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父と私、その1

今年の3月18日は、珍しく墓に行った。毎年行ってはいるが、命日であるこの日に行くことはあまりなかった。もう8年になる。

行く途中、運転中なのに涙がこみ上げてきたのには困った。思えばあの日も、車内で涙が止まらなくて参ったものだった。父のことを思って流す涙は、不意に車内で起こることが多い。運転に集中しないとならないからかも知れない。他のことを考える余裕がなくて、襲う悲しみの逃がし先がないからだ。

8年前の3月17日、父の友人である医師から知らせを受けた。ゴルフ場で倒れたらしい。病歴を考えれば冷静に、「ついにこの日が来たか」と思わなければならない所、私は衝撃を受けてしまった。

車を栃木県の病院に走らせる。東京からの長い道のりは、ほとんど覚えていない。どれくらい時間が掛かったかも定かではない。へんに印象に残っているのは、気分を落ち着かせるために流していたビートルズのアルバム「マジカル・ミステリー・ツアー」の、「ハロー・グッバイ」に差し掛かった時に、止めどない涙が溢れてきたことくらいだ。

You say yes, I say no.
You say stop, I say go go go.
oh, no…
You say good bye,
But I say hello.

君が「うん」と言えば私は「いや」と言う。
君が「待て」と言えば私は「行こうよ」と。
なんてこった。
君は「さようなら」と言うんだね。
私が「こんにちは」って言う時に。

この幼稚な歌詞がひどく心に刺さってきた。私はこの頃、本当に今さらだが、父に改めて出会った気がしていたのだ。父が65才、私が25才の年に。私がハローと言いかけた時に、父はグッバイとも言わずに倒れた。

翌日まで待って、当然のごとく死んだ。わざわざ「当然」というのは、17日時点の様子で、父が助からないことは、医師でなくても明らかだったからだ。「もしも助かったとして、脳に障害が残ることは避けられません」と私に説明した担当医も、まさか助かるとは思っていない様子だった。

さて、8年後の3月18日に戻ろう。駐車して墓の前に立ち、つい先だって友人と訪ねた鎌倉の円覚寺で買った、なかなか悪くない香を焚いて、父と対話を試みた。が、しかし、どうあがいても上手く行かない。涙も出ない。というより、何の感想もない。

思えば私は父と、折に触れて、飽きもせずに長い長い対話をしてきたのだが、それが8年も止まってしまったのである。更新されていない二人の関係において、今さら語るべきことはない。墓前で対話ができるほど、私は死後の霊魂の存在を信じていないから、一方的に私の現在の状況を語る気にもなれない。所詮、私のような不信心者にとって、死者のことは思い出の中にしか存在しないらしい。

では、肝心の思い出はどうか。墓の前で必死に解像度の高い映像を浮かべようとしたが、これも上手く行かない。セピア色ですらないような、断片的な映像がちらつくだけに終わった。

こんなことでは行けない、と思った。せめて思い出の中の父を生かしておかなければ、済まされないことだと思った。これは私個人にとって道徳上の問題だ。これ以上ないほどに切実な執筆動機である。忘れないために書かなければならない。

文字通りの覚書、とても個人的な動機に始まる文章だが、読者には小説を読むように読んでいただきたい。父と私が結んだ関係は愛情に溢れたものだったが、一方でそれは、他人に伝える値打ちがあるだけの、特異な愛情だったことも確かなのだから。

【つづく】

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