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恋と学問

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もののあはれとは何か?本居宣長「紫文要領」から読み解く、源氏物語の魅力と本質。
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#もののあはれ

恋と学問 あとがき、一冊の本を読むということ。

恋と学問 あとがき、一冊の本を読むということ。

最後までお付き合いくださった方へ、改めてお礼申し上げます。

今から200年以上も前に世を去った、江戸時代の学者である本居宣長(1730-1801)が、33才の年に完成させた源氏物語研究「紫文要領」についての、少しばかり長大な読書感想文、それがこの「恋と学問」です。今年で33才を迎える筆者としては、浅からぬ因縁を感じます。

2021年8月27日に筆を起こし、2023年12月23日に筆を置いたので

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恋と学問 第31夜、哀れの花は咲かすに任せよ。

恋と学問 第31夜、哀れの花は咲かすに任せよ。

こんばんは。

「恋と学問」と題して続けてきた私の一人語りも、今夜で最終回になります。本居宣長の著作「紫文要領」の結論部分に当たる、「歌人此の物語を見る心ばへの事」の結末を、今から見届けることにしましょう。

まず、これまでの流れをかんたんに振り返ります。結論は「この本の主題は実は歌道論であった」という、衝撃的な宣言で幕を開けました。源氏物語論も、物の哀れの思想も結局、「歌の道」に回収されるのだと

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恋と学問 第30夜、感情のリハビリテーション。

恋と学問 第30夜、感情のリハビリテーション。

本居宣長の著作「紫文要領」の結論部分を読み解く、全3回の2回目です。今夜は引用から始めます。

宣長は言います。歌の理想は三代集である、だからあなたが詠む歌も三代集を模倣すべきである、と。この主張自体は藤原定家以来、誰もが言ったことで、宣長の独創ではありません。しかし、印象派の絵筆にかかれば、何でもないリンゴが異様な存在感を放つように、この月並みな主張も、「紫文要領」の結論部分に置かれることで、特

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恋と学問 第29夜、告白は歌にのせて。

今夜から、本居宣長33才の作、「紫文要領」(西暦1763年成立)の、結論部分(岩波文庫版、162-184頁)の読み解きを始めます。私たちの旅は予定された目的地を持ちません。読み解いた先に、どんな景色が待っているのか?すべては宣長の筆と、それを読んだ時の私たちの想像力にかかっています。

手始めに結論部分のタイトルについて触れておきましょう。いわく、「歌人此の物語を見る心ばへの事」。

・・・え?

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【やさしい翻訳】本居宣長「紫文要領」結論(中)

【やさしい翻訳】本居宣長「紫文要領」結論(中)

(前回からのつづきです)

11.歌と実情古代の歌人(訳者注:宣長が古代と言った場合、平安時代の初期に成立した古今和歌集の時代を想定している)も、歌に詠むほどの事柄でもないのに、さらに昔の万葉歌人の心情を模倣したり、あるいは、思ったことを強く言おうとしたりして、実際に心に思ったよりも誇張して詠むことがあったはずです。こうした事情は現代の歌人と変わりません。源氏物語にも「よき様に言う際にはよきことの

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恋と学問 第28夜、聖典から他者の心に達した人。

恋と学問 第28夜、聖典から他者の心に達した人。

今夜お話するのは、紫文要領の目次を作った時に一括して「補説」と名づけた、本論と結論の中間にある部分です。(岩波文庫版、151~162頁)

本居宣長はここで、源氏物語について言い残したことがないように、思いつくかぎりの論点を列挙しています。

補説1.栄華と物の哀れ
補説2.仏教・再論
補説3.人の情の本当の姿
補説4.物語中の迷信について
補説5.過去を想像する力

以上の5項目を、質疑応答の形

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恋と学問 第27夜、父親殺しの誘惑。

恋と学問 第27夜、父親殺しの誘惑。

紫文要領を読解する私たちの歩みも、だんだんと終わりに近づいてきました。今夜取り上げる「不義密通すら主題ではない」(岩波文庫版、138~151頁)は、第3部「恋愛と物の哀れ」の最終章であり、ということは、本論の最終章でもあります。

(紫文要領の目次についてはコチラ)

本居宣長は前章で、源氏物語に長年かけて降り積もった、誤読という名のホコリを一気に払いのけました。その手ぶりは「真剣に取り合うに値し

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恋と学問 第26夜、なぜ源氏物語は誤読されるのか?

