佳月枯影

芸術に生きようともがいてる人です。 迷走している人生を少し美しく表現しようかなと。 喋…

佳月枯影

芸術に生きようともがいてる人です。 迷走している人生を少し美しく表現しようかなと。 喋り口調で書いておりますので、ゆっくり、深呼吸をして、一文ずつ咀嚼して読んでいただけると幸いでございます。

マガジン

  • 我輩は人である。希望はまだない。

    希望という名の自己満足を 2023年10月2日〜2023年12月22日

  • 過去・未来ぼくら対せかい

    少し人生の歩みを止めるときにみるもの。 2023年6月23日〜2023年10月1日

記事一覧

錆びた軽自動車は
動きたいと叫んでいた。
でないと邪魔だと言われる。
でもギアは動かない。
目の前の道路には
眩しいほどの光で暗闇を照らし真っ直ぐ進む者ばかりだ。

タイヤもギアもエンジンもあるのに。
ガソリンがない。
燃やすべき何かがない。

私は久々に同士に会った。

佳月枯影
1か月前
2

教育は不幸な人がすべきかもしれない

「教育」という分野は恐ろしい。ましてや受験生を見るなんて。 幸い人数は増えたが、その分抱える責任が多くなっただけかもしれない。 自分の人生さえままならない私が、…

佳月枯影
1か月前
2

夏を睨みつける。
子供にも大人にもなれない僕らが
後悔とタバコに火をつける。
あの物語は青春だったと気づいた頃には
タバコは燃え尽きる。
灰は落ち、煙は明日に消えていく。
軽くもない荷物を背負って、ただ目を輝かせていた少年たちは
汗と頭痛と感傷で目覚めた
この夏を睨みつける。

佳月枯影
2か月前

なぜ散りゆく桜を見て泣き、ドアノブを捻ることができないのか。

昨日、精神を削った研究期間が終わりを告げた。 今思えば私の不確定な状態というのは10月辺り。 しかし、残念ながら私のスタートラインは学問的な不安からの解放を求めたわ…

佳月枯影
2か月前
2

吾輩は人である。希望はもうない。

私はあの子に話したいことがたくさんあります。 挫けてしまったことや、人を信じれなくなったこと、自分に自信がないこと。 夢も失敗もあったこと。 あの日、あの子が帰ら…

佳月枯影
6か月前
1

思い出なんて消えてしまえば、きっと

アドラー心理学によれば、人を褒めることはあまりいこととされていないそうです。 褒めるという行為の裏側には自分がその人よりも上であるということ。そして、自分が勝手…

佳月枯影
6か月前
3

傷つくには、あまりにも美しい

フロムの「愛するということ」 名著と呼ばれるに相応しい内容でした。 要するに愛とはテクニックであって、コントロールできるものであり、まずは自分を愛することから始…

佳月枯影
7か月前
3

この歩幅で

冬の帰省も終わり、再び九州に帰ることになりました。 約二週間の帰省を経て、また一つ前か後ろか一歩進むことができました。 長らく私の心に根付いていた自尊心や傲慢さ…

佳月枯影
7か月前
3

朝がやがて来るはずの地平線をそっと撫でる(2023より2024へ)

2023年もまた過ぎ去ろうとしている中、柄にもなく今年を振り返ってみようと思いました。 思えば、2023年1月1日は高校生でした。 体感では高校生なんて遥か彼方前の記憶で…

佳月枯影
7か月前
5

信用でなく信頼 しかし背水の信仰となる。

私の短い人生を語る上で、「人」というのは必要不可欠でございます。 何度か嘆いていた通り、私の生き甲斐と言いますか、生きる理由みたいなものは大概「人」であることが…

佳月枯影
8か月前
5

いまだに遠くで止むことはない、あの日の8ビート

お天道様が顔を見せにくくなる時期になりました。 朝は暗く日中も元気がないようで、ましてやすぐに顔を沈めるようになったものです。 さて、最近はどうしようもないこと…

佳月枯影
8か月前
6

「友」の方程式

日が落ちるのも早くなり、少し肌寒さを感じる時期になりました。 同時に気分が落ちるのも早くなり、まだまだ長いトンネルの終わりは見えそうにありません。 最近よく「人…

佳月枯影
9か月前
4

吾輩は人である。希望はまだない。

「そんなに人間味あるんや」 ある友人に言われました。 その友人曰く私はあまり悩みなどなさそうとのこと。 さらには何か馬鹿にしているんじゃないかと言われてしまいま…

佳月枯影
10か月前
6

別府、大阪、東京と心の成れの果て

先日帰省しました。 私の通う大学は別府というものすごく辺鄙な場所に存在するのですが、私が住んでいるのは別府の中の山の上。 辺鄙な別府の中で一番辺鄙な場所で生活をし…

