マガジンのカバー画像

歴史にみる年中行事の過ごし方

13
運営しているクリエイター

記事一覧

「初日の出」「初詣」の由来は?~“昇る太陽”が運気上昇の象徴に~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「初日の出」「初詣」の由来は?~“昇る太陽”が運気上昇の象徴に~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

正月元旦の「初日の出」を拝する風習は江戸時代中期頃に江戸庶民の物見遊山から始まったとされ、「初詣」の風習は明治時代以降に東京や京都、大阪など都市部から広まったとされる。
一見、歴史が浅いように見えるものの、それぞれ起源や由来とされる行事はあったようだ。「初日の出」と「初詣」の歴史を中心に“元日の過ごし方”を振り返りたい。

旧暦の季節感明治5年(1872)12月の「明治の改暦」まで使われていた太陰

もっとみる
「七草粥」の由来は?~1年の最初の節供「人日」とは~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「七草粥」の由来は?~1年の最初の節供「人日」とは~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

旧暦1月1日は新暦の 1月下旬から2月中旬にあたり、冬の寒さも和らぎ、野山に若菜が芽吹き始める頃だった。

古代中国から伝来した1月7日に七種の若菜を食べる風習は、奈良時代から平安時代にかけて宮中行事となり、江戸時代に「五節供」の1つ「人日の節供」(七草の節供)として幕府の公式行事となった。

その後、「五節供」は明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止されたものの、それぞれ旧暦の日付

もっとみる
“梅は百花の魁”~馥郁とした香りが一足先に春を告げる~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

“梅は百花の魁”~馥郁とした香りが一足先に春を告げる~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

旧暦2月の異称は「如月」のほかにもあった。

「梅見月」もその1つ。

冬の終わりと春の始まりを告げる梅は“春告草”とも呼ばれ、その可憐な花と馥郁とした香りは、古くから庭木や盆栽、立花として親しまれてきた。

2月4日の「立春」を前に、梅の歴史を振り返りたい。

文学のなかの梅中国長江中流域が原産とされる梅が日本へもたらされた時期は定かではない。

『古事記』や『日本書紀』にその名は見えず、奈良時

もっとみる
「魔滅」が「豆まき」の由来!?~1年の無病息災を願う「節分」とは~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「魔滅」が「豆まき」の由来!?~1年の無病息災を願う「節分」とは~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「節分」は「節」(季節)を「分ける」という意味で、「二十四節気」のうち季節の始まりをあらわす「立春・立夏・立秋・立冬」の前日を指した。

つまり、本来「節分」は1年に4回あるわけだが、平安時代の貴族の日記などに秋の「節分」に関する記事もみられるものの、時代が下るにつれて「太陰太陽暦」、いわゆる「旧暦」の正月に近い「立春」の前日の「節分」が重視されるようになる。

2月3日の「節分」を前に、その歴史

もっとみる
雛祭り・桃の節供の源流「上巳」の行事とは?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

雛祭り・桃の節供の源流「上巳」の行事とは?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「上巳の節供」は江戸幕府が式日として定めた「五節供」の2番目にあたる。

「五節供」は明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止されたものの、それぞれ旧暦の日付をそのまま新暦に引き継いで民間行事として残った。

現在3月3日は「雛祭り」「桃の節供」とも呼ばれ、「雛人形」を飾り、桃の花や菱餅など供えて祝う日として親しまれているが、今のような形式になったのは江戸時代に入ってからだという。

もっとみる
“世の中にたえて桜のなかりせば”~惜しまれる対象から潔さの象徴へ~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

“世の中にたえて桜のなかりせば”~惜しまれる対象から潔さの象徴へ~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

もともと桜は梅とともに春を代表する自然美の風物で、ただただ純粋に賞美する対象だった。

やがて咲き散る花の姿に、自らを重ね合わせて一喜一憂するようになったものの、散りゆく桜に「潔さ」を見るようになったのは江戸時代中期以降のことで、それ以前はどちらかといえば「惜しむ」といった感情の方が強かった。

令和6年(2024)の桜が散る前に、桜と花見の歴史を振り返りたい。

『万葉集』の桜は「ヤマザクラ」か

もっとみる
「菖蒲の節供」とも呼ばれる「端午の節供」の由来とは?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「菖蒲の節供」とも呼ばれる「端午の節供」の由来とは?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「端午の節供」とは旧暦5月5日のことで、江戸時代に「五節供」の1つとして幕府の式日に定められ、武家を中心に男児の立身出世を願う行事として定着する。

