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教育は不幸な人がすべきかもしれない
「教育」という分野は恐ろしい。ましてや受験生を見るなんて。
幸い人数は増えたが、その分抱える責任が多くなっただけかもしれない。
自分の人生さえままならない私が、人の人生の分岐点で重要な役割を果たさなければならないのは全くもっておかしな話である。
ではそんなフラフラした私が、人生を睨む受験生に何を伝えられるのか。
多分それは、フラフラしてていいということかもしれない。
大学受験で人生は決まらない
夏を睨みつける。
子供にも大人にもなれない僕らが
後悔とタバコに火をつける。
あの物語は青春だったと気づいた頃には
タバコは燃え尽きる。
灰は落ち、煙は明日に消えていく。
軽くもない荷物を背負って、ただ目を輝かせていた少年たちは
汗と頭痛と感傷で目覚めた
この夏を睨みつける。
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なぜ散りゆく桜を見て泣き、ドアノブを捻ることができないのか。
昨日、精神を削った研究期間が終わりを告げた。
今思えば私の不確定な状態というのは10月辺り。
しかし、残念ながら私のスタートラインは学問的な不安からの解放を求めたわけではなかったのかもしれない。
今回の「学問の祭り」に入った経緯としては、いろいろ言ってはいるが、結局私の何か変えたかったのだと思う。
勉強期間としてはおそらく5ヶ月間。
受講生との関わりや、その葛藤があった。
数字では表せない何かを
思い出なんて消えてしまえば、きっと
アドラー心理学によれば、人を褒めることはあまりいこととされていないそうです。
褒めるという行為の裏側には自分がその人よりも上であるということ。そして、自分が勝手に相手に押し付けた期待が満たされた状態だそうです。
やはりアドラーさんも他者について考える際に「期待」はダメであると言うらしいです。
僕の人間関係に期待の要素がないかというと全くそんなことはありません。
友人関係において、僕が友人だと思
傷つくには、あまりにも美しい
フロムの「愛するということ」
名著と呼ばれるに相応しい内容でした。
要するに愛とはテクニックであって、コントロールできるものであり、まずは自分を愛することから始めようということだ。
納得はしたし、理解はできた。
でも果たしてそうなのか
自分を心底愛していない私が立ち直る方法は
瞑想でも
集中力でも
忍耐力でもない気がする。
愛の方向をコントロールできるとしたら、決して自分に向くことはないと
いまだに遠くで止むことはない、あの日の8ビート
お天道様が顔を見せにくくなる時期になりました。
朝は暗く日中も元気がないようで、ましてやすぐに顔を沈めるようになったものです。
さて、最近はどうしようもないことですが、未来とか将来のこと。現在私が手放しで信頼できる人はいるのか?などを考えているわけです。
しかしながら、答えはましてや、希望も、人も見つけれない日々でございます。
そんな中、ふと自分の価値とは何かを考えるようになりました。
価