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未亡人日記51●一筆書の旅 その3 

 降りていったフェリーターミナルの待合室のところに背の高い外国人の男の人がいて、私は吸い寄せられるようになんとなく近づきながら3秒ほど見ていて、向こうも私を見ていて、あ、と思うと、
「Miho?」
向こうが私の名前を口にした。

 昨夜、フェリーの旅の途中経過をSNSでチャットしていると、友人の一人が「朝の5時に着くんでしょう? 駅までバスはないんじゃない? 朝ごはん食べるところもないと思うよ」と心配してくれ、彼女のパートナーが港まで来てくれ、なんなら朝ごはんも作るから、と申し出てくれたのだ。

 彼女自身は単身赴任中なので、まだ会ったこともない彼女のパートナーに初対面でそんなことをしてもらうなんて、と当然ながら恐縮した。
 しかも朝5時の港! 早すぎるし、図々しい? 

 しかし、乗りかかった船、このままご厚意に甘えてしまおう、と自分の図々しさを許すことにした。そして、もう一つ、友人の好意を受けて、家に行ってみたい理由があった。数年前、最後の旅になった夫と、子供と3人でお邪魔したことがあったからだ。

 朝5時に港まできてくれた、初めて会った人の車に乗り込む。
 私が歩いて降りてきた唯一の客だったね、という話しをして、
「フェリーの港まで来ることはないでしょう?(しかもこんな朝早く)」
と言うと、
「たまに学生がこれに乗って帰省する話は聞く」
と彼が言った。早起きを詫びると、朝型だし、猫たちがいるので朝ごはんのために早く起こされるのだという。

 会う前は「何語で話すべきなのか?」などと思っていたのだが、彼は日本語が普通にうまかった。

 港でぐるっとUターンする時、風力発電のプロペラが、白くなった満月とともに私を見送ってくれた。


 秋の初めのしっとりした風景のなか、車は走って、途中大きな川のそばを通ったが、のぼる陽に輝いて景色が何もかも染み入るように美しかった。

 住宅地の中のお宅に着くと、2匹の猫が迎えてくれた。

 彼がキッチンに立って、朝ごはんを用意してくれた。私はリビングのソファに座って子供がお母さんのご飯を待っているように、ただ待っていた。
 あたためたベーグルと、キノコその他の入ったオムレツ、ヨーグルトのカップ、淹れたてのコーヒーが出てきて、どんなホテルの朝ごはんより親密な美味しさがあった。

 そこに今、旅情を掻き立てられる。人生にはどこにも属さない真空の時間、真空の朝があって、それは主に旅の朝に属しているのだけれど、それが今日の今のこの瞬間であると思った。

 ここから一瞬回想シーンになる。
 友人も、私も夫もまだ若く、子供も誰一人いない昔のこと。

 友人の留学している外国の街を訪ねたことがあった。冬で、マイナス二十度で、本当に凍死するかと思った。彼女の下宿のおばさんがOKしてくれたので、私と夫もその下宿に1泊させてもらった。その時は、彼女が朝ごはんを作ってくれた。

 何を食べたかは覚えていない。キッチンの隣の白っぽい共同ダイニングで、彼女と私と夫3人で座っていて、タイガー・ウッズの写真がパッケージになっているシリアルの箱を覚えている。窓の外、朝の光の中、リスが木を登ったり降りたりしている。ラジオからはクラシックの曲、モーツアルトか何かが流れていた。あの朝の時間の一瞬も、なぜか永遠に思える。

 その下宿にて、の写真があるはずだ。夫は当時人気だったジャミロクワイのボーカルのような黒いふかふかした帽子をかぶっていて、天井の高いリビングのソファに座っている。(あんな帽子一体どこで買ったんだろう。それほど現地が寒かったんだろうか?)
もう、覚えていない。

 その遠い昔の話はあまりに飛躍しているので、自分の頭の中だけでとどめて、

「前にもここにお邪魔しました。5年前かな?」と私が言うと、彼は妻に聞いている、その時自分はヨーロッパに行っていた、と言った。

 5年前、子供の試合でこの街に来たのです。その時はもう夫はだいぶ辛い状態で、でもなんとか頑張って退院して、試合を応援して、そして試合が終わってから新幹線の時間までの間が大変で。夫が気分が悪くなったので、数時間、ここで休ませてもらったのです。夫は「あれがなかったら大変だった、本当に助かった」と、その後も言っていたことを思い出します。

 彼は、自分も仕事でずっと家にこもっていて、多分1週間ぶりぐらいに人に会ったので来てくれてよかった、と言ってくれた。音楽の話と、楽器の話(夫が亡くなってからヴァイオリンを始めた話)をした。猫たちが時々通り過ぎ、時々私は黒い猫を手を伸ばして触った。


 朝日がだいぶ上に上がって普通の日差しになったように思った。始発の新幹線に間に合うように、また車に乗せてもらって駅まで送ってもらった。

 早朝すぎる朝のお迎えと、朝ごはんのお礼を改めて言った。

「何回も訪れた場所だとそうは思わないのに、一度しか行っていないところに、もう一度行くと、何かを取り返したような、拾いに行ったような気がするんです」

だから、今回お宅にお邪魔させてもらってよかったです、と私が言うと彼は「わかるよ」と言った。

 車がロータリーを出ていくのを見送ってから、駅の階段を上がり、そして子供と夫と3人で5年前に泊まったJR駅前のホテルをガラス張りの窓越しに遠くから目に入れて、光の中を、改札のほうに私は歩いていった。











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