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「友」の方程式

日が落ちるのも早くなり、少し肌寒さを感じる時期になりました。
同時に気分が落ちるのも早くなり、まだまだ長いトンネルの終わりは見えそうにありません。

最近よく「人生に迷走する。」という言葉を使います。
心と体を一つの志にすることを目標とし、常に人生に迷走するようにしています。
そんな中、最近私の心を蝕んだ話がございまして、
それは私の長年のテーマであり、決して離れられていない「友」でございます。

苦しむ原因は他にもあるでしょうが、あらかた
「自分が友人だと思っていても相手はそうは思っていない」
この言葉が脳裏から離れていないからかもしれません。
付き合いの範囲は人並みにあるものの、
こんな私でございますから、決して人並みの友人関係では不安な部分もあります。
一般的に言う親友と呼べる人間が、私が生きていく上で必要不可欠なわけでございますが、如何せん私にはほとんどいません。

親友や友人を語る上でまず私の中での公式がございます。
「友人度=(心の開示度×距離感)×(相手の心の開示度×距離感)」
まず大前提、自分がいくら友達だと思っていても、相手もそうでないと話になりません。だからこそ相手から見た自分も考慮しないと友達という相互関係の説明はつきにくいものです。
心の開示度は文字通り自分のことをどれくらい開示できるか。
距離感は会う頻度や、物理的な距離などを指します。
そして相手から見た自分への心の開示度と距離感を掛けて、
大きければ大きいほど良いものだと思います。
さて、ここで問題になってくるのは
自分がいくら大きい数字を出しても、相手が「0」なのであればそれは「0」になってしまうと言うことです。
そしてもう一つの問題は相手の目線に答えはなく、ただの主観的憶測になってしまうことです。
今の疑心暗鬼な私では相手がいくら良い言葉をかけてくれても、
「気を使ってくれてどうもありがとう。」
くらいにしか思えなくなってしまいました。

自分と相手のギャップに目がいってしまいました。
いつも通り盲目的にただ友達だと思って迷惑をかけていれば良いものの、
みなさまの貴重な時間を私ごときに消費していただいているのが申し訳ないわけです。
自分が思っているより相手は自分のことを友人だと思っていない。

そんな現象がここ一、二ヶ月で多発しました。
共にしようと約束していたことが気づけば私ではない誰か本当の友人とやっていて、「あぁ、そういえば来月末行くわー」とその本当の友人から伝えられる。
私としたことが、なんと傲慢だったのでしょうか。
私は彼と3年の付き合いがあるからと過信し、
密かに親友などと迷惑な呪縛をかけ、
勝手に、彼から見た私もまた友だと自負してしまっていました。
期待をしないなどとほざいておいて、結局悲しいのでございます。
気づけば私が親友だと思っていた人たちは、
どうやら私のいないコミュニティーでよく交流があるようで、
なんとまあ、申し訳ないことをしたことですか。
この調子では高校生の頃もおそらく、私など到底邪魔でしかなかったのかもしれません。
確かに、どのコミュニティーにおいても、私以外の友達同士というのは、
楽しそうで、毎日が輝いているそうな。
そう伝えらるたび、そのような姿を見るたび、どこか寂しい気持ちになることが、増えてきたようでございます。

そう考えてしまうと、正直すっぽりと心臓がなくなったような喪失感と共に、自分の人間としての価値が無意味に思えて来てしまい、非常に悲しいわけです。
もうこんな悲しみは経験したくないもので、自分の数値もゼロにすることが唯一の処方箋だと思っています。
この思想が心の壁にへばりついて取れなくなってしまい、
こんな私を見かけた心優しき方が、
私を友人だといってくれたわけです。
でも、その人から見た私はそれほど価値があるのでしょうか。
私の記憶では迷惑しかかけていませんし、如何せん異性ということもあり、何かと不便なことをしてしまいました。
変に頼ってしまい、たまに夜電話をかけたりと。
そう考えると、こんな私を早く黙らせるために友達だといってくれたのだと思います。

こんな考えを持ってしまっていると、やはり友人なんてできる気がしません。
ずっと親友だと思っていた人よ。本当に申し訳のないことをしていました。
これからはどうぞぜひ私以外の友人と、何不自由のない楽しい人生を送って欲しいと思います。

今回勝手ながら1エピソードとして出した二名の私が勝手に友人だと勘違いしてしまっていた人達が
私より幸せであり続けますように。


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