水谷俊樹

作家・漫画原作者/1979年三重県尾鷲市生まれ。現在は執筆活動のほか、歴史ジャンルを中…

水谷俊樹

作家・漫画原作者/1979年三重県尾鷲市生まれ。現在は執筆活動のほか、歴史ジャンルを中心に漫画の監修や企画・構成を手掛けている。監修を担当する漫画作品に『太陽と月の鋼』(小学館)など。東京コミュニケーションアート専門学校講師。趣味の登山はあちこち寄り道しながら日本百名山にも挑戦中

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「馬越峠」|伊勢と熊野のあいだで古の旅人を思う【熊野古道「伊勢路」を歩く】

中世の「紀伊路」、近世の「伊勢路」 いにしえより、よみがえりの聖地・熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる道は、大きく分けて「紀伊路」(古くは紀路)と「伊勢路」の2つのルートがあった。 大阪方面から和歌山を経て熊野へ入る道が「紀伊路」で、三重県の伊勢方面から僕のふるさと尾鷲市を通って南下する道が「伊勢路」だ。 後白河法皇が編纂した歌謡集『梁塵秘抄』に今様歌が残るように、いずれのルートも平安時代中期には存在した。 とはいえ院政期、「紀伊路」は法皇や

    • 「道の駅 茶倉駅」(三重県松阪市飯南町)【紀伊半島を知る、伝える】

      (生まれ育った土地を“故郷”と呼ぶのなら、居を構え、もっとも長く暮らした土地は“地元”と呼ぶのだろう) 令和5年(2023)11月29日、父の三回忌法要を終えたあと、三重県の紀北町(旧・海山町)と尾鷲市にまたがる「便石山」(599m)の「象の背」に立ち、そんなことを思った。 父にとっては紀北町が故郷で、尾鷲市が地元にあたる。 父の死を機に自らのルーツを意識するようになり、45歳を前にセカンドキャリアについて考えるようになった。 そして「もし将来、紀伊半島に活動拠点を移

      • 「高川山」(976m)【秀麗富嶽十二景で「富士山」を撮る】

        「秀麗富嶽十二景」とは、山梨県大月市が選定した市域周辺の12地域・19座の「富士山」の展望に優れた山のこと。 「秀麗富嶽十二景」の山行記録、そして日本の名峰「富士山」の撮影記録として、これまでSNSに投稿した情報や画像を紹介していく。 秀麗富嶽十二景で「富士山」を撮る 「高川山」(979m) 【撮影日】令和3年(2021)11月14日 【所在地】 山梨県大月市と都留市の境 【メモ/雑学】 ・相模川水系の桂川と笹子川に挟まれた、御坂山塊の東端に位置する山。 ・JR中

        • 「丹鶴城公園の桜」(和歌山県新宮市)【紀伊半島を知る、伝える】

          (生まれ育った土地を“故郷”と呼ぶのなら、居を構え、もっとも長く暮らした土地は“地元”と呼ぶのだろう) 令和5年(2023)11月29日、父の三回忌法要を終えたあと、三重県の紀北町(旧・海山町)と尾鷲市にまたがる「便石山」(599m)の「象の背」に立ち、そんなことを思った。 父にとっては紀北町が故郷で、尾鷲市が地元にあたる。 父の死を機に自らのルーツを意識するようになり、45歳を前にセカンドキャリアについて考えるようになった。 そして「もし将来、紀伊半島に活動拠点を移

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        「馬越峠」|伊勢と熊野のあいだで古の旅人を思う【熊野古道「伊勢路」を歩く】

        • 「道の駅 茶倉駅」(三重県松阪市飯南町)【紀伊半島を知る、伝える】

        • 「高川山」(976m)【秀麗富嶽十二景で「富士山」を撮る】

        • 「丹鶴城公園の桜」(和歌山県新宮市)【紀伊半島を知る、伝える】

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        • 紀伊半島を知る、伝える
          13本
        • 秀麗富嶽十二景で「富士山」を撮る
          4本
        • 四季折々の花、草木〈名所編〉
          45本
        • 歴史に思いを馳せる山の旅
          2本
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          「寺谷総合公園の桜」(三重県南牟婁郡御浜町)【紀伊半島を知る、伝える】

          (生まれ育った土地を“故郷”と呼ぶのなら、居を構え、もっとも長く暮らした土地は“地元”と呼ぶのだろう) 令和5年(2023)11月29日、父の三回忌法要を終えたあと、三重県の紀北町(旧・海山町)と尾鷲市にまたがる「便石山」(599m)の「象の背」に立ち、そんなことを思った。 父にとっては紀北町が故郷で、尾鷲市が地元にあたる。 父の死を機に自らのルーツを意識するようになり、45歳を前にセカンドキャリアについて考えるようになった。 そして「もし将来、紀伊半島に活動拠点を移

