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この歩幅で

冬の帰省も終わり、再び九州に帰ることになりました。
約二週間の帰省を経て、また一つ前か後ろか一歩進むことができました。

長らく私の心に根付いていた自尊心や傲慢さ、期待と絶望感を一気に一つの箱に入れたような、
自分の今までの後悔や、残してきたものを再確認できる期間になりました。

さて、今回紹介する絶望と希望は大きく二つになります。
どちらも自分の過去の呪いであるかのような、
はたまた過去からの希望のような、
そんな二つをご紹介いたします。

せっかくですのでまずはこの度感じた「絶望」から。

去年からずっと引きずってはいましたが、「友」についてです。
私の悪い癖ですが、私は人を簡単に信頼することができません。
奥の深い根っこの部分では必ず
「人間言葉では何でも言える。」
「本心は無意識の領域から表現される。」
と刷り込まれています。
そんな中で私はその無意識の言動を察知する感度が人並みより高いのです。
この誰も欲しないスキルを一時期大幅にアップデートしてしまったがために、私はものすごく苦しいのです。

決して行動が伴っていない人が悪いと言いたいわけではなく、その無意識下の行動でその相手から見た私の評価というのがわかってしまいます。
それゆえにわかってしまう相手から見た互いへの価値観のズレがどうしようもなく悲しくなってしまうものです。


そんな中でも信頼できる人間が私には4人います。
そのうちの1人は高校一年生からの付き合いで、その4人の中では比較的最近心を許せるようになった人でございます。
彼女と私はかなり根っこの性格の部分が似ている節があります。
彼女自身もあまり人間関係が上手いわけではなく、友と呼べるのは私を含め2人しかいないよと言ってくれる、いつも私を支えてくれる珍しい人間です。

ある日私は彼女ともう1人の友人と私の三人で夕食を共にする機会がありました。
そのうちの1人というと、共に仕事をしたりと、こんな私の中でも大きな信頼を置いている1人です。そのAさんと親友である彼女の予定に割り込みの形でお誘いを受けました。
私の性格上このような場ではかなり気を使ってしまいます。
会話は止まっていないか、楽しそうにしているかなどなど。私の察知能力がフルパワーで稼働しているわけです。
突然、2人の会話の中で私の話題になりました。
なんだかんだ私のセンチメンタリズムの餌食になっている2人でしたので、色々と私の脆弱な精神と、人間関係について話を聞きました。

「やっぱりAと話すほうが楽しいわ笑(私)はなんでもない話ができないから〜」
ふと、その親友の口から発せられました。
要するにいちいち頭を使ってぐるぐる考える話はあまり楽しくなかったそうで。

衝撃的でした。あまり人と比べて人を評価しない彼女が、さらには私にそのようなことを言うとは夢にも思いませんでした。
屈託のない楽しそうな笑顔で友人Aと話しながら、そう言ったのです。

正直、そんな笑顔を見れば見るほど、私は傷つきました。
いつもの私ならわざとらしく落ち込んだり、傷ついたと伝えるところです。
しかし、さすが八ヶ月も大学生として山奥に修行に出ていたもので、
「やはり、親友であるという言葉は、私に寛大な気を遣っていたのだな」と解釈し、すぐさま平静を装えました。
ですが、私もかなり心を開いてしまっていたこともあり、立ち直るのには時間がかかりそうです。
ずっと気を使わせてしまっていたこと恥ずかしく思います。
私が信頼していた分、ダメージも大きいものでございます。
また1人、真に心を開ける友人が消えてしまいました。


もう一つ「希望」を感じたお話でございます。
私の過去を語る上で、「後輩」という存在は避けては通れないものです。
その後輩のお話です。

私の約20年の人生の中で、魂を捧げたものといえば、中高時代の「美術部」でございます。
卒業した今ではもはや後輩というよりは妹に近づいているような気がしている子が二人います。
その二人は高校二年生で絶賛受験に突入しようとしているそうで。
そんな中で私を誘ってくれ、ある日ご飯に行く機会がありました。
彼女たちからみた私というのは、割と頼りになるそうです。
確かに最後にあった記憶というと、高校三年生の卒業式。
しっかりと関わっていたのは高校二年生の頃になります。
この頃の私というのは好戦的で、ガツガツとした資本主義でした。
そんな私と今を比べると、前進か後退か、資本主義から感傷主義へと変化したことは確実でした。

「あの頃の先輩は怖かった。」
そう言われてしまいました。
今は割と治ってはいるそうですが、やはり変人な上、資本主義だと怖がられてしまうものです。
せっかくなので、私の弱い部分でも見せれば良いかと思い、少しだけ、進学してからの有象無象をお話ししました。
そこで話た内容は、結局人間はオリジナルでその人を好きになることはないということです。
人間どこかで肩書きありきのその人を見てしまうものです。だからこそオリジナルの自分自身を好きで見てくれている家族や友達は大事にした方がいいと伝えました。
その後輩からしても私はあくまで、美術部の少し怖い先輩であって、それ以上でもそれ以下でもないわけですから、そのような新し発見をお話ししました。
その後、その子達とぶらぶらし、最後駅に送っていったところ、
二人揃ってこう言ってくれました。
「私たちは、先輩だから先輩が好きなんじゃないですからね!」
私としてはその話をしたことすらすっかり忘れていましたが、一生懸命にそう伝えてくれた後輩たちに感謝です。
こんな人間もいるのかと、内心思いました。
先ほどお話しした友人も同じく、私と絡んで良いことなんてほとんどないのにも関わらず、そう言ってくれることは、気遣いであっても嬉しいものがあります。

こんな絶望と希望でしたが、私の中ではかなり前進した冬の帰省になりました。
親戚にあったり、恩師に会ったりと、さまざまな人たちに会うことができました。
一年前では考えられないような世界に入り、変化がありました。
変化の年とはこのようなものなのかとしみじみ感じつつ、
自分を支えてくれる人をきっちりと見つめていこうと感じるひとときでした。

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