見出し画像

早期退職&転進制度で2回、会社を辞めました。


まずは、私の職歴から


自己紹介の記事(下記掲載)でも書いていますが、私は、大学を卒業後、広告会社 ナイキジャパン レノボジャパン 邦人一部上場企業 ⇒ 霞が関の国家公務員 ⇒ 2023年1月下旬より、医療・介護サービスやIT事業を提供する企業にて非常勤の広報パートタイマー。という職歴で現在に至っています。

その中で、退職願を書いて、上司に「ちょっとお話が・・・」と声をかけ、”一身上の都合により”という自己都合での退職をしたのは、実は最初の広告会社と、レノボだけなのです。
あのプロセス、すごく緊張するんですよね。出来ることなら、何かの申請みたいに、PCの操作ひとつで出来たらどんなに楽か・・・。

そんな退職に伴う緊張するシチュエーションを避ける辞め方、それがリストラへの応募なんです(苦笑)。


最終出勤日の仕事が、リストラの報道発表だったレノボ


私がいわゆるリストラに応募したのは、皮肉にも自分のキャリアが一番長いナイキと、2番目に長い邦人企業の2社でした。
まあ、会社の業績も上がったり下がったりするわけで、社歴の長い会社だからこそリストラの機会に遭遇したのかもしれないです。

でも実は、10か月と一番勤務期間の短かったレノボの最終出勤日の私の仕事はリストラの報道発表だったんです(笑)。

レノボの時の私の上司は業界でも有名な強烈な方で、”鉄の女”といわれた元英国首相のサッチャーのような女性執行役員でした。
「ちょっとお話が」と呼び出し、退職願を出したところ、最初は困ると言われたのだけど、最後に「じゃあ、辞める前に一つやってほしいことがあるの。その説明の前にこれにサインして。」と秘密保持契約書を渡されました。
「すいませんが、仕事の内容のことも知らされず、サインなんかできないですよ」と答えたけど「いいから、サインして」の一点張り。仕方がなくサインした後に聞かされたのが、リストラの報道発表だったのでした。

その後は、周囲の社員に気付かれないように、こそこそプレスリリースを作成し、本社やアジアのPR、そしてPR会社の方と連絡を取り合う隠密行動でした。
そんなわけで、私のレノボの最終出勤日の仕事は、朝にリストラのプレスリリースを配信し、かかってくる電話を一人で受け続け、夕方に執行役員が「ちょっとみんな集まって」と声をかけ退職の挨拶……。
多分、みんな、私はリストラのパッケージを受け取って辞めたんじゃないかと思ったろうけど、受け取ってないんですよねぇ……。


『Second Career Program』と『社外転進支援制度』への応募


話は、自分が応募した2つのリストラに戻ります。

ナイキのSecond Career Program(略してSCP)に応募したのは、私が44歳の時でした。
それまでも2回ほどSCPの機会はあり、ある時は自分の部下を最低一人辞めさせなくてはならず、私は他の新設ポジション(Basketball Category Business Manager)に応募し異動することで、一人分のヘッドカウントを減らすという策で会社と交渉しました。私の応募が却下の場合、私が退職するからという約束もしました。結果、応募はOKだったのですが、それまでのSports Marketing Managerとの兼任でより忙しくなってしまい、その後体調を崩すことになってしまいました(泣)。

実際にSCPに応募した時は、また広報の仕事がしたいなと思い始めていた時で、その当時のナイキの広報マネージャーは私が外から採用した者が立派に勤めていたので、この機会を利用してナイキを去ることにしようと決めたのでした。
その時、私は人事にいたので、退職までの期間、再就職支援会社でのセミナーの参加や履歴書添削など、転職活動も大っぴらにできたので、日中に会社の会議室を予約し、そこでレノボのアジア地域のPRディレクターと電話面談もしました。その後レノボジャパンの社長面接を経て、ナイキの退職日の翌日からレノボに出社することが出来たのでした。


邦人上場企業の社外転進支援制度に応募した時、私はもう59歳でした。
会社がグローバル化し、人事制度も含め改革が進んでいました。外資にいた私には新たな人事制度はなじみがあるものでしたが、正直かなり中途半端な感じがして、制度が整うには当分いろいろな苦しみが伴うことは容易に推察できました。ソーシャルメディアの活用やデジタルマーケティングなど、新たな提案をしてもなかなか受け入れられなかった風土が変わる頃には、私ももう60歳を過ぎるだろうし、そんな年齢で新たなことに携わらせてもらえるとは思えなかったので、転進支援制度が発表されてすぐに応募しました。

3月末に退職となり、次の仕事となった国家公務員の内定を貰えた12月までの約9か月、特に焦る気持ちもなく、就職活動をしながら、毎日好きなギターを弾き、当番の日は家族の夕食を準備する日々。結構充実していました。

同じ本部内で親しい同僚が3人応募しており、いずれも優秀な人で前向きな退職だったので、退職前からLINEで情報交換していたことも、精神面の安定につながったと思います。

まとめると、私のように上司を「ちょっとお話が・・・」と、こっそり呼び出して、退職願を出すのが苦手な人には、転進制度等の応募は案外、ハードル低いのではと思うのです。というのも会社から提示される退職の同意書のようなものにサインすれば良いだけだし、ある意味それは会社に対する貢献であるし、また場合によっては再就職支援会社のパッケージも受けられるのです。再就職支援会社は、退職者が次の会社を決めたりするまではお金が受け取れないため、とても親身にアドバイスやサポートをしてくださいます。

もちろん、自分の人生やキャリアのプラン、在職年数や年齢等によってもらえる割増の退職金パッケージの条件もきちんと検討する必要はあるし、転職市場の動向をしっかり分析する必要もありますが・・・。


最近のシニア層の転職事情は・・・。

ちなみに私が転進制度で退職した2021年3月頃から、各企業が転進支援制度という名のリストラをはじめ、私の年齢に近い方々が大量に転職市場に放り出されました。一応TOEIC800点以上持っていてそれなりの専門スキルを持っていても、転職はたいへん厳しいものでした。
人材サイトに登録しても届くスカウトは、タクシー運転手や警備員ばかりでした。

ところが最近、潮目が変わっている感じがします。
今年の1月から非常勤で週4日の仕事をしているので、いくつかの人材サイトの登録は解除したものの、人材市場を知っているのは悪くないので維持しているのがいくつかありますが、最近のスカウトは結構魅力的な案件が届きます。それも放置していると、結構熱意のこもった内容で2度3度と同じ会社からお誘いがきたりするので、案外シニア層の評価が高くなっている気がします

そうであれば、中高年の活躍の機会も徐々に広がっているかもしれません。
ちなみに、私は、今の会社で、広報のみならず、広告やブランド管理、商標管理などの経験も活かすことが出来、重宝がられています。


以上、つらつらと私の経験を書きましたが、何か参考になれば幸いです。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。




この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?