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未亡人日記60●FIRE! 荷風

  電車に乗るのが好きなのだ。できればいろんな電車に乗りたいのだ。

  今日は息子を迎えに成田まで行くのであるが、新宿からどうやって行こうかな? と行き方を調べていて、成田エクスプレスは結構高いなあ、山手線で日暮里から京成もあるけど、こっちの方が良さそうかな、と、導き出したのが都営新宿線で本八幡まで行って京成線に乗り換える方法だった。1200円だから成田エクスプレスの三分の一の値段。
  でも本八幡って何があるんだろう? へえ、八幡神社があったのが名称の由来か、そしてホームページの切れ端に永井荷風の写真が出てきたのでクリックすると、なんと、本八幡は永井荷風の終焉の地であった。私は心の中で両手をぎゅっと握るように、ああ、これは呼ばれているし、行かなくてはならん、と思った。

 今月は、用事があって銀座というところに久しぶりに続けて数回行った。銀座通りの教文館を覗いたら、永井荷風の養子になった人が書いた本があったので買って帰ってきた。荷風が通っていた頃の銀座と今の銀座はどのぐらい違うのかわからないのだけれど、銀座通りの整然とした街並みに、帽子をかぶって眼鏡をかけた痩躯の永井荷風の面影を描いてみることは案外やさしかった。

 そもそも、昨年パリへの旅を計画するときにこれも何年振りかで「ふらんす物語」を読み返してみたら、そのみずみずしさにびっくりしたのであった。以前読んだ時は全く面白く感じられなかった。なんでこの本が発禁になったのか、訝る気持ちが残ったのみだった。
 しかし! 再読してみたら、アメリカでの失恋を引きずりながらの異郷の地のそくそくとした孤独やパリの街の風景描写の瑞々しさにやられてしまった。日露戦争への冷淡な態度。愛国的になるのが普通の海外駐在身振りと違って、意外なまでの個人主義的な態度に心底驚く。加えて、特に私が感心したのが、レストランで食事をする男女の描写であった。私は仕事で90年代、某作家のレストラン評連載の担当をしていたことがあったのだが、恋する男女がデートの時に何を食べるか、ということを永井荷風はすでに100年前のパリでやっていて、そのときめきを書き残しているのである! 料理の描写に始まり、最後はベーゼへの暗示で〆るのである。(参照「美味」)。この普遍性。食事と性と生の結びつきに恋のワクワクをトッピングした描出。さすがだ、と私は感心したのであった。(余談だが、永井荷風は自然や街の情景描写で、たくみに主題を描出する)

 都営線に揺られてついた本八幡の駅の長い通路を歩いて地上に出て、少し歩くと踏切の音がしてきて、京成電車がごおーっと走る音がする。曇って寒い2月の午後。学生の下校時間にあたっていたので、数種類の制服がホームにいる。線路の向こうのビルに「大黒屋」と書いてある。あれは荷風が通った店じゃないかしら、とぼんやり見ていると、反対側からまたごおーっと電車が通り過ぎて踏切があき、おばさん自転車が数台、踏切に突っ込んでくる。渡ると商店街になっていて、なんとイラストの荷風が商店街の街頭の旗に鎮座して、点々と、はためいている。キャラになっているのである。
 「もしもし、永井荷風先生をみなさんどのように受け取られているのでしょう?」 と、なんとなく私は聞いてみたい気がする。私は読んでるけど、みんな今でも荷風を読んでるのかな? という純粋な興味。

 Googleマップによれば、永井荷風の住居跡、すなわち終焉の地は、駅のすぐ裏だった。特になんの碑があるわけでもなく、一般の住宅が建っている。よそ様のお家を撮影していると思われるのも困るので、マップに従って、自分の足をコンパスの軸にして、携帯のカメラをぐるりと一周させて終焉の地を撮った。

 ここから、買い物かごを下げて、下駄履きで荷風は歩いていたのだろうか。駅や線路は当時のままだろう。こんなふうに荷風は踏切の音を聞いていたのだろうか。都会っ子でNYやフランスにも暮らした、銀座の散歩姿がよく似合う、麻布のお屋敷に住んでいたおしゃれさん荷風の晩年は買い物かごを下げて、郊外の駅前のマーケットに買い出しの気楽さだったんだな。それを想像すると、寂しく感じないというのは嘘だけど、一人暮らしだけに凛としたところもあったろうし、どんな人間にも老いや思いがけない人生の展開もあることを零落というには当たらないな、そもそもお金を持ってるし、などと思い思い、道を隔てた住宅の塀の上に咲いている白梅を荷風へ手向けた花のように見做しながら、荷風と同じ道を歩いていることを感じながら駅まで戻った。

 繰り返しになるけれど、3月10日の東京大空襲で麻布のお屋敷を焼け出されて転々とした後、たどり着いたこの駅のそばで、孤独なのか孤高なのか一人暮らしを貫いて、浅草の踊り子のところには足繁く通って、銀行員上がりの几帳面さと買い物かごに貯金通帳を入れるぞんざいな両極をもち、莫大な財産を吝嗇で管理しながら美意識を貫いて、好きなことをしつつ一人最後を迎えた荷風。
 もしかして荷風ってFIRE?  FIファイナンシャルイン・ペンデント、つまり経済的自立はしていたよね、作家としては戦後まで活躍したからリタイアメント(RE)ではないかもしれないけれど。

「おひとりさま」として好きなことを貫いたという意味では現代でも通用するライフスタイル? 現代から照射するとそう見えるかもしれない、という見立ての話ではあるが、吐血により一人で逝き、通いのお手伝いのおばさんに発見されたということも孤独死の先取りなのであるよ。クローズアップ現代みたいだな。急にまた荷風が身近になってくる。

今日は子供を成田まで迎えにいくのだけれど、基本的に人は一人で死んでいくんだなあという覚悟と諦念はいつしか自分の前にも置かれている未来で。

  車窓の風景をただただ目に映しながら、成田行きの電車に揺られながら、私はそんなことを考えていた。

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