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仕事のエピソード

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広報やマーケティング、あるいは外資と邦人の企業カルチャーの違いなどのエピソードを分類しています。
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小粋な「伯方の塩」のブランド戦術

小粋な「伯方の塩」のブランド戦術

先日、家族が瀬戸内方面に旅行に行ったのだけど、一つとても感心したことがあったので、ここで披露したい。

それはTVCMでお馴染みの「伯方の塩」の工場見学でのエピソードだ。

わたしは伯方の塩は、てっきり博多(福岡)の方にあるとばかり思っていたので、それがまず一つ驚きだったのだが、訪れた人をニッコリさせる小粋な演出がいくつもあったことなのだ。

まずはお土産でいただいたという多彩な種類の塩。今治のゆ

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週休3日制で働いてます😊

週休3日制で働いてます😊


今、週4日勤務で働いています今の私は、週4日勤務を基本とした勤務形態だ。

もともと週3日からの勤務OKの条件での広報部門の募集に応募し、60歳を越えてから就業したことや、高校時代にバスケで痛めた膝で通勤もなかなか辛いし、私にはちょうど良い。
また業務に慣れた最近はテレワーク中心で、会社に通勤するのも週1回だったりするので、なおさらありがたいのだ。

1日の就業時間は昼休みを除いて6〜8時間ほど

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国家公務員での思い出。戸惑った” 平仄”という縛り...。

国家公務員での思い出。戸惑った” 平仄”という縛り...。

自由に文章表現が出来ない不自由さ。

私は長年広報の業務を経験し、数多くの”プレスリリース”や”ニュースレター”などの文章を作成し報道関係者に届けた。

ナイキジャパンの広報だった時は、『Number(文藝春秋)』や『FENガイド(アルク)』、『ダンクシュート(日本スポーツ企画出版)』等に、ほぼレギュラーのかたちでNBAやUSのスポーツ事情の署名記事を寄稿していた。
特に1993年の5月20日発売

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早期退職&転進制度で2回、会社を辞めました。

早期退職&転進制度で2回、会社を辞めました。

まずは、私の職歴から
自己紹介の記事(下記掲載)でも書いていますが、私は、大学を卒業後、広告会社 ⇒ ナイキジャパン ⇒ レノボジャパン ⇒ 邦人一部上場企業 ⇒ 霞が関の国家公務員 ⇒ 2023年1月下旬より、医療・介護サービスやIT事業を提供する企業にて非常勤の広報パートタイマー。という職歴で現在に至っています。

その中で、退職願を書いて、上司に「ちょっとお話が・・・」と声をかけ、”一身上の

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広報担当の方、"ボイラープレート"、つくってますか?《ある一部上場企業広報の傲慢な思い上がり》

広報担当の方、"ボイラープレート"、つくってますか?《ある一部上場企業広報の傲慢な思い上がり》

上司に依頼され作成したグローバルのレピュテーション・マネージメント

私はNIKE Japanと、(IBMのパソコン部門が売却された直後の)Lenovo Japanの初代PRマネージャーを務めました。
そこでの数々の経験はまた別途と思うのですが、Lenovoから邦人一部上場企業に転職した時は、ブランド戦略室への転職でした。ある外資のゴルフメーカーのカントリーPRマネージャーの社長面接まで進んでいた

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バスケットボール天皇杯優勝、おめでとう! ジョン・パトリック監督!

バスケットボール天皇杯優勝、おめでとう! ジョン・パトリック監督!


ドイツから戻ってきたばかりで天皇杯を制したJohn Patrick!

WBCでの大谷選手の活躍に目を奪われていた私のもとに、ナイキジャパン時代、私がスポーツマーケティング・バスケットボールチームのマネージャーをしていた時のチームの一員であり、かつ日本のバスケットボールに精通し、今は日本バスケットボール協会にいる”I氏”から、「J.Pがやりました!」というFacebookメッセージが届いた。

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自己紹介:初代NIKE広報マネージャーへ導いてくれた、小さな新聞広告

自己紹介:初代NIKE広報マネージャーへ導いてくれた、小さな新聞広告

はじめまして。 #23 Shibata(トウェンティ・スリー・シバタ)と申します。
昨年、2022年6月に60歳となりました。

大学を卒業後、広告会社 ⇒ ナイキジャパン ⇒ レノボジャパン ⇒ オリンパス ⇒ 霞が関の国家公務員 ⇒ 2023年1月下旬より、医療・介護サービスやIT事業を提供する企業にて非常勤の広報パートタイマー。という職歴です。

”NBAオタク”から広報に。

ウィキペディ

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マイケル・ジョーダンの背番号を、ニックネームにもらった幸運

マイケル・ジョーダンの背番号を、ニックネームにもらった幸運

ドットライン上のPRボスの登場🏀

彼の名はDusty Kidd。当時の彼のポジションは、アジア・パシフィック地域のPR Director。NIKEのアジア各国のオフィスに広報担当を置こうと、着任早々に当時のアジアの売上げの大部分を占めていた日本にやってきたのだった。自分の直接の上司はナイキジャパンのマネージャーだったり、マーケティング・ディレクターだったりしたのだが、その後、彼は私にとってドッ

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