未亡人日記54●DRIVE
「あなたを誰がうちに送って行くの、今夜?」
そんなふうにCarsのベンは歌ってたな。あれは私が高校生の秋だ。多分、新人戦の帰りだったんじゃないかな? 試合の帰りの車の外は金色の秋だった。
寝たまま意識が戻らない母を輸送する車。母の隣の席に座って私はそんなことを思っていた。
私の前には息子がゲロを吐かないまでも苦しそうにぐったりとして突っ伏している。今日は母の転院なので、夏休み最後の息子が付き合ってくれると言った。その時はでかしたと思ったのに、早朝4時に帰ってきた。ベロンベロン。しかも4時に帰ってきて携帯がないのに気づいて、そのまま池袋までダッシュしたという。気狂いか。
そんな状態では朝のラッシュの電車にとても乗れないと思って、舌打ちしながら私はタクシーを奮発することにした。
そうしたら、そのタクシーの中で息子は「手を握って」と言い出して、なんだそりゃ? と思っていたら今度は私の手を握ったまま自分のTシャツの中に入れて「心臓が冷たくて苦しい」と言いうのである。喉にはびっしりと汗をかいている。「寒い」という。病院に着いたら息子を救急に入れなければならないのではないか? と私は焦った。有給休暇をとって付き添う素振りが1ミリもない実弟と、付き添ってくれるのはいいが全く役に立たない息子と。どっちがマシなのか。
タクシーが病院について、本来なら病室チームとお支払いチームに分かれて作業しようと思っていたのに、息子はスタバのテーブルに突っ伏して寝ている。
この病院はいつだって廊下にたくさん人がいて物が置いてある。建物は昭和だし、看護師たちは明るいけどやや雑な感じ、廊下でリハビリしている脇を、ストレッチャーが通り、「病室の外で待っててください」と廊下に出されるといる場所がない。
若い男性看護師の説明が要領を得ないので私はまたイラっとする。母の握りしめた、だらんとした手の中は白い皮膚がいっぱいになって臭い。赤ちゃんの手の中にはゴミがたくさん入っていて臭いけれど、もっと違う臭い、浮浪者の匂い、ベッドの上で浮浪者になるんだな、人は。
ストレッチャーを押して移送の車のドライバーがやってきた、茶髪で若い。
「お会計が今出てきたんですけど、出発まであと10分しかないので間に合わないんじゃないですか? しかもお金払ったあと、また病室に戻ってくるのかどうかも言われないし」と、私は私の溜まったイラっとしたものを茶髪にぶつけてしまった、
「たいてい、病室に戻ってきて、お会計を見せていますよ、僕は看護師ではないのでわからないですけど」と茶髪はいい、「自動会計だからそんなにかからないと思いますよ」という。
玄関で落ち合えばいいということになり、私は会計をしに下に降りた。息子はまだスタバのテーブルで寝ているので、起こして会計前の椅子に座らせる。
会計が終わった頃、ストレッチャ―が母を乗せてやってきた。私の高校時代の向日葵の柄の浴衣を着せているので、ちょっと楽しそうに見えなくもない。母は色が白く、唇は赤いままだったが、頭の右半分は頭蓋骨を切り取る手術をしたので、全体はセミロングなのに、右側だけ髪をかられて昔のシンディ・ローパーのような刈り上げヘアになっている。
茶髪のドライバーは、段差にストレッチャーを滑らせるときに「段差がありますからねー」と自然に母に声をかけてくれたので、私はちょっと見直した。
「ありがとうございます、母に声をかけてくれて」と私は言った。
「耳は聞こえていると思いますよ、瞬きをパチパチしていますよね」と、茶髪。
車に乗り込むと、フッと、いい匂いがした。ぐったりしている息子のことを言い訳しておこうと私は思い、
「二日酔いです、コロナじゃありません」と言うと、
「僕と同じぐらいですか?」
茶髪がいくつか知らないけれど、たぶん茶髪が年上のような気がして
「今二十歳です」と、具合が悪くて口がきけない息子に代わって答えた。
「気持ち悪くないですか? 酔いそうになったら言ってくださいね」と茶髪は言い、今度は息子は「大丈夫です」とかろうじて答えた。
私は、車を降りる時にはジュース代ぐらい渡したい気持ちになって、手帳に挟んでいるポチ袋を手で探った。
九月なのに、残暑が厳しい。外の眩しい光を見つめながら、でも、空が青くて気持ちがいいな、と私は思い、
「お母さん、今から新しい病院に行くからね!」と声をかける。浴衣の肩口の辺りをさすってみる。母と携帯でツーショットをとる、などしてみた。あとで叔母に送るんだ。
車は私鉄を超え、また私鉄を超え、JRのガードを潜った。
あの駅前のサンプラザは今度建て替えられるんだ。ベンもここにきたんだよね。でもその時は「DRIVE」はまだ生まれてなかったな。
すると、急に、これを最後にもう母と一緒に車でドライブをすることはないのだろう、という事実が私にのしかかってきた。次にお母さんと車に乗る時は、病院を退院するときで、それはきっと明け方で病院の霊安室で数時間待った後で。
私と一番下の子どもと、もう生きていない夫と3人で明け方の車に乗ってうちへ向かう時のことを思い出した。定員があるので、上の
子どもたちにはタクシーを拾うよう言い付けて、寒い2月の明け方を車は走った。唇を痛いほど噛んでいた。薄闇のなかでタクシーを止めている高校生と中学生の子どもの姿が、映画の中の場面のようにストップモーションで浮かんでいた。夫の亡くなった早朝。あんな特別な時間はない、リアリティもないけど。
過去がオーバーラップして、こっそり私は涙した。
やがて車は新しい病院に滑り込んだ。今までの喧騒の大学病院と違って、吹き抜けからの光は降り注いでいるが、静かな病院だった。ホスピスを併設した療養病院だった。
ストレッチャーで母を運んできて、無事に新しい病院の看護師にバトンタッチした茶髪にお礼を言い、私は会計をした。30分以上走ったが、予想より安かった。小林古径の鯉が描かれている青いぽち袋にお札を1枚入れたものを渡し「ジュースでも飲んでください」と言った。そして
「もう、今日が最後の母とのドライブかと思うと」とまで言って涙を止めるために黙ったら、茶髪は
「でも、たまにいらっしゃいますよ、寝たきりでもドライブに行かれる方。酸素の量があるのであまり遠くには行けませんけど」というではないか。
「そうなんですね」
と、私は楽しい行事を待つ子どものように目がきらっと光ったと思う。
茶髪は名刺をくれた。
母と、母の妹、つまり叔母と私の3人で、ドライブをすることを私は想像した。秋の日に照らされた道を、涼しい車の中から見ながら走るのだ。運転手には茶髪を指名しよう。
そのドライブは、昼間に決まっているけど、その時はベンの歌うDRIVEをBGMにするぞ。
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