OLi[生きる姿を、音楽と。]

32歳の不器用なサラリーマン2人(環と太)が心の奥に閉まっていた大切なストーリーを紹介…

OLi[生きる姿を、音楽と。]

32歳の不器用なサラリーマン2人(環と太)が心の奥に閉まっていた大切なストーリーを紹介するエッセイメディア「OLi」です。 1日1日を生きるあなたに、人の生きる姿を、音楽とともに紹介します。 毎週金曜日更新。願わくば、僕たちが紹介するストーリーや音楽があなたに寄り添いますように。

マガジン

  • 環のストーリー

    生きる姿を、音楽と。環のストーリーを紹介します。

  • トウキョウ百景

    東京生まれ東京育ちの30代。 太と環は、それぞれの東京で生まれ育ち、二十歳の時に東京で出会いました。 2人が見てきた東京の景色、東京での物語を、紹介していきます。 ぼくらが育ったのは、東京だった。 「トウキョウ百景」

  • 太のストーリー

    生きる姿を、音楽と。太のストーリーを紹介します。

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エッセイメディア「OLi」はじめます。

はじめまして。 28歳の不器用なサラリーマン2人、環(たまき)と太(ふとし)が心の奥に閉まっていた大切なストーリーを紹介するエッセイメディア「OLi」です。 1日1日を生きるあなたに、人の生きる姿を、音楽とともに紹介していきます。 毎週金曜日、たまーに不定期で更新していきたいと思います。 「OLi」に込めた思い 日常を生きていると、楽しい時間を過ごすこともあれば、納得できなかったり後悔したりすることもたくさんあります。 そうすると、どうしてもモヤモヤした気持ち、「澱(おり

    • 練馬ICを降りて道を間違える

      東京で車を運転するのが苦手だ。異様に多い車の数、それゆえに極端に狭い車間距離。車線は3も4もあり、右折専用、直進専用、左折専用など用途が限られてる場合も多いと思う。事前に知らなければ通行できないのでは?と思うことがしばしばある。 私は2013年に石垣島で車の免許をとった。島内には高速道路がなく、車線も2車線までだったと思う。そこで一年ほど生活していたので、ごみごみと人の多い中で車を運転した経験がなかった。 その後2015年に社会人になり、毎日車を運転するようになったが、そ

      • 多摩川のカラオケで拳を突き上げた

        「お、アジカン好きなんだ!ソラニン聴いた?めっちゃ良くなかった?」 「あー。聴いたと思うけど、印象に残ってないってことはあんまり良くなかったんだと思う」 「おー、まじか。今度また聴いてみて。オレ漫画のソラニンが好きなんだよね」 ソラニンが劇場上映された2010年。 大学に入学して軽音楽サークルに入り、人生ではじめて組んだコピーバンドのメンバーと、東急の多摩川駅でお昼過ぎに待ち合わせをして、スタジオに向かう道すがらの会話だ。 アジカン好きを公言していて、リライトを演奏したいと

        • 初めて行ったクラブは渋谷だった

          大学生の頃、初めてクラブというものに行った。クラブのイメージといえば、大音量で音楽が流れ、アルコール度数の強い酒を飲み、男女がいちゃいちゃして、ドラッグが蔓延する。そんな偏見まみれのイメージだった。ただ、私は初めて入ったクラブで同じような印象を抱き、結局は階段に座って始発が来るのを待っていた。 クラブに行こうとなったのは、親友・美香の誘いだった。美香の友達がクラブに何度か行ったことがあるお兄さんで、美香と私は「社会勉強じゃね」みたいな軽いノリで足を運ぶことにした。 連れて

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        • トウキョウ百景
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        • 環のストーリー
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        記事

