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代々木上原で心が開けない

代々木上原にある書店でアルバイトをしていたことがある。店長は穏やかで良い人だし、アルバイトの人たちも分け隔てなく話してくれるのが心地よかった。ただし、ずーっと馴染めないなぁという気持ちを抱いていた。

「環くん、今度飲み会やるんだけど、こない?」
年の近い和田さんに声をかけてもらう。
「いいんですか?行ってみたいです」
そう答えはしたものの、馴染んでない自分が行って、本当に楽しめるのかと少し不安だった。メンバーは和田さんの他、何回かシフトが被ったことのある女性の人や、会ったことのない昔働いてた人がくるらしい。店長も来るようで、仲のいい店舗なんだなぁと思った。

なぜこんなにも当事者意識がないのか。ふんわりと考えてると、そもそもアルバイトを「やらされてる」感覚があるからだと思い当たった。

私は当時、マスコミ業界を目指して就職活動をしていて、とにかく勉強勉強の日々だった。そして、親友である美香や行天、桃香と遊ぶのも楽しく、そちらに時間を割きたいと思っていた。

また、部活を引退したものの後輩たちの練習に顔を出したり、卒論に向けて本を読み込んだりもしたいと思っていたので、やりたいことが山のようにあったのだ。

その中で、親にお金を借り続けるのも申し訳ないと思い、本当に少しだがアルバイトをしていた。月に数万だが親に迷惑をかけないという大義名分だけを支えにやっていた。

ただ、親は割と寛容な人で、別にアルバイトしなくても良いと言っていた。つまり、私の勝手な意地だけでアルバイトをしていたのだが、その意地は誰のためにもならないと気づいていたので、結局なぜかやらされてるだけみたいな消極的な取り組み方しかできなかったのだ。

アルバイトが終わると、いつもこめかみが痛かった。それは、歯を食いしばって息を止めるようにして働いていたからだと思う。つまり、なんか痩せ我慢みたいなことをずっとしていたのだ。今考えるととにかくアホらしい。

そんな精神的な状況だから、周りに一切興味がなく、和田さんはじめよくしてもらっている人たちにも質問を重ねることができない。どこ大学なのか、どこ出身なのか、なぜこのアルバイトをしているのかなど、他のアルバイトの人のそんな基本情報さえ知らないまま、へらへらと笑ってやり過ごしていた。

そして、結局は飲み会も行かなかった。たしか卒論に向けた調査とか、部活のこととか、調整すればいけるような用事だったと思う。飲み会のメンバーたちは次はきなよみたいなことを言ってくれたが、結局何かを察していたのだろう、その後は淡々と時間だけが過ぎるようになった。

私の場合、自分の興味がないことに取り組むと簡単に時間が腐る。それを繰り返すのは自分にも良くないし、その時間に関わってくれた人にも失礼だなと思う。

私は自分で自分の予定を組み立てて、率先してその場に行くくらいがちょうど良いのだ。誰かに求められたい、認められたいという承認欲求が湧き出ることもあるけど、それは案外自分のためにならないと覚えておこう。

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