としまとしお

いま面白いと思うことを書いております。 気ままに読んでください。

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    論語の魅力をお伝えします。

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    とりとめのない談話。よもやまの話。

  • 島崎藤村「夜明け前」について

    小説「夜明け前」についての感想

  • 恋と学問

    もののあはれとは何か?本居宣長「紫文要領」から読み解く、源氏物語の魅力と本質。

  • 宇治十帖のゆかりを歩く

    2022年12月30日から翌2023年1月2日まで。宇治十帖のゆかりを歩きながら思ったこと

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私の論語教室  4.まあ天だね。

憲問第十四、第三十七章、「まあ天だね」を読み解きます。 【原文】 子曰、 莫我知也夫。 子貢曰、 何為其莫知子也。 子曰、 不怨天、 不尤人、 下学而上達。 知我者其天乎。 【書き下し文】 子曰わく、 我を知ること莫(な)きかな。 子貢曰わく、 何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。 子曰わく、 天を怨みず、 人を尤(とが)めず、 下学して上達す。 我を知る者は其れ天か。 【現代語訳】 孔子がある時おっしゃった。 私を知る者はいないものだなあ。 弟子の子貢が言った。 どう

    • 私の論語教室 3.近く思う。

      子張第十九、第六章、「近く思う」を読み解きます。 【原文】 子夏曰、 博學而篤志、 切問而近思、 仁在其中矣。 【書き下し文】 子夏が曰わく、 博く学びて篤く志し、 切に問いて近く思う、 仁其の中に在り。 【現代語訳】 子夏がある時言った。 博く学び、強い意志を持ち、 切実な疑問を抱いて、近く思うこと。 仁は、その中に孕まれている。 弟子の言葉この言葉を読み解くにあたり、まず注意したいのは、これは弟子の子夏という人の言葉であって、孔子の言葉ではないということです。

      • ビートルズ名曲図鑑 1.In My Life

        「ビートルズが好きだ」と公言することには、ためらいがつきまとう。これほど好かれているミュージシャンは古今東西いないわけで、それはあたかも、日本人が「私は白飯が好きなんだ」と宣言するのに近い。「お前に言われなくてもみんな好きだよ」というわけだ。 しかし、白飯が好きだという人間にも様々あって、なかには「俺はなぜ白飯が好きなのか」と、白飯の底知れぬ魅力について哲学的な思考をめぐらす人がいるように、私がビートルズを愛好する理由も、それなりに深い次元に達していると思っている。ここはひ

        • 私の論語教室 2.有教無類。

          衛霊公第十五、第三十八章、「有教無類」を読み解きます。 【原文】 子曰、 有教無類。 【書き下し文】 子曰わく、 教え有りて類無し、と。 【現代語訳】 ある時、孔子がおっしゃった。 人間には教育による差が有るだけだ。 人間の種類による差はない。 ずいぶんと短い言葉ですが、ともあれ教育をめぐるお話ということなので、教育の「教」の字の成り立ちから、考えてみましょう。 左側の「孝」の字は、上半分が「老人」を表し、下半分は「子ども」を表します。旧世代と新世代の交わりを表すの

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        私の論語教室  4.まあ天だね。

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          父と私、その1

          今年の3月18日は、珍しく墓に行った。毎年行ってはいるが、命日であるこの日に行くことはあまりなかった。もう8年になる。 行く途中、運転中なのに涙がこみ上げてきたのには困った。思えばあの日も、車内で涙が止まらなくて参ったものだった。父のことを思って流す涙は、不意に車内で起こることが多い。運転に集中しないとならないからかも知れない。他のことを考える余裕がなくて、襲う悲しみの逃がし先がないからだ。 8年前の3月17日、父の友人である医師から知らせを受けた。ゴルフ場で倒れたらしい

          父と私、その1

          映画「オッペンハイマー」について。(ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ)

          昨夜はすることがなかった。ふと友人が、現在公開中の映画「オッペンハイマー」を勧めていたのを思い出して、亀有の映画館へ車を走らせる。上映開始は20時45分だった。 今どき流行らない3時間の大作で、観終わって車に乗り込んだ頃には日付が代わっていた。私は退屈しなかった。クリトファー・ノーラン監督の作品を他に見たことがないので早計かも知れないが、きっとこの人は音の響かせ方に秀でた映画監督だと思う。 友人が的確にして充分な感想を書いているので(リンク)、作品について私が付け加えるべ

          映画「オッペンハイマー」について。(ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ)

          孤児・寡婦・異邦人

          人は誰しも決定的な影響を受けた人がいる。私の場合、20世紀フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナス(1907-1996)が、それにあたる。 影響を受けた範囲が広すぎて、その全容は語ろうにも語れない。それはあたかも、恋する人の好きな所を言い表せないことに似ている。どんなに言葉を尽くしたとしても、あの人の魅力を語り漏らしている気がして、上手い具合にまとまらないのだ。 このような対象について語るには、ほんの一言の解釈に留めておくのが妥当である。今日は、次の印象的なフレーズについ

          孤児・寡婦・異邦人

          私の論語教室 1.文なるかな。

          八佾第三、第十四章、「文なるかな」を読み解きます。 【原文】 子曰、 周監於二代、 郁郁乎文哉、 吾従周矣。 【書き下し文】 子いわく、 周は二代に監(み)て、 郁郁乎(いくいくこ)として文なるかな、 吾は周に従わん、と。 【現代語訳】 ある時孔子が言った、 周は先行する二代の王朝を参考にして、 華やかな文化を築き上げた、 私は周に従うよ、と。 孔子の言葉は、世間話をするかのような口ぶりで、さらりと無限の含蓄を伝えます。よく耳を澄まさないと、重大なことを聞き逃す。その

