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幸せに生きるための指針とは? 2つの「祈り」から学ぶマインドセットの持ち方

「変えられることに集中し、自分と他人の課題を分離することが幸せに生きるマインドセットということか」

先行きが不透明な今を生きる我々にとって、「何に自分のリソースを割くべきか?」は重要な問いです。時間だけは万人に平等に与えられたリソースですが、この使い方を間違えると、幸福は離れていきます。そして時間と共に大切なのが心の使い方。

今回は2つの「祈り」の言葉から、我々が持つべきマインドセットについて考えてみます。

ニーバーの祈り

みなさん、ニーバーの祈りをご存知ですか?お恥ずかしい話、私は最近まで知りませんでした。この言葉、非常に学びにあふれた言葉です。ご紹介しますね。

THE SERENITY PRAYER
O God, give us
serenity to accept what cannot be changed,
courage to change what should be changed,
and wisdom to distinguish the one from the other.
Reinhold Niebuhr

以下が翻訳した内容です。

ニーバーの祈り
神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
ラインホールド・ニーバー


この言葉はアメリカの神学者であり倫理学者のラインホールド・ニーバーがマサチューセッツ州の小さな教会で説教した時の祈りだそうです。それは1943年のこと。非常に古い言葉ですね。

この言葉は第二次世界大戦の中にカードにして兵士に配られたり、戦後はアルコール依存症患者の断酒会のモットーとして採用されたりしたそうです。困難に直面している人が、その環境下でも前向きに行動する指針として有用な内容だったと思います。

この言葉はいろんな局面に応用できる柔軟性を持っていますね。仕事にしても、家事にしても、または人間関係にしても、「自分でできること」と「自分ではどうすることもできないこと」という2つの側面にぶつかることはよくあります。この構図に直面した時に、心の中で唱えたい言葉です。

そして、「変えることができないもの」に自分の力や時間を割くことは生産性も低く、幸福にはなれません。「自分で変えられること」に集中することは自己効力感を感じながら生きていく上で極めて重要な真理です。しかし、コレ、往々にして忘れがちですよね。

さらに、ニーバーも語っている通り「識別する知恵」が必要なほど分けるのが難しいテーマでもあります。しかし、そこを曖昧にしないことが大切です。自分の役割、活動のスコープを自分で見極める。この意識を持つことで、たとえスコープ外の事で自分に不都合があったとしても「自分で変えられない」ことに悩むことがなくなり、状況を前向きに受け止めることにつながります。

つまり、このニーバーの言葉を理解し、意識することで、「ムダに悩む」ということを回避できるのだと思います。


ゲシュタルトの祈り

もう一つ、生きる指針という意味でとても有用な祈りがゲシュタルトの祈りです。以前も一度記事にしたことがあります。

内容は以下のものです。

I do my thing, and you do your thing. I am not in this world to live up to your expectations, And you are not in this world to live up to mine. You are you, and I am I, and if by the chance we find each other, it’s beautiful. If not, it can’t be helped.

以下が翻訳した内容です。

ゲシュタルトの祈り
わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。
わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではない。
あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。
私は私。あなたはあなた。
もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。
しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ。

この言葉はドイツの精神科医フレデリック・S・パールズによるゲシュタルト療法の思想を盛り込んだ詩ですね。彼はワークショップの中でこの詩を毎回読み上げていたそうです。この内容は多くのカウンセリング療法の精神や哲学をよく表している詩として有名です。

この言葉が素敵なのは「自分を大切にする」という価値観が貫かれているところです。何かの犠牲になることなく自分を大切にする。「誰かのために」というもっともらしい理由で自分をおろそかにしないということ。

そして、他人を尊重することもその前提には「自分を大切にする」が先にあることを教えてくれています。

ニーバーの祈りは「変えられること/変えられないこと」という線引き、そしてゲシュタルトの祈りは「自分の人生/他人の人生」という線引き。こうしたあいまいになりがちな境界線をしっかり見極め、自分が扱うべき課題を自分で選んでいくことが大切なのかなと思います。


課題の分離

「嫌われる勇気」で有名なアドラー心理学にも「課題の分離」という考え方が登場します。アドラーは、「人間関係の悩みは全て対人関係の悩みである」としています。この「全て」と断定してしまっているところが痛快ですね。ベストセラーの一冊ですが、まだ読んでいない方は一読されることをおすすめします。この本は読むと結構人生観変わりますね。

この「人間関係の悩みは全て対人関係の悩みである」は冷静に考えると本当にそう思います。仕事も恋愛もお金の悩みも、紐解いていくと「悩み」は全て「人」に帰着します。そして、その人間関係の悩みがなぜ生じるのかというと、原因は「自分の課題」と「他人の課題」がごちゃまぜになっているからだとアドラーは説きます。

自分の課題と他人の課題とは、次のよう整理できます。

自分の課題:自分自身でコントロールできる課題
他人の課題: 自分ではコントロールできない課題

シンプルですが、自分でコントロールできることとできないことを明確に分け、コントロールできないことに悩んだり、一喜一憂しないようにしましょう、というのが課題の分離の考え方です。

先にご紹介した2つの祈りにも通じる考え方ですね。

まとめ

最近「繊細さん」を扱った本がたくさん売られていますね。こういう本が売れるということは潜在的な繊細さん、つまり「気がつきすぎる人」が多いのだと思います。そして繊細さんは自分以外の課題も背負ってしまい、疲れすぎる傾向にあるのではないかと思います。

こうした、自分よりも他人を優先しすぎる人は特に、今回ご紹介した2つの祈り、そしてアドラーの説く「課題の分離」は非常に役に立つマインドセットなのではないかと思います。

私もゲシュタルトの祈りは仕事場で目に見える所に置いていたりします。このマインドセットを意識するようにしてから必要以上に他人に首を突っ込まなくなりました。そうすることで、メンタルも安定したように思います。

さらに今回学んだニーバーの祈りの、「変えられることとそうでないこと」も意識していくことで、自分の限られたリソースをより有効に使っていけるように思います。

大切なことは何よりも「自分を大切にする」ということ。

曖昧になりがちな優先順位や役割の領域を線引きし、自分と自分のリソースを大切にしながら生きていきたいですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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