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トウキョウ百景

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東京生まれ東京育ちの30代。 太と環は、それぞれの東京で生まれ育ち、二十歳の時に東京で出会いました。 2人が見てきた東京の景色、東京での物語を、紹介していきます。 ぼくらが育…
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#振り返りnote

赤坂のサイゼリヤで悪い癖が出た

赤坂のサイゼリヤで悪い癖が出た

制作会社に勤めていた頃の話だ。
夜遅い時間に赤坂で開かれた、クライアントとの噛み合わない(よくある)ミーティングを終えて心身ともに疲弊しながらも、自分たちがやるべきタスクをすぐに整理しておかないと明日からの状況が更に悪くなることは明白だった。
クライアントの逆鱗に触れるミスをした張本人であり、テンパりまくっている先輩と2人で作戦会議ができる場所を探し、サイゼリヤに行き着いた。

赤坂は、僕が高校生

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戸越銀座を自転車で駆け抜けた

戸越銀座を自転車で駆け抜けた

小学生の頃、所属していたサッカーチームで、よく戸越まで自転車で試合をしに行った。
平日に試合があることもあって、学校から帰って来てから、サッカーボールを背負って夕暮れ時の戸越銀座商店街を自転車で駆け抜けた記憶がある。
戸越に行く日はいつも天気が良かったイメージがあり、活気のある商店街を通るのがすごく好きだった。

小学校のサッカーチームでの活動が終わると、しばらく僕は戸越に行く機会がなくなった。次

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夏の夜に落合のコンビニで

夏の夜に落合のコンビニで

夏は夜だと思っている。暑さが和らいだ中で、風が吹けばさらに良い。
こう思うようになった原体験は、高校生の頃の”夜遊び”だったように思う。

ガラケーを取り出す。ぱぱぱっと「今夜空いてる?遊ばない?」と文字を打ち、ざっと読んでから送信ボタンを押す。時間もそうかからずに返信がくる。「いいね!じゃあ校門で」そうして夜の予定が決まっていった。

高校3年生の頃、部活がひと段落ついてから時間を持て余すように

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君が生まれて、虎ノ門に向かう銀座線で泣き笑いしたくなったことを思い出した

君が生まれて、虎ノ門に向かう銀座線で泣き笑いしたくなったことを思い出した

自分の人生の底と言えば、いまからちょうど7年前だ。
思い返すと、自分で引き起こした出来事がうまくいかず、それでもう世界の終わりみたいな気分になって、なかなか浮き上がることができなくなってしまった。
最近「鬱の本」といういろんな人の鬱な感情や出来事のエッセイ集を読んでいて色々と思い出したのだけど、自分がそのテーマで文章を書くとしたら間違いなくその頃のことを書くと思う。

妻との出会いや家族や友人の支

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汐留の高層ビルから見た東京の夜明け

汐留の高層ビルから見た東京の夜明け

大学時代、汐留のとある会社でバイトをしていた。
24時間対応のシフト制のバイトで、夜勤に入る時は帰宅に向かう背広姿のサラリーマンに逆行して、適当な私服姿でオフィス街を歩いて出勤した。

まだパワハラやセクハラが問題視される前だったのと、業界的に体質が古かったこともあって、社員からよく怒鳴られた。
電話を取るのが遅いこと、声が小さいこと、話が面白くないこと、性格がオープンではないことをチクチク指摘さ

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中野のコンビニで笑顔がひきつる

中野のコンビニで笑顔がひきつる

「坂本くん〜〜〜!いいわね、あんた本当にいい笑顔」
純二店長は、まるで甥っ子や姪っ子でも愛でるように私を褒めちぎる。しかし、隣にいる親友・そぼろの顔を見ると表情が厳しくなり、「あんたは愛嬌が足りないね。お客さんにしっかり挨拶しなさい」と吐き捨てる。なんか嫌だな、と思っていた。そぼろは携帯電話の電話帳に、店長の名前を「クソ」と登録していた。

私は高校2年生のとき、一瞬だけコンビニでアルバイトをした

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京王永山駅のラーメン屋で後輩が言ってくれたこと

京王永山駅のラーメン屋で後輩が言ってくれたこと

社会人になってから、一度だけボランティアサークルに入っていたことがある。ただ仕事でパワハラを受けた時期と重なってしまったり、それに伴って転職したり、なんかバタバタしてしまって、数回参加しただけで辞めてしまった。

