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映画「オッペンハイマー」について。(ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ)

昨夜はすることがなかった。ふと友人が、現在公開中の映画「オッペンハイマー」を勧めていたのを思い出して、亀有の映画館へ車を走らせる。上映開始は20時45分だった。

今どき流行らない3時間の大作で、観終わって車に乗り込んだ頃には日付が代わっていた。私は退屈しなかった。クリトファー・ノーラン監督の作品を他に見たことがないので早計かも知れないが、きっとこの人は音の響かせ方に秀でた映画監督だと思う。

友人が的確にして充分な感想を書いているので(リンク)、作品について私が付け加えるべきものはない。私が今からしたいのは、作品に刺激されて作品から逸脱して行った、私の想念について語ることだ。

この映画は、20世紀アメリカを代表する物理学者で、「原爆の父」と呼ばれたロバート・オッペンハイマー(1904-1967)の人生を描いたものである。原爆が彼の人生にもたらした栄光と苦悩が主題である。

作品は3つの時間軸を持っている。

第1期は彼が学者として駆け出しの頃。実験が苦手な一方で、理論形成に秀でた青年時代の彼が描かれる。それだけならどこにでもいそうな頭でっかちの学生だが、彼が特異だったのは積極的な政治参加にあった。共産党に入党することはなかったが、たびたび集会に参加してスペインの内乱に胸を痛めたりするような、多感で、実践への志向が強い青年だった。

第2期はマンハッタン計画(原爆製造)のリーダーとして奔走していた頃。彼の人生の絶頂期にあたる。原爆が戦争を終わらせることに確信を持っていて、誇りをもって仕事している。原爆の残虐性について周囲の学者から批判を受けると、「人は理論によって威力を知ることはない。実際に見て、恐怖を感じて、はじめて原爆の使用の是非を議論するようになる」とやり返した。

第3期は戦後プリンストン高等研究所の所長時代。彼は水爆の開発に反対している。周囲は彼の真意を測れない。誤解と感情のもつれが引き金になり、彼はソ連のスパイの嫌疑をかけられて弾劾される。彼は抵抗しない。積極的に己の無実を晴らそうとしない。まるで己の名誉に無関心であるかのように。いや、正確に言えば、私の本当に守るべき名誉はそんな所にあるのではない、とでも言いたいかのように。

さて、映画の鑑賞から派生した私の想念は、「学者とは何か」とか、「人は何を知り、何を知らないか」といった種類の疑問に向かって行った。

オッペンハイマーは原爆の威力、人間にもたらす被害の大きさについて、ほとんど正確に予測していた。そして、その投下が戦争を終結に導くこと、だから原爆の使用は正当であり正義に反しないことについて、確信をもっていた。

戦後、広島と長崎の被害状況について報告した映像資料を、オッペンハイマーをはじめとする開発チームが視聴する場面がある。ナレーターは淡々と事実を報告する。たとえばこんな風に。

「この女性は、この時不調はないと言っていたが、3日後に死亡した」

オッペンハイマーの表情は微妙な陰りを見せる。驚いているわけはない。自身が開発し、破壊力も計算されていた兵器を投下した結果について、驚きがあるわけはない。ましてや、その正当性について彼は確信を抱いていたのである。これは全て既知だ。予期したとおりの被害の状況が画面に映されているだけだ。それなのに、どうして私の心はこんなにも揺さぶられているのだろう?彼の表情が語るのは、「己が今抱いている感情への疑問」である。・・・これは悲しすぎる結末だ。

知ることと、見て感じることとの間には、大きな隔たりがある。その隔たりの大きさを予見することはできない。見て感じてはじめて、「知ること」は問い直される。今まで「すでに知られたこと」にしていたことの何を、私は知らなかったのか?これは学問の再検討、ではない。むしろ、この問い直しのことを学問と呼ぶのである。

ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ。近代ドイツの哲学者ヘーゲルの名言だ。その意味は、学問(ミネルバの梟は知恵のシンボルである)が果たすべきことは、決定的なこと(悲劇や破局)が起こってから、その意味を解釈し、人々に告げ知らせることだというのである。逆に言えば、それ以上の役割を学問に負わせてはならぬ、学者は予言者ではないのだから、と。しかし、原爆のように「取り返しの付かないこと」について、事後に何かを悟ったところで何になるのだろうか?これが彼を襲った悲しみの正体である。

彼は青年期、理論に傾き、実験に不得手な自分に、一種のコンプレックスを抱いていた。その空虚を埋めるかのように、政治運動に加わったりした。原爆の製造は彼の本領である理論物理学に、はじめて実践的な意味を与えた。心の底から嬉しかったにちがいない。原爆製造は、彼に現実との接点を与えた。現実の感触に歓喜し、かつてない充足感を味わった。しかし、だ。喜びも束の間、原爆製造の結果としての被害が、彼の学問を根底から問いただす。お前は原爆の何を知っていたか?お前は自分自身で理解しない怪物を作り、それで世界を傷つけた。お前は罪人である。

「人は理論によって威力を知ることはない。実際に見て、恐怖を感じて、はじめて原爆の使用の是非を議論するようになる」

これを原爆の製作中に周囲の学者に言い放った時、彼は自分を含めていなかったはずだ。私は原爆も、原爆がもたらす被害の大きさも、よく知っているのだ、と。でもそれは違った。感情が知識を裏切った。その時、オッペンハイマーは本当の学者になった。つまり、「よく知る人」になった。

この、人間一般に通用する精神の成長過程は、本来めでたきことのはずである。オッペンハイマーの人生の悲劇性は、原爆という一度作られたら取り返しの付かないものを学問の対象としてしまったがために、彼にとっての「よく知ること」が、水爆開発反対運動という、一見すると分かりやすく矛盾していて、単純に解釈すれば贖罪にしか受け取られないような、ネガティブな行為にしか結び付かなかったことに存する。

原爆を製造した人間などに同情は無用、という意見があるのは分かる。だから、彼に同情するとまで言うつもりはないけれども、「よく知る人」としての学者が、「よく知ること」としての学問によって、全く救われることがなかったという歴史的事実が、結論の出せない困難な問題の存在を、私に気づかせてくれたとは言いたいのである。

以上が、映画「オッペンハイマー」を観て、逸脱して行った私の想念の、核心部分であった。

2024年4月14日


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