          私の論語教室 1.文なるかな。

          私の論語教室 総論、孔子について。

          今日の話は、この先、繰り返し立ち戻るであろう大事な話です。お聞き漏らしのないよう、切にお願い申し上げます。 実際に孔子の言葉に触れる前に持っておくべき、いくつかの前提知識について話します。古代と現代の隔たりは、私たちが想像するより大きいからです。この隔たりを無視して、「同じ人間だから」は通用しません。なかには、「前回序章で述べていたことと違うじゃないか。素直に読むのだったら前提知識など持たずに読もうではないか」という意見もあるかもしれません。 その考えは間違いです。前提知

          私の論語教室 総論、孔子について。

          私の論語教室 序章、堀川をたずねて。

          ささいな風景についての印象から始めます。 2023年の大晦日は、ひとりで京都で過ごしました。母校同志社大学の構内にある教会で、無性に祈りたくなったからです。寒空の下、固く閉ざされた母校の門に立ち尽くし、ふと思い付いた私の足は、江戸時代の儒学者伊藤仁斎が300年ほど前に開いた、堀川の塾に向かって歩き始めていました。 大学から歩いて30分とかからない、ずっと気になっていた学舎は、思ったよりだいぶ小さく、ここで行われた学問の大きさとの不釣り合いについて、その場でしばらく考え込ん

          私の論語教室 序章、堀川をたずねて。

          恋と学問 あとがき、一冊の本を読むということ。

          最後までお付き合いくださった方へ、改めてお礼申し上げます。 今から200年以上も前に世を去った、江戸時代の学者である本居宣長(1730-1801)が、33才の年に完成させた源氏物語研究「紫文要領」についての、少しばかり長大な読書感想文、それがこの「恋と学問」です。今年で33才を迎える筆者としては、浅からぬ因縁を感じます。 2021年8月27日に筆を起こし、2023年12月23日に筆を置いたのですが、執筆の前に「紫文要領」を読む経験があったのは当然のことでして、それを含める

          恋と学問 あとがき、一冊の本を読むということ。

          恋と学問 第31夜、哀れの花は咲かすに任せよ。

          こんばんは。 「恋と学問」と題して続けてきた私の一人語りも、今夜で最終回になります。本居宣長の著作「紫文要領」の結論部分に当たる、「歌人此の物語を見る心ばへの事」の結末を、今から見届けることにしましょう。 まず、これまでの流れをかんたんに振り返ります。結論は「この本の主題は実は歌道論であった」という、衝撃的な宣言で幕を開けました。源氏物語論も、物の哀れの思想も結局、「歌の道」に回収されるのだと言われて、私たちは途方に暮れたわけですが、これは歌が告白を意味し、告白は必ず物の

          恋と学問 第31夜、哀れの花は咲かすに任せよ。

          革の話。

          今夜は「革」について雑談をしてみたくなった。ご興味があれば最後まで聞いてくださると良いし、途中で聞くのをやめてくださっても良い。暇つぶしの選択肢に如何だろうと思って話すので、そのつもりで。 私は赤羽という町にかれこれ5年住んでいる。東京の人間ならみんなたいがい知っているだろうが、都外の人間なら知る人と知らない人に分かれるかもしれぬ。この赤羽、英語で言えば、レッドウィング。アメリカの老舗ワークブーツ(作業靴)ブランドの名前と同じである。 この冬、思いきって、この「赤羽作業靴

          夢日記_15/11/2023

          砂漠にいて、隣には女がいた。同じ方角を黙って見ていた。 単調な、黄色一色の風景に、白い物体が小刻みに動くのに気づいた。近づいてみる。 ・・・・ウサギだ。 ウサギは砂を掻き出して穴を作り、2匹の子ウサギを埋めて、走り去った。 女がおもむろに砂を掻き出すと、子ウサギの亡骸が出てきた。ポケットから出した透明なビニール袋に入れようとして、亡骸をつまむと、後ろ足が2本ともポロリと落ちた。 「ビニールに入れたら土に還らないよ」 私は女をたしなめた。女は何も言わない。 私はポ

          夢日記_15/11/2023

          恋と学問 番外編その4、創造的読解のすすめ。

          宇野弘蔵(1897-1977)という人について、今夜はお話してみたく思います。日本のマルクス経済学を代表する人物です。ねらいは、彼の学説と業績をお伝えすることではありません。そんなことなら、他に適任者がいくらもいます。 私が宇野を面白いと思ったのは、彼がマルクスについて行った「創造的読解」というのが、本居宣長が源氏物語について行ったそれと、絶妙な具合で重なるからです。どういう意味か?ここのところを掘り下げて考えてみたい。 はじめに断っておきたいのですが、マルクスの学問がど

          恋と学問 番外編その4、創造的読解のすすめ。

          恋と学問 第30夜、感情のリハビリテーション。

          本居宣長の著作「紫文要領」の結論部分を読み解く、全3回の2回目です。今夜は引用から始めます。 宣長は言います。歌の理想は三代集である、だからあなたが詠む歌も三代集を模倣すべきである、と。この主張自体は藤原定家以来、誰もが言ったことで、宣長の独創ではありません。しかし、印象派の絵筆にかかれば、何でもないリンゴが異様な存在感を放つように、この月並みな主張も、「紫文要領」の結論部分に置かれることで、特殊な意味を帯びてきます。 前回を思い出してください。歌は内面の暴露、心の奥底に

          恋と学問 第30夜、感情のリハビリテーション。