          「寺谷総合公園の桜」(三重県南牟婁郡御浜町)【紀伊半島を知る、伝える】

          奥武蔵「八徳の一本桜 2024」【四季折々の花、草木】〈名所編 その45〉

          人は年齢を重ねるにつれて自然の奥深さに気づき、「花鳥風月」の順に興味を持つようになるのだとか。 いつからか、仕事の取材先や趣味の登山の目的地へ向かう途中に「○○の○○」と呼ばれる花や草木にまつわる名所を見つけると、立ち寄るようになった。 これまでSNSに投稿した全国各地の名所(画像)を、その時季に合わせて紹介していく。 【四季折々の花、草木】〈名所編〉その45「八徳の一本桜 2024」【撮影日】 令和6年(2024)4月7日 【所在地】 埼玉県飯能市長沢 【メモ/雑

          奥武蔵「八徳の一本桜 2024」【四季折々の花、草木】〈名所編 その45〉

          「赤木城跡の桜」(三重県熊野市)【紀伊半島を知る、伝える】

          (生まれ育った土地を“故郷”と呼ぶのなら、居を構え、もっとも長く暮らした土地は“地元”と呼ぶのだろう) 令和5年(2023)11月29日、父の三回忌法要を終えたあと、三重県の紀北町(旧・海山町)と尾鷲市にまたがる「便石山」(599m)の「象の背」に立ち、そんなことを思った。 父にとっては紀北町が故郷で、尾鷲市が地元にあたる。 父の死を機に自らのルーツを意識するようになり、45歳を前にセカンドキャリアについて考えるようになった。 そして「もし将来、紀伊半島に活動拠点を移

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          【桜見】“世の中にたえて桜のなかりせば”【歴史にみる年中行事の過ごし方】

          もともと桜は梅とともに春を代表する自然美の風物で、ただただ純粋に賞美する対象だった。 やがて咲き散る花の姿に、自らを重ね合わせて一喜一憂するようになったものの、散りゆく桜に「潔さ」を見るようになったのは江戸時代中期以降のことで、それ以前はどちらかといえば「惜しむ」といった感情の方が強かった。 令和6年(2024)の桜が散る前に、桜と花見の歴史を振り返りたい。 目次 ・『万葉集』の桜は「ヤマザクラ」か? ・「観桜の宴」が宮中行事に ・「諸行無常」と桜 ・花見の大規模化

          【桜見】“世の中にたえて桜のなかりせば”【歴史にみる年中行事の過ごし方】

          『フォーロン・ホープ~警視庁抜刀隊戦記~』第7話〈後編〉公開【お知らせ】

          本日(2024.03.29)『フォーロン・ホープ~警視庁抜刀隊戦記~』(原作:井出圭亮先生/作画:TAKUMIサメ男先生)の【第7話〈後編〉】が公開になりました。 時代考証家・歴史家の久山登氏と監修を担当しています。 ぜひご覧ください。 ↓第1話はこちら↓ ↓第2話はこちら↓ ↓第3話はこちら↓ ↓第4話〈前編〉はこちら↓ ↓第4話〈後編〉はこちら↓ ↓第5話〈前編〉はこちら↓ ↓第5話〈後編〉はこちら↓ ↓第6話〈前編〉はこちら↓ ↓第6話〈後編〉はこち

          『フォーロン・ホープ~警視庁抜刀隊戦記~』第7話〈後編〉公開【お知らせ】

          クマノザクラ「長尾美春桜」(三重県熊野市)【紀伊半島を知る、伝える】

          (生まれ育った土地を“故郷”と呼ぶのなら、居を構え、もっとも長く暮らした土地は“地元”と呼ぶのだろう) 令和5年(2023)11月29日、父の三回忌法要を終えたあと、三重県の紀北町(旧・海山町)と尾鷲市にまたがる「便石山」(599m)の「象の背」に立ち、そんなことを思った。 父にとっては紀北町が故郷で、尾鷲市が地元にあたる。 父の死を機に自らのルーツを意識するようになり、45歳を前にセカンドキャリアについて考えるようになった。 そして「もし将来、紀伊半島に活動拠点を移

