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書き殴りの、生き殴りのジェットコースター自叙伝

私の夢は自由だった。

小学生になったら何がしたいと聞かれても一人暮らしだった。なりたい職業も自由そうなタクシー運転手だった、否定をされて医師と決められた。さらに弁護士に変更された、私には職業選択の自由はなかった。

高校生の反抗期に書いた将来の夢にも何にも縛られたくない自由を、学業や職業さえもない自由人になりたいと書いて進学校だった私は先生に呼び出され鉄拳制裁で鼻血を出した。

自由を口にすることは許されないことと諦めたわけではないが、経済的な自由を目指した。紆余曲折あったが、転職を続けることを良ししない中では順調にキャリアを築き盤石なものにしていった。

しかし長年の不自由が、私の自由を願う心を擦り減らして壊れていった。ビジネスから、会社から、仕事から必要とされ高給とお客様からの感謝の言葉が私をギリギリで支えた。

こんな福沢諭吉の束は貯蓄することなく同僚の仲間や後輩の飲食や旅行にばら撒き、それでも使いきれず残った月給は寄付さえした。会社が上場をした、私の野村証券にある自社株と会社の持株会の株数を株価で掛けるとアホらしくなった。

ばら撒いた、こんなモノのために私の自由は奪われて、家業は破産し、家族は夜逃げし一家離散したのだ。そして親が息子の生き血を吸い、お国の役所は私にもっと面倒を見ろと。。私はばら撒いた、多額の寄付をした。そして空っぽの私では支えきれないと両親を生活保護にすることを役所に認めさせた。

これで一つ自由になった気がした、親さえ自由のために捨てる自分を呪いながらも自由を選んだ。同僚や後輩はポンポンと離職し独立していく。IT、保険代理店、コールセンター大体これだ。破産後の地獄を知っている私は誘われても断り続けた。

寄生虫のように、大企業で金の卵を産むニワトリを誰よりも育成した。卵に多くの付加価値を与えて高額で誰よりも売り捌いた。眠れない、煽るような寝酒に睡眠薬も追加された。人生の時間の多くがそれだけに消費されていった、

弟は呪縛から逃すため自衛隊に入隊させ姓を変えさせ婿入りもさせた。今では家も建て子供も数人も作り一般的な人生のド真ん中を歩ませた。不自由の一つも減った、これも可愛い弟のためと自分に言い聞かせながら結局は自分の自由のためなのだ。

私の自由は家族さえも切り離していく。もう私は無縁仏。この罪深い自由は私を苦しめた。両親と弟を自由にしたときに、一家としての長男としての役割を終え、生きる意味を見失った。私が自由になってから何をするのか全く計画に描いていなかったからだ。

そうして完全に壊れて身体が動けなく仕事に行けなくなった、12時間死ぬことを考え、12時間死なないように反抗する戦いが半年続いた。睡眠薬を多量に飲み凍死を狙った時には死に切れず目覚めたら拘束技を着た状態で病院のベッドの上にいた。

与えられた命だったのだろうか、私にはやり残したことがあることに気付いた。この社会への恨み節をせめてデジタルに遺してもう一度死地に向かいたい、それがnoteだった。SNSをよく分かっていないまま覗いた人に毒を与えて死ぬテロリストのつもりで、私は自我の目覚めから私の歴史を書き終えてから再度死ぬつもりで書いた。

日々自己内対話を続けながら、しかし書いて行くたびに私が通ってきた道には少なくとも愛はあったことに気付けたのだ。そんなに不幸な人生でもないことにも理解をしてきたのだ。そしてSNSにあるわずかな愛があることにも触れた。こんな私に何故だと思いながら私は解毒されていく。

ようやく夢であった自由を得たようなそんなに日々に変わっていった。

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メンヘラで引きこもり生活困窮者です、生活保護を申請中です。ガスも止めてスポーツジムで最低限の筋トレとお風呂生活をしています。少しでも食費の足しにしたいのが本音です。生恥を重ねるようで情けないのですがお慰みを切にお願いします。