未亡人日記63●「あの素晴らしい愛をもう一度」
映画館では一番前の真ん中で映画を見ると決めている。
今日の席は車椅子スペースの隣の席から一つ空けて座った。
夫が生きていたら多分一緒に見にきてる映画。右側は空席だけど、ここに夫がいるつもり。
(いや、普通なら私は夫の右側にいるはずだなあ。もう長いこと時間が経ったので夫がどっち側が咄嗟には忘れてるんだな。)
音楽はいつも思い出をつれてくる。
私たちにまだ子供が一人しかいなかった頃だろうか。日曜日の夕方、ラジオをつけながら夕食の支度をして、そのまま食事をとっていた頃。
「サウジ・サウダージ」というラジオ番組の冒頭で「こんばんは、加藤和彦です」という、くぐもっている、けれと底が明るい、優しい声が聞こえてくる。
遠いところから聞こえてくる声。
ラジオはウォールナットのアンティーク家具の上に置いてある銀色のソニー。なんとなく憂鬱で物悲しい日曜日の夕方にふさわしい声として、時々は夫とお酒を飲みながら、その「こんばんは」を毎週聴いていた。
私が加藤和彦を加藤和彦として聴いたのは「絹のシャツを着た女」が最初だ、と、今、上映が始まった映画を見ながら再確認した。夜にラジオを聴き始めた中学1年生の頃、よく流れていた。今思えば安井かずみの詞。ベルリン三部作。
同じ頃、合唱コンクールで「あの素晴らしい愛をもう一度」が課題曲になり、転調するところのキーが高くてアルトの声の私には出しづらいなあと思った記憶。でもいい曲だなあと思った記憶。
素晴らしい愛をもう一度ということは、素晴らしい愛がかつてあって今はもうないということなんだろうな、と今でいう小泉語法のような思考の中学生の私には、まだ素晴らしい愛は影も形もなかった。
大学生の頃は「ワーキングカップル事情」という安井かずみとの共著の世界に憧れた。自分をしっかり持っていて、愛し合っていて、桁外れにおしゃれな最先端カップルの生活スタイルがキラキラと眩しかった。仕事が終わった夕方、いたわりあうように二人でちょっとワインを飲みながら夕食の支度をするのが素敵だった。ディンクス、という言葉が流行っていた。おっちょこちょいでミーハーな私はすぐ影響される。その頃は、自分は子どもは絶対に産まない、と考えていた。
時は流れて。
そんな私が加藤和彦と直接会話することになった。
とある雑誌の編集部にいた私は、ある特集記事のために加藤和彦にコメントをもらったらいいのではないか、と思い付いたのだった。インタビューというほどでもない、何人かの識者に100ワードぐらいのコメントをもらって誌面を作るというイージーな企画であった。
マスコミ電話帳、という、会社四季報よりは薄いけどまあまあ厚い冊子で調べて事務所に電話をすると、
「はい」と、本人がでた。
予想外すぎた。
慌てた私は、あがりながらしどろもどろに企画を説明し、コメントをもらえないだろうか、とお願いした。
それは恋愛に関するコメントだった。
「僕にはその資格はないから」と、加藤和彦は優しい声で断ってきた。
残念・・・。
思いがけず直接話をする僥倖に、断られてなお、結構舞い上がってはいたが、「その資格はないから」という彼に、「どうしてですか?」と追いかけるのは流石に失礼だと自制したので、その真相はわからない。
忙しいから、とか、そのテーマはちょっと、という程度の断りならなら別に変に思わない。
「僕にはその資格はないから」というのは寂しい言葉だと思う。何かを失ったか、諦めたか、自分を罰しているか、そういう類の言葉である。小泉語法の思考回路な私は、聞いた当時は字面でしか捉えられず、(ああ、資格がないって思っているんだな)、その後何年か、たまに思い出して、あれはどういう意味だったのだろう、と考えたりした。
加藤さんと直接会話しちゃった! 電話で! と、友達に自慢のつもりで話したら、友達は
「私ねー、帝国ホテルの前で見かけたのよ! だから思わず手を振ったら手を振り返してくれた!」と報復するではないか。
帝国ホテルの前にいる長身の加藤和彦を想像してみた。季節がいつなのかわからないけれど、私は勝手に冬を思った。長身の加藤和彦が上質のコートに包まれるようにして、こっちを見て優しく手を振ってくれるんだろうな。電話という二人きりの空間での会話も最高に良かったけど、視覚が伴ったその思い出のシーンも羨ましい。その友達とは仲違いしてもう会うことは二度とないと思うけど、加藤和彦とのシーンを分けてくれたことには感謝している。
あの素晴らしい愛をもう一度。
エンディングの曲が流れ終わって、涙目の私はパチパチと拍手した。
でもそんなことをするのは私だけで、年齢層の高い観客たちは一人ひとり、薄ぼんやりと明るくなったスクリーンを横切り、無言で出口に向かっていった。
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