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詩の円環の中で

『詩(ポエジー)とは結果である。それは鑑賞者の中に眠っているものを目覚めさせるものでなくてはならない。』ボードレールの格言、だった気がする。

ところでポエムとポエジーの違いは何だろう。谷川俊太郎は詩作品(ポエム)と詩情(ポエジー)と分類していた。私たちの心の辞書には

ポエム…共感性羞恥を誘う痛い文章
ポエジー…詩の持つ言語化出来ない雰囲気

こんな風に記されてるんじゃないだろうか。
ちなみに私の持つ仏和辞典には

Poème㊚
…①(一編の)詩、詩作品②〖楽〗交響詩、など
Poésie㊛
…①(文学ジャンルとしての)詩②詩情、詩趣、詩心③(短編の)詩、詩作品

と記されている。俊太郎、大体あってる。
『詩人は考えず、耳を傾ける者だ』
これはジャンコクトーの格言。

とりとめもない情報の羅列になってしまったけど、事の発端は昨今「ポエム」という言葉がネガティブワードとして使われていることにある。中には「ポエムww」なんてワードもある。詩が、草を生やされている…。

そんな人達にかけたい言葉を整理したかった。先人たちの知恵を借りた、私の結論は以下
 

『人は誰しも時として詩人になり、時として詩を呼び起こす。詩人でなかった人間などいないし、誰かの言葉は誰かの中で詩に変化する。あなたは詩の円環の中で指を差し笑う。それは詩だと。そう、それは詩なのだ。あなたにとって。あなたの言葉もまた詩なのだ。なのに、なぜ笑う?』
 

この何とも言えない小っ恥ずかしさも、良きかな。

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