          マスクの下でニヤけながら桜台の商店街を歩く

          コロナで緊急事態宣言が出て、外出できなくなった2020年春。 それから数年、自粛などもあって遠出をすることがほとんどできなかったあの時期のほとんどを、僕は練馬で過ごした。 もっぱら近所をぶらぶらするようになった僕は、少し距離があったけれど桜台駅の方まで散歩しに行くことがあった。 こじんまりとしていたけれど、落ち着いた雰囲気で、そして魅力的な飲食店も集まっていて、とても好きな街だった。 駅から歩いてすぐのところに美味しいラーメン二郎があり、人生で食べた油そば史上ベストを記録

          マスクの下でニヤけながら桜台の商店街を歩く

          新宿5丁目で第二の故郷を感じる

          地元が東京だと告げると、東京以外の出身の人からは「いいな」とうらやましがられることが多い。「都会だね」とか「楽しいことが多そう」といったことから、「出身は東京っていいたい」とか「田舎は何もないから」といったことまでさまざまだ。 ただ、私は褒めてくれる人たちと同じような気持ちにはあまりなれず、「東京以外の出身って言いたかった」と思ってしまうことが多い。 だって、田んぼで鳴くかえるの声、木々の青々しさ、何も邪魔するものがない広い空、一面が真っ赤に染まる夕暮れとかは、東京にはな

          新宿5丁目で第二の故郷を感じる

          東京駅で最後を迎えて

          ああ、もうこの人とは一生会わないんだろうな、という事実が突きつけられる瞬間を、今まで何回か味わったことがある。 変わってしまった友だちとの弾まない会話、恋愛の終わり、辞める職場での最後の挨拶。 二度と会いたくない人と思う人もいれば、またちょっとだけなら会ってみたい人もいて、変わる前のあなたとならまた会いたいんだけどなあという複雑なものある。 ただ東京駅で最後を迎えた人とは、それらの感情のどれも当てはまらなかった。 もう薄々、お互いに合わなくなっていることはわかっていた。 も

          中井駅のエスカレーターで振り返った君は

          高校3年生は受験勉強一色だった。進学校にいっていた私は、周りの95%くらいが大学進学を希望していて、多分に漏れず私も進学を選んだ。母の職業と同じ保育士の道を選ぼうかな~と思っていたけど、その選択になんだか魅力をあまり感じなくなってきて、マスコミ業界を目指すことに決め、大学を選ぶことにした。マスコミ業界を目指すといっても結構安直な動機で、BRUTUSという雑誌が好きだったから、それを作りたいな、みたいな感じだった。 そんな将来の夢よりは、どっちかというと部活がやりたいという気

          中井駅のエスカレーターで振り返った君は

          ポッポを食べるためだけにわざわざ国領まで

          地元のイトーヨーカドーには、ポッポが入っていた。 今はもうなくなってしまったらしい(店舗が縮小傾向にあるらしくてちょっと悲しい)。 小さい頃に家族で行ったり、小中高の友だちともサッカーの練習の帰りなどによく寄った。 ラーメンやお好み焼き、たこ焼きなどをお手軽な価格で食べられる。庶民的な味で美味しい。 ファストフードチェーン、ファミレスチェーン、個人店など選択肢はたくさんあるが、その中でも無性にポッポを選びたくなる時がある。 不思議な魅力の持ち主である。 何より僕が好きだっ

          ポッポを食べるためだけにわざわざ国領まで

          代々木上原で心が開けない

          代々木上原にある書店でアルバイトをしていたことがある。店長は穏やかで良い人だし、アルバイトの人たちも分け隔てなく話してくれるのが心地よかった。ただし、ずーっと馴染めないなぁという気持ちを抱いていた。 「環くん、今度飲み会やるんだけど、こない?」 年の近い和田さんに声をかけてもらう。 「いいんですか?行ってみたいです」 そう答えはしたものの、馴染んでない自分が行って、本当に楽しめるのかと少し不安だった。メンバーは和田さんの他、何回かシフトが被ったことのある女性の人や、会ったこ

