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~心理学、脳科学~失敗よりも挑戦しなかった方が圧倒的に損失が大きい



■不完全なことが意識に残るツァイガルニク効果



達成した記憶よりも、不完全な達成出来なかったこと、中断された事柄へ完結させたいと強く意識が働くのがツァイガルニク効果で、旧ソ連の心理学者ブリューマ・ゼイガルニクスが提唱した心理効果です。

この心理効果は実際に私たちの生活の中でも溶け込んでいる身近なもので、例えばテレビのCMで、良い場面で急にCMが入って見てた場面が引っ張られてしまうと凄く気になって、歯がゆくなったり

テストでも出来た所よりも不完全な所、『あそこ答え書けなかったなぁー』なんてテスト後に気になってしまったり、あらゆる場面でちょくちょくと遭遇する、日常的に当たり前の心理です。

ツァイガルニク効果についての検証実験についてはいくつかあり、内容は記載されていても実験を行った人物、団体、日付、対象者、人数が明らかでない情報も多々あるのですが、日本心理学のツァイガルニック移転効果という66名を対象とした実験では

読んだ物語が途中で中断された被験者は、他の事柄を考える時にも意識に侵入してくる、要は他の行動に移った際も、物語の続きが気になる人が、完結まで読んで人と比べ、明らかに多かったという検証結果もあります。

深く考えなくとも、そんなの当たり前なのですが、自分が好きではない物語でしたら先なんてどうでもいいと思えるかもしれません。しかし、多少なりとも興味関心を抱いたものを途中で中断せざるを得ない時に

心理的リアクタンスという、『やってはいけない、見てはいけない』という外部から行動を中断させられた行動制限による心理的反発が、余計にその先を見て見たいという欲求を強化し、記憶に刻むのだと考えられます。

そしてもう一つの理由として、自分が真剣に行っていることに関して、完成に向けた高い緊張状態が続いたことによって、未完成のままで終わってしまったモノに対する思いが強くなり、記憶にも強く残りやすくなる。

もしかしたら人間というのは、未完成が意識に残るように設計されて居るのかもしれません。

狩りや農業、建築を未完成でも気にしないで中途半端で全て終わらせて、みんなでニート生活していたら一瞬で滅びますもんね。

そして、自分の意志と関係なく始めたことでも、一旦受け入れてしまった事柄ならば良い所で勝手に中断されると『なんだよ!』となるのも、小学生の時に床屋の待ち時間中に、古いつまんなそうな漫画を読んで時間を潰していたら、案外早く自分の順番が回ってきて

『”今日から俺は”もっと読みたかったのに⁉』ってなるのも同じですかね、、いえ違いますね。


▢失敗しない選択肢に繋がれることで起こる障害



長く生きるほどに良いも悪いも経験が増えて行くことによって、過去に失敗して上手く行かなかった事柄やそれに似た状況を避けるようになります。

それは自分の出来ることと出来ないことの見極めにもなっていることもあるので、一概に悪い事とは言えないのですが、歳を重ねる毎にそれらの経験が増えすぎて、見極め過ぎが挑戦を遠ざけることにもなりかねません。

自分の今出来ることの範囲から、今の慣れた状態の外の変化に対して不安を覚えてしまう。歳をとるほどに保守的思考の人が多くなるとステレオタイプ的に言われていますが

実は経験が邪魔をして、新しい変化を受け入れることが難しくなっているパターンも多々あり、長い間慣れ親しんだ思考や状態に愛着を持ってしまうこのと、失敗するかもしれない良く知らない未知の世界に行って恥をかくぐらいなら、今居る所で安楽に過ごしたいと

これはあくまで一例なので、挑戦的な老年の方もいると想いますが、、話しは戻りますが、若い人でも大きな失敗をしたことが無いが故に失敗や落ちることに対して過度に恐れている、又は失敗をしたら親や教師などに挑戦したことを褒められるよりも

失敗を突かれるような幼少期を過ごした人は、小さな失敗すらしまいと人から言われた確実性のあることだけを行い、自信の無いことには保険をかけて行くような、挑戦とは程遠い堅実な生き方をする若い人でもわりと多いと感じます。

それはそれで現代を生きる術で役に立つことです。しかし、リスクを取らないことがリスクになる事柄も生きる上ではあります。

リスクというのは命や金銭的なものだけとは限りません。

自分のプライドや快適さが損なわれる恐れや、今居る所での人間関係が失われることなど、何に挑戦するにせよ、大なり小なりなにかしらのリスクがあります。

少しでも自分にとってリスクがあるとそこには行かないというと、リスクと引き換えに得られるモノを放棄していることになります。

一見楽で効率的な思考のように思えますが、勉強、運動、仕事でもリスクをとったが故の失敗から体感的にも学ぶ事もあり、それが将来的にリスクを減らすことにも繋がり、そして”今の快適さえを失われる”などの

自分の適応力でいくらでも新しく得られるような、その場の小さなリスクを取らなかったが故に新しい刺激、環境を獲得することが出来ずに能力を、経験値を伸ばせる時に延ばすことが出来なかった差と言うのが

その後の人生で大きな差を生み出すことになります。

要は勉強でも、勉強に費やしたタイムコストが結果に結びつかない希望校に落ちるリスクがありますし、楽しい学生生活の中に受験勉強が食い込んで来て、その度合いにより快適さが大きく損なわれるリスクだってはらんでいます。

