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「世界漂浪の記」 羽生隆 101選

101
50年遅れの同じ日付で毎日投稿されていた羽生隆さんの旅行記「世界世界漂浪の記」の中から、何度も読み返したい特に印象深い投稿を集めました。
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#バックパッカー

❨552❩1973.3.6.火.晴/のんびりターザン生活3日目/カラカス:ベネズエラ(Caracas:Venezuela)

❨552❩1973.3.6.火.晴/のんびりターザン生活3日目/カラカス:ベネズエラ(Caracas:Venezuela)

七時起床、気持ち良い朝だった。
腹だけがグーグーで、早速スープとビスケット3枚と紅茶を飲む。
少し体操をし、辞書でスペイン語の勉強。

昼、例の様に水を浴びる。洗たく物を少し。またスープ(鶏のコンソメ)、食物は、砂糖、マーガリンしかない。

暑くなって来ると、余計空腹を感じ、体がだるくなる。
あちころの茂みの下で、英語の辞書を開いたり、谷川を眺めたりで、ノラクラ過ごす。

空腹をかかえ、怠慢な気持

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❨557❩1972.3.11.日.晴/親への恩/カラカス:ベネズエラ(Caracas:Venezuela)

❨557❩1972.3.11.日.晴/親への恩/カラカス:ベネズエラ(Caracas:Venezuela)

夕方1時間半、横にある公園へ補強に出ただけ。
2時半から4時まで、コリー、マリソルが遊んでいった。

「恍惚の人」(有吉佐和子)を読み終えた。老人問題がテーマの内容。
俺も、65(?)の親父をもつ男として、通読だけではすまない本だった。この本の通り、現に親父も、子供の様になって困っている、という姉貴からも手紙が来た様に、何か親父に対してしなければ…という責任もないではない。

親とは何であり、子供

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❨580❩1973.4.2.月.晴/安い旅をする事は大変な事である・バランキーヤについて/バランキーヤ:コロンビア(Barranquilla:Columbia)

❨580❩1973.4.2.月.晴/安い旅をする事は大変な事である・バランキーヤについて/バランキーヤ:コロンビア(Barranquilla:Columbia)

今朝、2つ目の港へ行く。
船が一つ10日にあるそうだが、それまでとても待つ気にもならないので、飛行機の切符を買った (112ドル)。

これまでの旅では、日本→米国を除いて最も高い旅になってしまった。
安城から金を送ってもらったおかげで出来る事だ。

この切符を買う為に今日は、船をはじめ、6つくらいのエージェンシーを聞いて歩き、更に安く行ける(ジャマイカ・ドミニカへ)方法がないかやってみたが、この

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❨818❩1973.11.25.日.晴/アルハンブラ宮殿とサクラモンテの丘へ行く/グラナダ:スペイン

❨818❩1973.11.25.日.晴/アルハンブラ宮殿とサクラモンテの丘へ行く/グラナダ:スペイン

グラナダは古い都だ。
アルハンブラ宮殿を見る(35ペセタ)。

宮殿は大理石造りで、柱や壁、天井のデザインにうっとりした。
4つに分かれており、中央の住居は、庭といい、壁のデザインといい、実に細かく、見事に作られてあった。

庭がまた、花や木が多く良かった。
庭園には、植木の囲いの中にバラが咲き、噴水があり、池には金魚が泳ぎ、美れいだった。
柱、その他のもの、全てがアラブ様式だという。

二階、三

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❨820❩1973.11.27.火.晴/モロッコ・タンジールの町とハッシシ/タンジール:モロッコ

❨820❩1973.11.27.火.晴/モロッコ・タンジールの町とハッシシ/タンジール:モロッコ

アルジェシラスより、フェリー(98ペセタ)に乗り、スペイン領 セウタまで渡る。
ジブラルタ海峽は、波もおだやかだった。
北アフリカ、モロッコに入る。暑くなった。

3時半のタンジール行きのバスに乗る。大型 56ペセタ。
ここのバスは、おとなしくしていると、 荷物代をボラれる。荷を上へ上げたというだけで、25ペセタ要求してきやがった。
人間56pstで荷物が25pstとは、頭に来た。
5ペセタ値切る

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❨825❩1973.12.2.月.晴/メディナで値切り合戦/マラケシ:モロッコ

❨825❩1973.12.2.月.晴/メディナで値切り合戦/マラケシ:モロッコ

ユースが9時で閉まるというので、5人揃って出る。センターまで2km、歩いて行く。
ホテルを探し、3.5まで値切った。

メジナ(中央市場)の中は、人でゴッタがえしている。人の意気と熱気でムンムンしている。真昼の太陽はクソ暑い。

広場には、へび使いやその他、変わったものが、昨日とは違って出ていた。俺は見るだけで浮き浮きしてくる。
色々な見せ物が広場一杯並んでいる。

彼等もやはり商売で、ただでばか

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❨832❩1973.12.9.日.雨/フェズのカスバを歩く・働く子ども達/Fez:モロッコ

❨832❩1973.12.9.日.雨/フェズのカスバを歩く・働く子ども達/Fez:モロッコ

一日雨降り。3.50ディラハムのホテルを出、2.60の所へ移る。

朝からひどい雨降りで、石畳の道の両側は、小川に化していた。
子供が盛んに、勧誘に寄って来る。
雨の中を、シャツ一枚で震えながら飛び回っている。実に丈夫だ。

やっとホテルへ落ち着き、すぐ見物に出る。
メジナは、マラケシュとは少し感じが違い、カスバの中の細い道の両側に並んでいる。
ずっと坂になっている。

石畳(レンがの様な)、薄暗

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❨847❩1973.12.24.月.晴/親切なギリシャ人・ヒッチハイクで200km/ギリシャ