          クマノザクラ「長尾美春桜」(三重県熊野市)【紀伊半島を知る、伝える】

          東京「九段下駅周辺の桜 2020」 【四季折々の花、草木】〈名所編 その44〉

          人は年齢を重ねるにつれて自然の奥深さに気づき、「花鳥風月」の順に興味を持つようになるのだとか。 いつからか、仕事の取材先や趣味の登山の目的地へ向かう途中に「○○の○○」と呼ばれる花や草木にまつわる名所を見つけると、立ち寄るようになった。 これまでSNSに投稿した全国各地の名所(画像)を、その時季に合わせて紹介していく。 四季折々の花、草木〈名所編〉 その44「九段下駅周辺の桜 2020」 【撮影日】 令和2年(2020)3月29日 【所在地】 東京都千代田区九段下

          東京「九段下駅周辺の桜 2020」 【四季折々の花、草木】〈名所編 その44〉

          「奈良倉山」(1,349m)【秀麗富嶽十二景で「富士山」を撮る】

          「秀麗富嶽十二景」とは、山梨県大月市が選定した市域周辺の12地域・19座の「富士山」の展望に優れた山のこと。 「秀麗富嶽十二景」の山行記録、そして日本の名峰「富士山」の撮影記録として、これまでSNSに投稿した情報や画像を紹介していく。 秀麗富嶽十二景で「富士山」を撮る 「奈良倉山」(1,349m) 【撮影日】令和2年(2020)11月21日 【所在地】 山梨県大月市と北都留郡小菅村の境 【メモ/雑学】 ・大菩薩嶺から東に延びる牛ノ寝通りの東端にある山。 ・戦国武将

          「奈良倉山」(1,349m)【秀麗富嶽十二景で「富士山」を撮る】

          「土井竹林」(三重県尾鷲市)【紀伊半島を知る、伝える】

          (生まれ育った土地を“故郷”と呼ぶのなら、居を構え、もっとも長く暮らした土地は“地元”と呼ぶのだろう) 令和5年(2023)11月29日、父の三回忌法要を終えたあと、三重県の紀北町(旧・海山町)と尾鷲市にまたがる「便石山」(599m)の「象の背」に立ち、そんなことを思った。 父にとっては紀北町が故郷で、尾鷲市が地元にあたる。 父の死を機に自らのルーツを意識するようになり、45歳を前にセカンドキャリアについて考えるようになった。 そして「もし将来、紀伊半島に活動拠点を移

          「土井竹林」(三重県尾鷲市)【紀伊半島を知る、伝える】

          「楯ヶ崎」(三重県熊野市)【紀伊半島を知る、伝える】

          (生まれ育った土地を“故郷”と呼ぶのなら、居を構え、もっとも長く暮らした土地は“地元”と呼ぶのだろう) 令和5年(2023)11月29日、父の三回忌法要を終えたあと、三重県の紀北町(旧・海山町)と尾鷲市にまたがる「便石山」(599m)の「象の背」に立ち、そんなことを思った。 父にとっては紀北町が故郷で、尾鷲市が地元にあたる。 父の死を機に自らのルーツを意識するようになり、45歳を前にセカンドキャリアについて考えるようになった。 そして「もし将来、紀伊半島に活動拠点を移

          「楯ヶ崎」(三重県熊野市)【紀伊半島を知る、伝える】

          クマノザクラ「赤木桜」(三重県熊野市)【紀伊半島を知る、伝える】

          (生まれ育った土地を“故郷”と呼ぶのなら、居を構え、もっとも長く暮らした土地は“地元”と呼ぶのだろう) 令和5年(2023)11月29日、父の三回忌法要を終えたあと、三重県の紀北町(旧・海山町)と尾鷲市にまたがる「便石山」(599m)の「象の背」に立ち、そんなことを思った。 父にとっては紀北町が故郷で、尾鷲市が地元にあたる。 父の死を機に自らのルーツを意識するようになり、45歳を前にセカンドキャリアについて考えるようになった。 そして「もし将来、紀伊半島に活動拠点を移

          クマノザクラ「赤木桜」(三重県熊野市)【紀伊半島を知る、伝える】

          「七里御浜海岸」(三重県熊野市~南牟婁郡紀宝町)【紀伊半島を知る、伝える】

          (生まれ育った土地を“故郷”と呼ぶのなら、居を構え、もっとも長く暮らした土地は“地元”と呼ぶのだろう) 令和5年(2023)11月29日、父の三回忌法要を終えたあと、三重県の紀北町(旧・海山町)と尾鷲市にまたがる「便石山」(599m)の「象の背」に立ち、そんなことを思った。 父にとっては紀北町が故郷で、尾鷲市が地元にあたる。 父の死を機に自らのルーツを意識するようになり、45歳を前にセカンドキャリアについて考えるようになった。 そして「もし将来、紀伊半島に活動拠点を移

          「七里御浜海岸」(三重県熊野市~南牟婁郡紀宝町)【紀伊半島を知る、伝える】