佳月枯影
11か月前
3

「人間」と「教育」と「後輩」

高校時代。 私が大切にしていたものは大きく三つあります。 「友」「恋人」 そして「後輩」です。 私は部活動で偶然同じになった後輩をかなり大切にしていました。 大切と…

佳月枯影
1年前
1

平和の天使たるアートと資本主義の飽和

今回は少し思想が強いかもしれません。 私が現在目指しているのは 「平和の天使たるアートと資本主義の飽和」です。 私の心を貫通しているこの2本のイデオロギーが、今な…

佳月枯影
1年前
2

錆びた軽自動車は
動きたいと叫んでいた。
でないと邪魔だと言われる。
でもギアは動かない。
目の前の道路には
眩しいほどの光で暗闇を照らし真っ直ぐ進む者ばかりだ。

タイヤもギアもエンジンもあるのに。
ガソリンがない。
燃やすべき何かがない。

私は久々に同士に会った。

教育は不幸な人がすべきかもしれない

教育は不幸な人がすべきかもしれない

「教育」という分野は恐ろしい。ましてや受験生を見るなんて。
幸い人数は増えたが、その分抱える責任が多くなっただけかもしれない。

自分の人生さえままならない私が、人の人生の分岐点で重要な役割を果たさなければならないのは全くもっておかしな話である。

ではそんなフラフラした私が、人生を睨む受験生に何を伝えられるのか。
多分それは、フラフラしてていいということかもしれない。
大学受験で人生は決まらない

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夏を睨みつける。
子供にも大人にもなれない僕らが
後悔とタバコに火をつける。
あの物語は青春だったと気づいた頃には
タバコは燃え尽きる。
灰は落ち、煙は明日に消えていく。
軽くもない荷物を背負って、ただ目を輝かせていた少年たちは
汗と頭痛と感傷で目覚めた
この夏を睨みつける。

なぜ散りゆく桜を見て泣き、ドアノブを捻ることができないのか。

なぜ散りゆく桜を見て泣き、ドアノブを捻ることができないのか。

昨日、精神を削った研究期間が終わりを告げた。
今思えば私の不確定な状態というのは10月辺り。
しかし、残念ながら私のスタートラインは学問的な不安からの解放を求めたわけではなかったのかもしれない。
今回の「学問の祭り」に入った経緯としては、いろいろ言ってはいるが、結局私の何か変えたかったのだと思う。

勉強期間としてはおそらく5ヶ月間。
受講生との関わりや、その葛藤があった。
数字では表せない何かを

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吾輩は人である。希望はもうない。

吾輩は人である。希望はもうない。

私はあの子に話したいことがたくさんあります。
挫けてしまったことや、人を信じれなくなったこと、自分に自信がないこと。
夢も失敗もあったこと。

あの日、あの子が帰らぬ人となりました。
夢に直向きに走ってきたあの子はもういません。
かつてあの子が追いかけていた光も、道も、信仰も、
今となってはいないのです。

あの子ならきっと頑張れとか、信じろとか言うと思います。
捻くれた自分にも、嫌われている自分

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思い出なんて消えてしまえば、きっと

思い出なんて消えてしまえば、きっと

アドラー心理学によれば、人を褒めることはあまりいこととされていないそうです。
褒めるという行為の裏側には自分がその人よりも上であるということ。そして、自分が勝手に相手に押し付けた期待が満たされた状態だそうです。

やはりアドラーさんも他者について考える際に「期待」はダメであると言うらしいです。
僕の人間関係に期待の要素がないかというと全くそんなことはありません。

友人関係において、僕が友人だと思

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傷つくには、あまりにも美しい

傷つくには、あまりにも美しい

フロムの「愛するということ」
名著と呼ばれるに相応しい内容でした。

要するに愛とはテクニックであって、コントロールできるものであり、まずは自分を愛することから始めようということだ。

納得はしたし、理解はできた。
でも果たしてそうなのか

自分を心底愛していない私が立ち直る方法は
瞑想でも
集中力でも
忍耐力でもない気がする。

愛の方向をコントロールできるとしたら、決して自分に向くことはないと

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この歩幅で

この歩幅で

冬の帰省も終わり、再び九州に帰ることになりました。
約二週間の帰省を経て、また一つ前か後ろか一歩進むことができました。

長らく私の心に根付いていた自尊心や傲慢さ、期待と絶望感を一気に一つの箱に入れたような、
自分の今までの後悔や、残してきたものを再確認できる期間になりました。

さて、今回紹介する絶望と希望は大きく二つになります。
どちらも自分の過去の呪いであるかのような、
はたまた過去からの希

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朝がやがて来るはずの地平線をそっと撫でる(2023より2024へ)