❨847❩1973.12.24.月.晴/親切なギリシャ人・ヒッチハイクで200km/ギリシャ

6時半起床。日記をつける。小寒いが、空は晴れ。ヒッチ出来そうな天気。

朝から4時までで、200kmのヒッチ。4台の車を乗り継いだ。
その間、親指を立てながら、国道をテクテク。ショイコをかついでよく歩いた。

ギリシャの田舎は実にのどか。ミカンが夏盛り。冬というのに緑の多い国だ。
気候もいい。道路脇に畑が続いている。
歩いていて、畑の前で売っているじいさんから一つ大きなのをもらった。

ギリシャ人

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❨854❩1973.12.31.月.晴/アマゾンに始まり、トルコの真中に暮れた年/イスタンブール:トルコ→

❨854❩1973.12.31.月.晴/アマゾンに始まり、トルコの真中に暮れた年/イスタンブール:トルコ→

とうとう大晦日となった。年末も年始もない、今の俺だ。

旅から旅へと、プランのみが頭に浮かぶ。しかし、やはり長子にも、先生にも、姉貴・兄貴・親父に会いたい。
しばらくハガキも出していないが、心配しているだろう。

ここに(イスタンブール)イランのコンスルがあると聞き、ホっとした。もしなかったら、新年4〜5日、どこかで待たなければならないからな。
朝1時間半程、町を歩いた。雨上がりで道路は泥で汚れて

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❨856❩1974.1.2.水.曇/交通事故!アンカラの病院に担ぎこまれる/アンカラ→カイセリ→アンカラ:トルコ

❨856❩1974.1.2.水.曇/交通事故!アンカラの病院に担ぎこまれる/アンカラ→カイセリ→アンカラ:トルコ

イランのビザは、アフガニスタンのビザが初めに要るという事。アフガンの領事館へ行くと、7日まで休み。
仕方なく、5ドルと高い金を払って、ツーリスト・ビザを取る。

昼からアンカラを出る事にし、郊外まで3時間、ヒッチしながら歩いた。
車の風が身に沁みる。楽じゃネェ〜〜〜。

やっと止まった車は、40km先の家も何も無いカイセリの分岐点まで。小丘の続く所で、野山は真っ白。

薄暗くなり、車もほとんど通ら

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❨864❩1974.1.10.木.曇→雪/ゼイタクな時間/トルコ→イラン

❨864❩1974.1.10.木.曇→雪/ゼイタクな時間/トルコ→イラン

頭痛が抜けた。
イランに近付くにしたがって、雪が深くなる。

汽車の乗り替えで、午後2時 降りる。
明日まで次の汽車はないという。

軍の連中が、駅へドヤドヤ入って来た。
どれも、坊主頭にキリッとしている。
良いものを見た感じだった。

トルコ人は、信仰心が厚い。ある時間になると、立ったり、うつ伏したりして、空ー一太陽の方角ーーに向かって、何度も礼をする。

南米の人間の気の長さに呆れた俺も、最近

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❨869❩1974.1.15.火.晴/ここに、俺が想像した中近東の姿があった/ヘラート:アフガニスタン

❨869❩1974.1.15.火.晴/ここに、俺が想像した中近東の姿があった/ヘラート:アフガニスタン

めまぐるしい旅が続く。九時起床。入国手続きに行く。

パスポート・チェックが厳しい。
パスポート、荷物のチェックの後、再度パスポート、バクシネーション(注射)検査。
天然痘の注射証明がない事で引っかかり、ひとくさりモメたが、懸命に説明し、やっと通れた。
 
満員のミニ・バス(100アフガン)でゴトゴト、タイバドまで140km。途中でラクダをよく見た。
山の遠い、平原の道。雪はグッと少なくなり、寒さ

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❨922❩1974.3.8.金.晴/<想>もう旅は終わるのだ/バンコク:タイ

❨922❩1974.3.8.金.晴/<想>もう旅は終わるのだ/バンコク:タイ

昨夜は周囲が騒がしく、2時近くまで眠れなかった。
夜の町を歩くと、レストランでいい匂いがしていた。

けさは7時に起き、日本大使館へ行く。
郊外の立派な建物だった。一通の手紙が来ていた。

遂に、文無し。一銭も無くなった。
ハテ、どうするか?

夕方、サッカー場で40分程、補強する。

<想>

土地が変る、人間も、気候も、次々と変わる。
そのめまぐるしい変化の中で、俺の頭は少しーーだけだろうか?

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❨931❩1974.3.17.日.晴/遂に日本の地を踏む。この旅を活かす生活が始まる。/Bangkok→Hongkong → Tokyo

❨931❩1974.3.17.日.晴/遂に日本の地を踏む。この旅を活かす生活が始まる。/Bangkok→Hongkong → Tokyo

遂に日本の地を踏む。
8時半、発。香港へ40分程止まり、ロビーまで降りる。
夕暮れ近い香港は、まだ明かりもチラホラという感じで、有名な夜景は見られず、残念。

羽田へ着いたのは、6時10分。
灯が空から見えた時、胸が何んとなく、ワクワクした。黄婚の東京には、すでに灯が沢山見え、空は曇っていた。

車輪が止まると、遂に、生きて戻ったと思った。ああ、無事命だけは持って帰れた、そうしみじみ思ったのは、ど

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