          代々木上原で心が開けない

          赤坂のサイゼリヤで悪い癖が出た

          制作会社に勤めていた頃の話だ。 夜遅い時間に赤坂で開かれた、クライアントとの噛み合わない(よくある)ミーティングを終えて心身ともに疲弊しながらも、自分たちがやるべきタスクをすぐに整理しておかないと明日からの状況が更に悪くなることは明白だった。 クライアントの逆鱗に触れるミスをした張本人であり、テンパりまくっている先輩と2人で作戦会議ができる場所を探し、サイゼリヤに行き着いた。 赤坂は、僕が高校生の頃に通学していた場所である。 当時の赤坂には、高校生にとっては値段がお高めのフ

          赤坂のサイゼリヤで悪い癖が出た

          下高井戸での違和感は私のアラーム?

          声が大きいなと思った。 下高井戸駅の本屋で待っていると、吉田くんが若干の汗を滲ませながら「遅くなりました」とはにかんだ。時間に遅れたことは本当にどうでもよかったものの、なぜこんなにも本屋で声が大きいのだろうと少しひっかかった。 それから下高井戸駅の周りを散策して、カレー屋さんへ行く。クラフトビールを飲みながら、仕事やジェンダーのことに話が進む。同じソースから情報を得ていることや、大切にしたい考え方が似ていることがあいまって、話は滞りなく流れていった。喫茶店に移ってからも話は

          下高井戸での違和感は私のアラーム?

          戸越銀座を自転車で駆け抜けた

          小学生の頃、所属していたサッカーチームで、よく戸越まで自転車で試合をしに行った。 平日に試合があることもあって、学校から帰って来てから、サッカーボールを背負って夕暮れ時の戸越銀座商店街を自転車で駆け抜けた記憶がある。 戸越に行く日はいつも天気が良かったイメージがあり、活気のある商店街を通るのがすごく好きだった。 小学校のサッカーチームでの活動が終わると、しばらく僕は戸越に行く機会がなくなった。次の機会は、大学生になってからのことだった。 やることがなくて暇を持て余し、大崎五

          戸越銀座を自転車で駆け抜けた

          夏の夜に落合のコンビニで

          夏は夜だと思っている。暑さが和らいだ中で、風が吹けばさらに良い。 こう思うようになった原体験は、高校生の頃の”夜遊び”だったように思う。 ガラケーを取り出す。ぱぱぱっと「今夜空いてる?遊ばない?」と文字を打ち、ざっと読んでから送信ボタンを押す。時間もそうかからずに返信がくる。「いいね!じゃあ校門で」そうして夜の予定が決まっていった。 高校3年生の頃、部活がひと段落ついてから時間を持て余すようになった。大学進学を考えていたので受験勉強をしていたのだが、なんとなく身が入らず、

          夏の夜に落合のコンビニで

          鮫洲駅の停車時間のような日々で

          鮫洲駅と聞いて多くの人が連想するのは、教習所か、または京急線の停車時間なのではないないだろうか? 各駅停車しか泊まらない鮫洲駅は、急行の時間調整のために、長めの停車時間がある。 小さい頃、横浜方面から家に帰るとき、または向かう時に鮫洲で電車が停まると、少しイライラした。 早く家に帰りたいのに。目的地に行きたいのに。電車の中で退屈しているのに。 止まっている時間以上に、長く感じたものだった。 しかし大人になってからは不思議なもので、たまに鮫洲駅の停車時間に直面する機会があっ

          鮫洲駅の停車時間のような日々で

          原宿に親戚でもいたっけ?

          大学生の頃、なかなかアルバイトが決まらなかった。理由は明白で、大学の体育会系の部活に入っていたからアルバイトをできる日が平日2日間しかなく、しかも融通が効かない。テストや部活の大会などで、アルバイトを休む可能性もある。それを馬鹿正直に伝え続けていたから、アルバイトを20社くらい受けても、採用とはならなかった。 大学一年生の年末、原宿にある大型の中華料理店の面接を受けた。そのお店はなかなかの高級店で、店の中もかなり落ち着いている。「こんなところに中華料理店あったんだなー」と不

          原宿に親戚でもいたっけ?