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自己紹介:初代NIKE広報マネージャーへ導いてくれた、小さな新聞広告


はじめまして。


#23 Shibata
(トウェンティ・スリー・シバタ)と申します。
昨年、2022年6月に60歳となりました。

大学を卒業後、広告会社 ナイキジャパン レノボジャパン オリンパス ⇒ 霞が関の国家公務員 ⇒ 2023年1月下旬より、医療・介護サービスやIT事業を提供する企業にて非常勤の広報パートタイマー。という職歴です。


”NBAオタク”から広報に。


ウィキペディアによると、”オタク”という言葉は1980年代に生まれたようです。1989年に当時青山にオフィスがあったナイキジャパンに入社した当時の私は、既にバリバリの"NBAオタク"でした。
広告会社に勤務していた頃から、USA Todayを宅配で購読。銀座にあったイエナ書房のおかげで、NBAゲーム会場で販売するHOOPや、Sports IllustratedSporting Newsも定期購読していました。
またUSA Todayに出ていた広告のおかげで、西ドイツ(東西ドイツの統一は1990年)のPontelという会社にFAXでコンタクト。マイケル・ジョーダンの所属するシカゴ・ブルズのTV放映ゲームのVHSビデオを毎週Fedexで送ってもらい、VHSデッキで観戦していました。

入社初日から、ナイキジャパンで1番NBAに詳しい社員となった私に、当時のマーケティング・チームリーダーで、かつてVANにいた"G"さんが、倉庫にあった数々のプロモ品「これ、お前にやるよ」と言ってくださいました。そのなかにはあのJumpmanロゴの元になったマイケル・ジョーダンのパネルもあり、私は天にも昇る気持ちでした。


プータローになった私が、スイスのプライベートバンカーに?


話は少し戻ります。
大学を卒業した頃は、コピーライターの糸井重里さんが毎日のようにテレビ出演し、広告会社は当時の花形産業でした。
コネなど全くない私は、日経新聞の資本が少しだけ入った広告業界の中堅企業に入社。しかし、入社から4年10ヶ月、異動を機に私はその広告会社を退職しました。理由は自分自身が事業会社で、自分で決断して物事を進めてみたかったからでした。どんなに良いアイデアだと思って強く薦めても、クライアントに理解がなければ一生それは実現しないのですから・・・。

退職した翌日の2月1日はものすごい雪の日で、「在野日記」と名付けた転職活動を綴ったノートの1ページ目に、私は「全国のサラリーマン、ザマーミロ!」と書いていました。
しかし、その後、転職先がなかなか決まらない私は、減っていく銀行口座の残額と共に気持ちはダウンし、実家のある名古屋に戻ることも考え始めていました。

"NBAオタク"だった私は「NBAに関われるなら掃除の仕事だって良い」と思っていて、当時、中目黒にオフィスのあったConverseのマーケッターの仕事に応募、日本支社長の面接まで行きましたが駄目でした。
ところが、「ゴルゴ13」にも名前の出てくるスイスのピクテ銀行の日本法人社長で、その後”日本の長期投資のパイオニア”と呼ばれた澤上篤人さん(現さわかみグループ総帥)に気に入られ、「来週からおいで」と内定が決まったのでした。
同じ名古屋の出身だったことと、プータローなのにノーチラスクラブ(当時のスポーツジム)に行き、面接の印象を良くするために日焼け機で顔を焼いていた自分の、逆境を楽しんでいるようなマインドを気に入ってくださったようでした。


ナイキジャパンからの留守番メッセージ


来週から世界有数のプライベートバンクの社員なんだと、身が引き締まる思いで帰宅したら、留守電ボタンが点灯。なんとメッセージは「ナイキジャパン総務の"I"です。柴田さんの内定が決まりました」!
翌日、私は再び澤上さんにお会いし、内定辞退のご挨拶をしました。澤上さんは温かい目で「もし、ナイキに行って、違うなと思ったら、また僕のところにおいでよ」とおっしゃってくださいました。澤上さんとはその後も数年、クリスマスカードを送ってくださり、なぜか私のことをずっと気にかけてくださいました。

朝日新聞日曜版の小さな人材募集広告

これがナイキ入社のきっかけとなった、朝日新聞日曜版の人材募集広告。
初心を忘れないよう、ずっとシステム手帳にはさんでいました。

インターネットもなく、今のように転職エージェントもほとんどいなかった当時。転職の情報源は、日曜の朝日新聞と、月曜の日経新聞の人材募集広告くらいでした。
何か良い仕事はないかと、駅の新聞スタンドで日曜と月曜に新聞を買い、人材募集を見て履歴書を書き、郵送していました。上に表示した小さな朝日の人材募集広告では、私ともう一人、"N"(彼はジョン・ローンに似ているイケメンだったので、ジョンと今も呼ばれています)の二人が、ナイキジャパンの広報・宣伝チームに入社したのでした。

面接でNBAの素晴らしさを熱っぽく語る私に、面接官であったマーケティング部長の"S"さんが「シバタさんは、NBAのため、それともナイキのためのどっちのためにナイキに入りたいの?」と質問されたとき、一瞬戸惑った私が、「もちろん、すべてのためです!」と答えたのが笑いを誘い、気に入られたようでした。

次回は

なぜ、#23(トウェンティ・スリー)というニックネームを貰い、名刺にもそのニックネームが入るようになったとか、今の”オタク”案件であるエレキギターについてnoteしてみたいと思います。
お楽しみに!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!

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