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未亡人日記61●銀座の歩行者天国で、愛を叫ぶ


 自分で着物を着て、銀座まで来られるようになったけど、だからといって褒めてくれるあなたはもういません。

 と、そういう短歌か、俳句がふっとできればいいんだけど、思いつかないので頭の中でも沈黙したまま、母の大島紬に道行き姿の私は地下鉄から銀座通りへの階段を上がっていった。
 この草履は銀座の小松やで買った。25年は前だと思う。まだ子供がいなかったから。小松やはもう銀座通りにはないかもしれない。当時20代、着物ブームの私は勇敢にも「志ま亀」を攻めに行き、お茶を出されてびっくりしたなあ、その店は、もうないけど。そもそも、三越にも松屋にも着物売り場はないのだ。お正月にそれを確かめてがっかりした。

 今日はレストランの下見に来た。

 夫の七回忌をするレストランを探していて、本当は私たちが結婚披露宴をしたレストランが話の流れ上では良かったんだけど、日曜日は休みだった。出席者が集まれる日曜日に空いている店をあらためて探すことになり、個室がある老舗レストランを押さえることができた。しかし当日だけ行くのもなんだかなあ、と思い、七回忌の施主として下見をしようと思いつき、今日は一人でランチに来たのだった。

 記憶の中では赤い色の店だったような気がするけれど、数年前にリニューアルされて、今はそんな赤い内装ではなかった。星も取っている老舗レストランのランチは平日なのに満員で、もちろんお一人様は私だけ。でもへいちゃらである、なぜなら去年の末、私は一人で南仏の星付きレストランのビストロにて、一人でランチを食べてきたのだった。
 ドヤ。
 日本語も通じるし今日なんか全然大丈夫。経験は何歳になっても人を強くするね。でも夫が死ななければ、というか死ぬ前までは、毎年2月の結婚記念日を二人レストランで祝っていたことを思い出して、急速に憂鬱な気持ちになった。真昼間の11時半に、階段を降りて仄暗い地下の店にいるせいでもあるのかもしれないけれど。

 しかし、こういう何の我慢比べなのかわからないことを、若い時から今まで、私はなんでやっているのだろうか。そういう性分だからしかたないか。そして、そういうことを一人でするのを面白いと思っているんだから。
 こういう気持ちは半ば自嘲でもあるが、同時に「一人でできたもん」という自己肯定感に繋がり、自分コンテンツをうまく仕上げていく満足感につながっているんだから変なことだ。それにレストランは私と夫の重なるコンテンツの一つだった。ご飯を食べている間は、夫を側に感じることができる。

 若いソムリエと話をして、UKケント州のスパークリングワインがあるというので、それを乾杯には飲みたいと思った。夫はUK好きだった。夫のために選ぶのだから、当日は写真を持ってきて、少し注いで飲ませてやってもいいなあ。写真を置くテーブルもいるかな? そういうオーダーをするためには会の説明をしないといけないので、サービスについてくれた男性に、実は七回忌なので、という話をする羽目になった。

 その男性は実にグランメゾンの振る舞いとサービスで、必要な気遣いは黙って全部してくれる安心感を纏っていた。ニコリとするわけではないのだが、冷たいわけではない。慇懃で、こちらとしては「見られている」感じはあるが、グランメゾンならではのそういう対決のようなやりとりが行われる方が、会としては安心できるかも、と最近はカウンターで個性派シェフのおまかせフレンチをワインもペアリングで、ただただ、はいはいと食べることが多い私は思っていた。

 そして当日の日曜昼。

 今日は違う着物。紫色の地に白い桜の花びらが散っている付下げは義母から譲られたものだった。そこにバイセルで買った白い帯を締める。

 全員が大人でお酒も飲める。ワインは3本で足りるのか、と私は心配になった。(姪の一人が運転手だったので、彼女には美味しいおまかせノンアルコールカクテルをお願いした。)

 三人目の未成年の息子だけは海外にいたので、来られなかった。
 夫が死んだ時高校生と中学生だった上の二人はもう成人して、スーツでちゃんと来てくれという私のオーダーにも応えられるようになっているんだよ。スーツにうるさい夫としては色々指導したい部分もあるだろうけれど、それでもとにかくまともに大きくなってくれた。夫が亡くなった時、私はもう二度と飲みに行ってはいけない、もしかして飲みすぎた帰路に倒れて車に轢かれて死んでしまったら子供達が路頭に迷ってしまうから、と本気で思っていた。
 今となっては私が酔っ払ったら子供が連れて帰ってくれるだろう。七回忌はそれぐらい時が流れたということでやはり呆然としてしまう。

 冒頭、義母の涙ぐんだ私への労いの言葉から会が始まってしまい、孫たちが苦笑しながら義母をなだめた。ありがたく母の言葉を懐に収めた。

 私はイベント好きなので、下見をするのと同時に、みんなから原稿を募集して七回忌のしおりも作っていた。義母には酷なので、話さないでいたが。

 私と夫の銀座にまつわる長々とした文章も添えた。印刷してホチキス留めしたものをみんなに配る。みんなが読む。夫の年表も作った。これは子供達のために。お父さんがどんな人だったか思い出せるように。夫は転職の多い人だったので、彼が何年間、どこの会社にいたのか忘れていた。思い出が一緒に着いてきた。

 別の姪が「おじちゃんていい会社ばっかりにいたね!」と驚嘆の声を出す。

 その姪にサプライズを仕掛けていた。急に個室が暗くなり、スーッと彼女の後ろに運ばれたお皿。彼女は最近入籍したので、「結婚おめでとう」のデザートプレートをお店に頼んでいたのだった。

「おじさんからですよ」と私は言った。

 後から思い出したのだが、私はどの人が彼女だと店に伝えるのを忘れていた。しかし、グランメゾンは会話の内容からかピタリと当てたのだった。

 サービスの彼は出口まで送ってくれて「また来てください、お一人でも」と言ってくれた。

 銀座の歩行者天国にでたので、急に世界が明るくなった。
 私が「写真撮りましょう」と言ってみんなで代わるがわるカメラマンをやって、ほぼ全員の集合写真を撮った。そしたら何故か、その途中に義母がすっくと銀座通りの真ん中にひとり立った。多少酔っている孫たちがけしかけると、両手を両足を広げて万歳のような格好をする。アルファベットの「X」のように。

 義母は天に向かって両手を上げていた

 私たちは、自分の携帯でそれぞれ、銀座通りに立ち尽くす80代の笑顔の写真を撮った。




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