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トウキョウ百景

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東京生まれ東京育ちの30代。 太と環は、それぞれの東京で生まれ育ち、二十歳の時に東京で出会いました。 2人が見てきた東京の景色、東京での物語を、紹介していきます。 ぼくらが育…
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記事一覧

ポッポを食べるためだけにわざわざ国領まで

ポッポを食べるためだけにわざわざ国領まで

地元のイトーヨーカドーには、ポッポが入っていた。
今はもうなくなってしまったらしい(店舗が縮小傾向にあるらしくてちょっと悲しい)。

小さい頃に家族で行ったり、小中高の友だちともサッカーの練習の帰りなどによく寄った。
ラーメンやお好み焼き、たこ焼きなどをお手軽な価格で食べられる。庶民的な味で美味しい。
ファストフードチェーン、ファミレスチェーン、個人店など選択肢はたくさんあるが、その中でも無性にポ

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代々木上原で心が開けない

代々木上原で心が開けない

代々木上原にある書店でアルバイトをしていたことがある。店長は穏やかで良い人だし、アルバイトの人たちも分け隔てなく話してくれるのが心地よかった。ただし、ずーっと馴染めないなぁという気持ちを抱いていた。

「環くん、今度飲み会やるんだけど、こない?」
年の近い和田さんに声をかけてもらう。
「いいんですか?行ってみたいです」
そう答えはしたものの、馴染んでない自分が行って、本当に楽しめるのかと少し不安だ

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赤坂のサイゼリヤで悪い癖が出た

赤坂のサイゼリヤで悪い癖が出た

制作会社に勤めていた頃の話だ。
夜遅い時間に赤坂で開かれた、クライアントとの噛み合わない(よくある)ミーティングを終えて心身ともに疲弊しながらも、自分たちがやるべきタスクをすぐに整理しておかないと明日からの状況が更に悪くなることは明白だった。
クライアントの逆鱗に触れるミスをした張本人であり、テンパりまくっている先輩と2人で作戦会議ができる場所を探し、サイゼリヤに行き着いた。

赤坂は、僕が高校生

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下高井戸での違和感は私のアラーム?

下高井戸での違和感は私のアラーム?

声が大きいなと思った。
下高井戸駅の本屋で待っていると、吉田くんが若干の汗を滲ませながら「遅くなりました」とはにかんだ。時間に遅れたことは本当にどうでもよかったものの、なぜこんなにも本屋で声が大きいのだろうと少しひっかかった。

それから下高井戸駅の周りを散策して、カレー屋さんへ行く。クラフトビールを飲みながら、仕事やジェンダーのことに話が進む。同じソースから情報を得ていることや、大切にしたい考え

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戸越銀座を自転車で駆け抜けた

戸越銀座を自転車で駆け抜けた

小学生の頃、所属していたサッカーチームで、よく戸越まで自転車で試合をしに行った。
平日に試合があることもあって、学校から帰って来てから、サッカーボールを背負って夕暮れ時の戸越銀座商店街を自転車で駆け抜けた記憶がある。
戸越に行く日はいつも天気が良かったイメージがあり、活気のある商店街を通るのがすごく好きだった。

小学校のサッカーチームでの活動が終わると、しばらく僕は戸越に行く機会がなくなった。次

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夏の夜に落合のコンビニで

夏の夜に落合のコンビニで

夏は夜だと思っている。暑さが和らいだ中で、風が吹けばさらに良い。
こう思うようになった原体験は、高校生の頃の”夜遊び”だったように思う。

ガラケーを取り出す。ぱぱぱっと「今夜空いてる?遊ばない?」と文字を打ち、ざっと読んでから送信ボタンを押す。時間もそうかからずに返信がくる。「いいね!じゃあ校門で」そうして夜の予定が決まっていった。

高校3年生の頃、部活がひと段落ついてから時間を持て余すように

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鮫洲駅の停車時間のような日々で

鮫洲駅の停車時間のような日々で

鮫洲駅と聞いて多くの人が連想するのは、教習所か、または京急線の停車時間なのではないないだろうか?
各駅停車しか泊まらない鮫洲駅は、急行の時間調整のために、長めの停車時間がある。

小さい頃、横浜方面から家に帰るとき、または向かう時に鮫洲で電車が停まると、少しイライラした。
早く家に帰りたいのに。目的地に行きたいのに。電車の中で退屈しているのに。
止まっている時間以上に、長く感じたものだった。

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原宿に親戚でもいたっけ?

