。家族の電話にそのまま答えるのをやめて、病院から掛け直す方式にしたと説明されたが、それがなんになろうか。

 でも、まあ、冷静になって考えてみれば、母が意識を取り戻すことと、病院が患者の家族からの電話に対して患者を取り違えて答えたことにはあまり関係がないなあ、と悲しく力なく笑っている私。

 リビングルームの窓のガラス越しに、激しくうごめく木々の枝が見えている。ゴールデンウィークの終わりの日。音は聞こえないがごうごうと風が吹いている。

「奇跡が起きたかと思ったのになあ」と、息子が言った。

「奇跡がねえ」と、私はゆっくりとため息をついた。もう怒りは通り越して、悲しみだけがあった。

「あの時、一瞬、ものすごく幸せを感じたよ。奇跡はある! って、ものすごい感謝の気持ちが湧いてきた。なんの感謝かわからないけれど。結局、状況は変わらないのにね、なんだったんだろう。あああ、あの時、看護師の言葉でものすごく元気が出てきた」

「そして、深い穴に落とされた」と思ったことは言わなかった。

 そしたら息子が

「祈ろう!」

と、唐突に言って、だから私もハッとして、ぎゅっと目を瞑って母のことを真剣に真剣にやみくもに祈った。






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