恋と学問 第26夜、なぜ源氏物語は誤読されるのか?

作家で評論家の丸谷才一(1925-2012)に、「恋と日本文学と本居宣長」という本があります。宣長の「もののあはれ論」について書かれたものの中では、短くまとめられていて読みやすい好著です。そこで丸谷さんは、宣長の著作「石上私淑言」(紫文要領と同時期の成立)を引用してから、次のように言う。

これは、恋愛をほとんど描かなかった中国古典文学と、恋愛ばかり描いた日本古典文学を、比較する中で出てきた言葉で

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恋と学問 第25夜、浮舟の生き方。

恋と学問 第25夜、浮舟の生き方。

今夜、私たちが読もうとする紫文要領の文章は、第3部「恋愛と物の哀れ」の第2章、「物の哀れは生と死に関わる」(岩波文庫版、123~126頁)に当たります。作品の核心と呼ぶべき箇所です。

たった3頁の分量ですから、ほとんど全文を注釈する形で進めたいと思います。これまで以上にていねいに読み解くことを、あらかじめ御了承ください。

これが冒頭の言葉です。前章「なぜ恋が物語の中心なのか」の議論を踏まえた問

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恋と学問 第24夜、フロイトの誤診。

恋と学問 第24夜、フロイトの誤診。

前々回の「走り出した足が止まらない」から三回にわたって、「しのびがたき心はわが心にもかなひがたし」という、本居宣長の言葉について考えています。

おさらいしますと、前々回、この言葉は次のように翻訳されました。「恋とは他者を対象にした予見も制御も出来ない心の動きのことである」と。

恋とはそういうものだ、という理解ならば、誰でもたやすく得られます。自らの経験を振り返るだけでいい。恋の発生を予測して、

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恋と学問 第22夜、走り出した足が止まらない。

恋と学問 第22夜、走り出した足が止まらない。

今夜から第3部「恋愛と物の哀れ」に入ります。紫文要領の読解も、いよいよ大詰めです。

本居宣長は、第3部の冒頭でこのように述べています。物の哀れという言葉の意味合いは充分伝わったはずだから、次なる段階として、物の哀れを知らせる目的で書かれた源氏物語が、どうして恋愛中心の物語になったのかを考えてみよう。第3部の主題である「恋愛論」の幕開けを宣言したわけです。

まず第1章「なぜ恋が物語の中心なのか」

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恋と学問 第21夜、動く心を何が救うのか?

恋と学問 第21夜、動く心を何が救うのか?

今夜は紫文要領の第2部「善悪と物の哀れ」の最終章、「物の哀れ詳論」(岩波文庫版95~107頁)を扱います。

この章で論じられていることは、大きく分ければ二つの項目になります。一つは「物の哀れの類型別分析」、もう一つは「儒仏論」です。本居宣長の議論を整理しながら、それぞれ考えてみたいと思います。

宣長は前回の「勧善懲悪批判」の流れから、源氏物語の主題は物の哀れを知らせることに尽きるのであって、こ

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恋と学問 第20夜、夢から生まれた怪物たち。

恋と学問 第20夜、夢から生まれた怪物たち。

水戸黄門

大岡越前

ウルトラマン

仮面ライダー

セーラームーン

アンパンマン

悪を懲らしめ善を勧める「勧善懲悪」の物語を、思いつくままに並べてみました。挙げようと思えば他にもたくさん出てくることでしょう。

外国にもないことはありませんが、日本ほど多くはないと思います。日本人が勧善懲悪という「お話の類型」を偏愛している証拠です。

勧善懲悪の物語と一口に言っても色々な種類がありまして、

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恋と学問 第19夜、もののあはれとエコノミー。

恋と学問 第19夜、もののあはれとエコノミー。

源氏物語の「帚木の巻」で展開されたコイバナ、いわゆる「雨夜の品定め」について、前回は内容の紹介しか出来なかったので、今夜は本居宣長の解釈に踏みこみます。前回を読まなくても分かるようには書くつもりですが、気になるかたはそちらも読んでみてください。

宣長が注目したのは次の発言です。

これを谷崎潤一郎は次のように訳しています。

しかしながら、宣長の解釈に従って訳せば、これとは全く異なる訳文が出来あ

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