原宿に親戚でもいたっけ?

大学生の頃、なかなかアルバイトが決まらなかった。理由は明白で、大学の体育会系の部活に入っていたからアルバイトをできる日が平日2日間しかなく、しかも融通が効かない。テストや部活の大会などで、アルバイトを休む可能性もある。それを馬鹿正直に伝え続けていたから、アルバイトを20社くらい受けても、採用とはならなかった。

大学一年生の年末、原宿にある大型の中華料理店の面接を受けた。そのお店はなかなかの高級店

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君が生まれて、虎ノ門に向かう銀座線で泣き笑いしたくなったことを思い出した

君が生まれて、虎ノ門に向かう銀座線で泣き笑いしたくなったことを思い出した

自分の人生の底と言えば、いまからちょうど7年前だ。
思い返すと、自分で引き起こした出来事がうまくいかず、それでもう世界の終わりみたいな気分になって、なかなか浮き上がることができなくなってしまった。
最近「鬱の本」といういろんな人の鬱な感情や出来事のエッセイ集を読んでいて色々と思い出したのだけど、自分がそのテーマで文章を書くとしたら間違いなくその頃のことを書くと思う。

妻との出会いや家族や友人の支

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さらば! 椎名町の隣人よ

さらば! 椎名町の隣人よ

私には密かに好きな隣人がいた。それがマンションの大家さんである松本さんだった。年齢は70歳くらいか、あまり詳しいことはわからないが、品のある女性だった。

松本さんはおそらく旦那さんと二人暮らしで、いつも私とパートナーが住むマンションの共用部を掃除してくれた。そして、共用部には観葉植物が飾られ、季節に合わせたお花が置かれることもあった。また、クリスマスやハロウィーンのときにはそれに合わせた飾りもさ

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明大前で降りて、大学生と並んで食べた家系ラーメン

明大前で降りて、大学生と並んで食べた家系ラーメン

社会人5、6年目の頃、京王線と京王井の頭線で、渋谷の会社まで通勤していた。
さすがに学生気分は消えけていたけれど、学生時代の思い出にまだ少し後ろ髪を引かれていたような時期だった記憶がある。
仕事が忙しくて終電やタクシー帰りをすることも多かったけれど、会社で仕事をするのに疲れてしまった時は、途中で切り上げて家に持ち帰ることもあった。

ある日、会社を出て井の頭線に乗り込んだ時に、無性に家系ラーメンが

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西新宿の夜が明ける

西新宿の夜が明ける

引っ越すことになった。例によってまた転職をするのだ。しかも前に勤めていた会社に戻る。なかなか変なキャリアを辿るなあと自分で自分を思っていたが、引っ越し当日を迎えて感じたのは夜が明けるときのような期待感だった。

転職の理由は非常にシンプルで、仕事が耐えられなくなったのだ。それは今の仕事が嫌いだということではなく、前にしていた記者の仕事があまりにも面白かったから、毎日の9時間の拘束が窮屈で仕方なく、

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汐留の高層ビルから見た東京の夜明け

汐留の高層ビルから見た東京の夜明け

大学時代、汐留のとある会社でバイトをしていた。
24時間対応のシフト制のバイトで、夜勤に入る時は帰宅に向かう背広姿のサラリーマンに逆行して、適当な私服姿でオフィス街を歩いて出勤した。

まだパワハラやセクハラが問題視される前だったのと、業界的に体質が古かったこともあって、社員からよく怒鳴られた。
電話を取るのが遅いこと、声が小さいこと、話が面白くないこと、性格がオープンではないことをチクチク指摘さ

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中野のコンビニで笑顔がひきつる

中野のコンビニで笑顔がひきつる

「坂本くん〜〜〜!いいわね、あんた本当にいい笑顔」
純二店長は、まるで甥っ子や姪っ子でも愛でるように私を褒めちぎる。しかし、隣にいる親友・そぼろの顔を見ると表情が厳しくなり、「あんたは愛嬌が足りないね。お客さんにしっかり挨拶しなさい」と吐き捨てる。なんか嫌だな、と思っていた。そぼろは携帯電話の電話帳に、店長の名前を「クソ」と登録していた。

私は高校2年生のとき、一瞬だけコンビニでアルバイトをした

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