朝がやがて来るはずの地平線をそっと撫でる(2023より2024へ)

2023年もまた過ぎ去ろうとしている中、柄にもなく今年を振り返ってみようと思いました。

思えば、2023年1月1日は高校生でした。
体感では高校生なんて遥か彼方前の記憶でございます。
卒業式を控え、現実も社会も何も考えず、ただ未来に希望と夢を抱いた青年でした。
そう考えると今の私は、あまりにも自分に向き合う時間を多くとってしまいました。恋心も愛情も友情も人生についても面と向かって向き合う時間が残

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信用でなく信頼 しかし背水の信仰となる。

信用でなく信頼 しかし背水の信仰となる。

私の短い人生を語る上で、「人」というのは必要不可欠でございます。
何度か嘆いていた通り、私の生き甲斐と言いますか、生きる理由みたいなものは大概「人」であることが多いです。

人間誰でも何かに縋るものです。
趣味や目標、野望に縋る人もいれば、
いいねの数や経済力など、計測可能なものかもしれません。
そんな中、私は「人」に縋ってしまうのであります。
ある個人を指すこともあれば、大人数の組織の場合もあり

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いまだに遠くで止むことはない、あの日の8ビート

いまだに遠くで止むことはない、あの日の8ビート

お天道様が顔を見せにくくなる時期になりました。
朝は暗く日中も元気がないようで、ましてやすぐに顔を沈めるようになったものです。

さて、最近はどうしようもないことですが、未来とか将来のこと。現在私が手放しで信頼できる人はいるのか?などを考えているわけです。

しかしながら、答えはましてや、希望も、人も見つけれない日々でございます。

そんな中、ふと自分の価値とは何かを考えるようになりました。

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「友」の方程式

「友」の方程式

日が落ちるのも早くなり、少し肌寒さを感じる時期になりました。
同時に気分が落ちるのも早くなり、まだまだ長いトンネルの終わりは見えそうにありません。

最近よく「人生に迷走する。」という言葉を使います。
心と体を一つの志にすることを目標とし、常に人生に迷走するようにしています。
そんな中、最近私の心を蝕んだ話がございまして、
それは私の長年のテーマであり、決して離れられていない「友」でございます。

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吾輩は人である。希望はまだない。

吾輩は人である。希望はまだない。

「そんなに人間味あるんや」

ある友人に言われました。

その友人曰く私はあまり悩みなどなさそうとのこと。
さらには何か馬鹿にしているんじゃないかと言われてしまいました。
何か企んでいるのではと思われるそうです。

ですが実際のところ、今の私はそんな人間からは果てしなく遠くにいます。
メンタルは最弱クラスですし、何か特別な能力も、相対的な実績も、誇らしいことも、ましてや誰かから頼られるなんてのもあ

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別府、大阪、東京と心の成れの果て

別府、大阪、東京と心の成れの果て

先日帰省しました。
私の通う大学は別府というものすごく辺鄙な場所に存在するのですが、私が住んでいるのは別府の中の山の上。
辺鄙な別府の中で一番辺鄙な場所で生活をしておりました。

私はそこを密かに監獄と呼んでいました。
そして8/5の昼、30分間ほどバスに揺られ、別府市駅へ、
別府駅から大分空港へ、そして成田空港へ仮釈放へと向かった。

「東京」
何度か行ったことはありますが一人でゆっくり徘徊した

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「人間」と「教育」と「後輩」

「人間」と「教育」と「後輩」

高校時代。
私が大切にしていたものは大きく三つあります。
「友」「恋人」
そして「後輩」です。
私は部活動で偶然同じになった後輩をかなり大切にしていました。
大切というのも、もちろん恋愛的な話でもなく、ましてや美術部の部長としてでもなかったのかもしれません。

人生に迷走してからというものの、今までのこの後輩たちへの関わり方を振り返ってみました。
それはなんとまあ、ただの先輩というには近く、教育者

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平和の天使たるアートと資本主義の飽和

平和の天使たるアートと資本主義の飽和

今回は少し思想が強いかもしれません。

私が現在目指しているのは
「平和の天使たるアートと資本主義の飽和」です。
私の心を貫通しているこの2本のイデオロギーが、今なお私の行動に矛盾を生んでしまっているのです。

どこまでこの「心」の活版として言語化できるかわかりませんが、この「平和の天使たるアート」と「資本主義」の「飽和」についてお話しいたします。

まず「平和の天使たるアート」ですが、この平和の

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