なのでそこでの人間関係はほぼ出来なかったけれど、1人だけ、原山くんという大学生の男の子とは、連絡を取り合う仲になった。
原山くんは日本映画が好きで、愛嬌があって、ただ少し斜に構えた感じも

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崎陽軒の読み方を知ったのは、新木場から帰った18の夜

崎陽軒の読み方を知ったのは、新木場から帰った18の夜

TwitterあらためXの治安が悪い。
僕がはじめてTwitterに手を出したのは高校を卒業した2010年で、その頃はとてもほのぼのしているSNSだった。

たとえば、朝起きた時に「OCEANLANEの曲みたいな空だ」と呟いたら、会ったこともない人から「私もです!」とリプライが来たり、できたばかりのサッカーチームの公式アカウントをフォローしたらすぐにリフォローしてもらったり、それらが治安の良いエピ

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世田谷の道に置いてきた

世田谷の道に置いてきた

二股に分かれた道だった。敦は私が後ろから追いかけてくると思っていただろう。だけど私は、敦が進んだ左の道へは行かず、右へ行った。敦の方を見ることもなかったし、気にすることもなかった。初めて自覚的に人との縁を切った瞬間だった。

2010年春、私は大学生になった。勉強も遊びも充実させたいと思っていた自分にとって、大学はさまざまなチャンスや情報が転がっているように感じられ、胸が躍るとはこういうことなのか

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杉並で静かな正月を過ごせたこと

杉並で静かな正月を過ごせたこと

2023年12月31日。私は東京駅行きの上り新幹線に乗っていた。パートナーの実家から一人、自宅に戻っていたのだ。パートナーの実家、そして自分の実家でも年越しをすることはできたのだが、私は一人になることを選んだ。

理由は特にない。なんとなく一人になる時間が必要だなと感じたからだ。本来、私は人と過ごすことが好きで、毎年パートナーや親友、普段会えない友達にも片っ端から会い忙しい年末年始を過ごしていた。

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同級生と芝公園駅に向かいながら、僕は東京タワーを変顔で見上げた

同級生と芝公園駅に向かいながら、僕は東京タワーを変顔で見上げた

高校に入学して間もない春、同じサッカー部の同期が練習中に大怪我して入院することになった。
まだまだ、隣にいる同期が良いやつなのか、はたまた相性が合わないやつなのか、探り合っているような時期である。
そんな関係性だったけれど、誰かしらの発案でとにかく病院にお見舞いに行こうぜという話になり、10人近くで学校帰りにゾロゾロ赴くことになった。

場所は、御成門にある病院だった。
地下鉄で向かう途中、お互い

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駒場東大前の高校のグラウンドには、投げ捨てたすね当てがまだ転がっていた

駒場東大前の高校のグラウンドには、投げ捨てたすね当てがまだ転がっていた

高校2年生の10月、もうすぐ秋の公式戦が始まろうとしていた頃のことだ。
サッカー部に所属していた僕は、ちょっとした怪我が続いていた。
練習中に思いっきり腕を打ちつけてしまったり、もともと持病があった腰が痛くなったり。
練習を途中で切り上げるようなこともあって、先発とベンチスタートを行ったり来たりしていた。

そんな時期に、駒場東大前から少し歩いたところにある高校で、練習試合があった。
都内のサッカ

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「羽田空港行き」を見て思い出すこと

「羽田空港行き」を見て思い出すこと

実家から羽田空港へのアクセスが良かったこともあって、小さい頃は空港に遊びに行くことがあった。
乗り物全般が好きだったので、空港の屋上のような場所に、離着陸する飛行機を眺めに行った。
ポケモンジェットが話題になった時にも、観に行った記憶がある。
羽田空港に遊びに行こうか?と言われると、心が弾んだ。
ただ、色濃く残っている記憶が二つあって、それらは飛行機のことではなかったりする。 

一つは、ラーメン

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新宿は、朝とともに僕を迎え入れてくれた

新宿は、朝とともに僕を迎え入れてくれた

この世にはたくさんの「東京」という曲がある。「東京」がタイトルの一部になっている、歌詞の内容が「東京」のことを歌っている、みたいなやつまで入れると数え切れないほどある。
大御所からインディーズまで「東京」を歌い、今もなお「東京」は量産されている。

人によってお気に入りの「東京」があるのではないかと思うけれど、僕が1番好きな「東京」は、2014年にきのこ帝国がリリースした楽曲だ。
2014年は、僕

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