「五節供」は明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止されたものの、それぞれ旧暦の日付をそのまま新暦に引き継いで民間行事として残った。現在5月5日は「こどもの日」とされ、子供の成長を祝う日として親しまれている。

「菖蒲の節供」とも呼ばれた

もっとみる
「七夕」の由来と行事の移り変わり【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「七夕」の由来と行事の移り変わり【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「七夕」とは旧暦7月7日の行事のことで、江戸時代には「五節供」の1つとして幕府の式日にも定められ、武家の間に広まるとともに民間の風習とも結びついて庶民の行事として普及した。

「五節供」は明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止されたものの、それぞれ旧暦の日付をそのまま新暦に引き継いで民間行事として残っている。

現在7月7日、あるいは東北地方などでは月遅れの8月7日に行なわれる「七夕

もっとみる
旧暦にもとづいた「伝統的七夕」の日~2つの星を1つにして戯れる~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

旧暦にもとづいた「伝統的七夕」の日~2つの星を1つにして戯れる~【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「伝統的七夕」とは太陰太陽暦、いわゆる旧暦に基づく「七夕」のことで、平成13年(2001)から国立天文台が公表している。

月の朔望を基準としているため、日付は毎年変わるものの、この日は月が夜半前に沈むため「天の川」がよく見えるという。

中国からもたらされた「天の川」にまつわる伝説と行事がどのようにして現在の日本の「七夕」になったのか。その歴史を振り返りながら、夜空を眺めたい。

「七夕伝説」と

もっとみる
江戸時代に最も重要視された「重陽の節供」とは?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

江戸時代に最も重要視された「重陽の節供」とは?【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「重陽」とは旧暦9月9日のことで、陽数(奇数)の最大値「9」が月と日に重なることから「重九」ともいった。

この「重九」の音が「長久」に通じることから縁起が良い日として喜ばれ、江戸時代には「五節供」の1つとして幕府の式日にも定められる。

「五節供」は明治5年(1872)12月の「明治の改暦」に伴い廃止されたものの、それぞれ旧暦の日付をそのまま新暦に引き継いで民間行事として残った。

「菊の節供」

もっとみる
「中秋の名月」の起源と変遷を辿る【歴史にみる年中行事の過ごし方】

「中秋の名月」の起源と変遷を辿る【歴史にみる年中行事の過ごし方】

旧暦8月15日の夜に見える月を「中秋の名月」という。

古代中国から伝わった月を愛でる風習が、どのようにして現在の形になったのか。

その歴史を振り返りたい。

恋路を照らす道しるべ雅趣に富んだ四季の美しさを表す言葉に「雪月花」がある。
いにしえの人々は雪や花とともに「月」に対して特別な思いを抱いた。

旧暦8月15日の夜の月、いわゆる「中秋の名月」を愛でる風習は平安時代に中国の唐からもたらされた

もっとみる
日本独自の風習「十三夜」の起源と変遷を辿る【歴史にみる年中行事の過ごし方】

日本独自の風習「十三夜」の起源と変遷を辿る【歴史にみる年中行事の過ごし方】

旧暦9月13日の夜を「十三夜」という。

「中秋の名月」、いわゆる「十五夜」の月を愛でる風習は中国・唐より伝わったが、「十三夜」は日本独自のものだ。

昨今忘れられつつある年中行事の歴史を振り返りながら、今宵は夜空を眺めたい。

文化人たちに愛された「後の名月」雅びで華やかな王朝文化が花開こうとしていた時代に、いささか満月に満たない晩秋の月が賞翫された。

旧暦9月13日の夜の月を愛でる風習は、平

もっとみる
2022年11月8日は「皆既月食」【歴史にみる年中行事の過ごし方〈番外編〉~日月食の過ごし方~】

2022年11月8日は「皆既月食」【歴史にみる年中行事の過ごし方〈番外編〉~日月食の過ごし方~】

晩秋、静謐な時間が流れるキャンプ場で天体観測を楽しむ人が増えているという。

11月8日は、18時9分に月の左下が欠け始めることで月食が始まって、19時16分に「皆既月食」となり、「赤銅色」の赤黒く染まった美しい月が見られるのだとか。

その昔、この赤みがかった暗い月は不吉なことが起こる予兆として忌み嫌われた。

古代から中世を中心に「日月食」にまつわる歴史を振り返る。

日本最古の天文記録は「オ

もっとみる