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傷つくには、あまりにも美しい
フロムの「愛するということ」
名著と呼ばれるに相応しい内容でした。
要するに愛とはテクニックであって、コントロールできるものであり、まずは自分を愛することから始めようということだ。
納得はしたし、理解はできた。
でも果たしてそうなのか
自分を心底愛していない私が立ち直る方法は
瞑想でも
集中力でも
忍耐力でもない気がする。
愛の方向をコントロールできるとしたら、決して自分に向くことはないと思う。
愛を向けたら愛が返ってくるというが、私はそれを経験したことはない。
愛を向けると大抵はめんどくさがるか、ただ享受して去っていく。
時には相手から話しかけてほしいと何度言っても話しかけてはくれないし、
自分が好きな友人たちにとってのワーストランキングには必ず私がいる。
だから私は私を愛することができない
だから人にも愛を向けることはできない
でも誰も愛を向けない
以上が私の反論である
自分を愛せない人が自分を愛せるようになるパターンは、宗教か経済力かSNSくらいである。
自称行為とはその裏腹に、傷ついている自分を見てほしいからする行為だ。
誰も愛してくれないから、自分を傷つけ、誰かが心配して駆け寄ってくる姿をただ沸々と妄想する他ない。
そんな人の気持ちがすごくわかった。
私も気づけば、酒と抗うつ剤に浸って、ただただ横になることが増えた。
愛に対して愛で返ってくるとは嘘である。
愛に対しての私へのエネルギーは
憎悪か呆れである。
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