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未亡人日記53●池袋ウエストゲートパーク


 

東武東上線の発車のベルは、なぜかモーツァルトの「ディベルティメント」なのである。

一緒に電車乗り込んだ、東武東上線と全く生活圏が擦り合わない再従姉妹(はとこ)は、「何でクラシックなんだろうね?」と呟いた。

多分それは池袋芸術劇場があるからだろう、と私は思った。東上線のホームからすぐの「グローバルリング」に隣接する池袋芸術劇場があるから。

クラシック音楽と池袋の組み合わせは唐突だが、もう一つ私にとっては納得する、自分なりの腑に落ちる理由があった。

それは最近ネットフリックスで「池袋ウエストゲートパーク」を見たからである。2000年、平成12年にTBSテレビで放送されていたこのドラマを、私は令和5年の今まで見たことがなかった。


長瀬智也が街のトラブルを解決する主人公のマコトを演じている。マコトの実家は多分西口にあるだろう八百屋。

ドラマの中には、チャイコフススキーの交響曲第5番が、一つの重要なモチーフとして使われている。マコトのガールフレンド役の加藤あいの秘密に関わる重要な曲。来るべき悲劇を予想するかのように下降する音階の、でもキラキラした悲しみが美しく溢れ出るドラマチックな展開の。私はこれを、ファーストポジションすら怪しいのに、入れてもらっている懐の深いオーケストラの公演で数音だけ弾いたことがある。悲しい美しい曲だ。


17歳の加藤あいのエキセントリックな演技と、等身大で演じているとしか見えない22歳の長瀬智也。そのまんま彼はマコトとして、この池袋の西口の果物屋で店番しているんではないかと思うぐらいの自然な感じ。


一気に見たりしないで、毎日1話ずつドラマを見ている間は幸福な時間だった。東武東上線の駅の出入りに、私は人混みの中にキョロキョロとマコトを探すふりをした。それはある種の時空を超えた聖地巡礼だ。


ドラマは猥雑でゴタゴタした、でも変な若い勢いがある平成の池袋という街が主人公である。脚本の宮藤官九郎と監督の堤幸彦、そして数々の俳優、煌めく才能たち。2000年当時の私はもう30歳を超えていたけれど、このドラマ空間の中ではまるで俳優たちと同世代気分になる。

特筆すべきは、いまならNHKの大河ドラマ級の豪華な俳優陣で、つまりそれは、2000年の時には駆け出しや端役だった人たちがそのあと名をなしたり、大成したりしたわけで、年月というのはすごいものだなと思うのである。豪華に盛り込まれた和食のお弁当を食べている満足感があるのである。あら、この付け合わせ、さりげないけど実はすごく手がかかっている、的な。

もちろんいなくなった人もいるのである。


 2000年、私は夫と多分この辺を歩いていたかもしれないなあと思う。東口のデパートにはよく行っていたが、西口にはあまり縁がなかった。でもゼロではない。私は前年に長男を産んだので、グレーのマクラーレンのベビーカーに赤ん坊を乗せていたかもしれない。

その時にはこの辺で長瀬智也や、キングこと窪塚洋介が揃って撮影していたんだ! と思うと妙に興奮した気持ちになる。加えていうと、窪塚と対立する池袋のギャングの統領である西島数博はもともとバレエダンサーで、長男を産んだ後にバレエを始めた私は東口のデパートのカルチャースクールで彼の公開レッスンを受けたことがある。男性の跳躍ってやはり女性と違うなあ、いいなあと思った記憶。写真も一緒に撮っている。多分それはこのドラマの後だよね? と、その時誘ってくれたバレエ好きのママ友にも今更ながら感謝する気持ちになる。


そんなふうに、当時自分がこの街の空間の端っこにいたことを思うだけでワクワクしながら切ない。それはドラマの中にある失われてしまった当時の池袋の風景を、今、記憶の中で私が牛の胃袋みたいに反芻しているからだろう。夫や、自分の若さも含めて。


「池袋ウエストゲートパーク」をコンプリートした後、私は長瀬智也の「俺の家の話」を、またまたネトフリで見た。伝統芸能の家に生まれた長男の介護ドラマである。

「マコト」は40歳を超えていた。

私はびっくりした。

一気に時空を超えたマコトはさらにいい男になり、「ブリザード寿」という名前でプロレスをする一方、能の稽古をし、西田敏行を献身的に介護して、そして。(見ていない方のために言わない)。

あっけないような終わり方に、私は衝撃を受けた。

それは私が母を介護しているからだし、私の夫がもう亡くなっているからだし、そういう個人的な理由もあるけれど。

ドラマを味わうのと同時に、私は、長瀬智也に流れた年月を味わっていた。


これは2021年のコロナ禍におけるドラマで、長瀬智也はこの作品の後、ドラマには出ていない。


2000年の池袋の西口公園に座るのが似合っていたややチンピラが、突然ワープして、大人としての責任を果たすため、しっかりした男になろうと奮闘する姿を見て、人の一生について哲学的に考えてしまうことは避けられない。


私はどうだったの? 私は一体何ができたの? と。

世界は年をとるし、俳優も年をとるし、日本も年をとるし、私も年をとる。


池袋西口公園はグローバルリングと名前を変え、コバケンがウクライナのためのコンサートを開いたり、レゲエのミュージシャンが公演していたりしている。今、2023年5月。

母のもとに向かう私は、公園の野外ステージを横目で見る。

そのうち、ここでチャイコフスキーの5番を演奏するコンサートを聴きにくる機会がありますように。


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