ダイエットや筋トレでも、今まで通りの好きな物を好きなだけ食べれなくなるリスク、運動による肉体的なしんどい思いをするリスクだってあります。

転職先で人間関係や働き方の違いで戸惑い、悩む可能性だってあります。

しかし、それらをいちいち大きなリスクとして捉え何も挑戦しなければ、自分が得られる上限値を大幅に上げることもなく、その中の範囲内で過ごして行くことになります。

それもその人の価値観ですが、なりたい自分像、なりたくない状態が明確にあるのであれば、それを実現する為に何も失うこともなく、全部を受け取ろうとするのは非常に困難で

こっち立てれば、あっち立たず、ではありませんが、。必ず何かと引き換えに何かを失うモノが存在します。

その代わりに失うモノを失う恐怖に縛られ過ぎていると、やれることが簡単なことか、自分の慣れたことに限定されてしまうという事態に陥り。扉が開いてるのに世界に飛び立たない、鳥かごの鳥のような人生になる恐れがあります。



◆脳は新しい刺激で進化するように出来ている



誰でも知っている既存の事実だと想いますが、脳は使えば使うほど神経ネットワークの繋がりが拡がり、強化されて行きます。

筋トレも一見すると筋肉を鍛えているようでが、強い負荷から刺激が加わり、成長する必要性があると脳へ伝達することで必要な栄養を消費し、肉体が変化して行きます。

そして、脳は高齢になっても使っていることで成長させることの出来る、いくつになっても新しい経験刺激で脳の中で海馬などで新しい神経細胞が作られて機能して行くように出来ているので

同じ50歳だとしても、過ごし方、置かれた状況で脳機能に個人差があるのも事実としてあります。

ブログや読書、音楽など知的好奇心をくすぐる趣味でも脳は進化して行きますし、そして新しい環境に適応する必要性を感じ、それに適応して行く過程で今まで使わなかった能力が上がって行くように、脳の神経回路のシナプスの繋がりネットワークが広がり、強化されて行きます。

なので、好奇心旺盛で新しいことに挑戦することが好きな人ほど認知症になりづらかったり、考え方が柔軟で、情報の更新やアップデートが得意なので、いつまでも昔の情報を引っ張ってきて、それがあたかも現代でも通用するような物言いもしませんし

論理的思考を司る前頭葉の機能が低下し、感情コントロールが効かなくなってキレてやすくなってしまうことも無くなります。

逆に毎日慣れた刺激の少ない同じことを楽しまず、義務感でやっている人のが脳機能の低下から、頑固、キレるとカミナリ親父(古い)タイプが多いと想います。そして

脳の機能を上げたいからと言って無理は禁物で、過度のストレスでコルチゾールが過剰になると海馬が収縮したり、コルチゾール値が下がらなくなり、常にストレスを受けている状態、鬱や躁うつ病、適応障害などの精神疾患にも繋がります。

なので新しい刺激を受けるというのは、自分が楽しいと思える選択し、そして何かを期待してそれに取り組み、目標を達成し、更なる次の目標に向かう為に新たなステージに挑戦するという繰り返しで

脳はメキメキ機能を向上させて行き、能力が高まることでより精神的、物質的にも更に豊かになって行くという良いスパイラルが生まれます。この成長スパイラルを生み出す機会損失をするのは長い人生において非常にもったいないと想います。

長いと書きましたが、月日が歳をとる毎に体感的に早く感じる方も多いと想いますが、24時間12か月365日という月日を数えること80回ほどの年数で、睡眠時間や病気になった時間を抜いた時間が、捕まったりしない限りは多くの人にはある訳で

一人の人間の作り出すことの出来る可能性がこの時間の中にあるのです。

その可能性を拡げる為に挑戦してガンガン脳みそ、体、使えることは好きに使って成長して行きましょう!…という所で、次に行きます。



◇結果が大事だからこそ、失敗を恐れず挑戦し続ける


全く失敗しないでそれなりに大きな結果を出せた人というのは、いるのでしょうか? 私の思いつく限りではいないと思います。

なぜなら、失敗は成功の基という常套句があるように、失敗から学ぶこと、体感して身になることが必ず多くあるからです。

かの有名なトーマスエジソンは、失敗をした時に『これは失敗ではない、上手くいかない1万通りの方法を発見したのだ』と前向き過ぎることを言いましたが本当にその通りで

実際にやってみて失敗する行程を見て、どこの段階で失敗に繋がったのか?考え、学び、実際に失敗して悔しい思いをすることで受ける刺激も全て結果を出す上で重要で

逆に失敗なく、成功が続いてしまうと結果が出てるが故に、小さな問題に気づけずそれが積もりに積もって大きな問題になることがあるように、下手に結果が出過ぎても本来失敗から学ぶ所を抜かして先に進んでしまうような弊害も生まれます。なので

致命傷になるような失敗以外はどんどん積極的に失敗して行くべきで、しかしわざと失敗するとかではなく、失敗する可能性の高いことでもとりあえず挑戦してみる!というのが大事だと考えます。

医者など人の命に関わることで挑戦するのは危険過ぎますが、返しきれないほどの借金を負うとか、腕の一本持って行かれる、捕まる、一家路頭に迷う等の致命傷レベルの失敗以外は

学び経験になりますし、場慣れもして来て勝負強くなります。

負け癖なんて良く聞きますが、負け癖は負けることに慣れてしまい過ぎたが故の緊張の無さすぎ、それか逆に次は失敗しまいと、近くで良く見ようと丁寧になり過ぎて視野が狭くなる、又は失うモノが少ないのが悪い方向へ働いた時に起こりうることなので

例えば、失敗しまくって、成功に繋がる、国内ユースボクサー→配管工→生活保護→UFCフェザー級チャンピオンになったコナー・マクレガーのような、

挑戦が上手く行ったと思ったら、その後は苦難続きでも、挑戦、失敗を繰り返してきたから得た感覚値や能力が存在するのも確かで、今は上手く行かない時期だとしても、非連続的成長のように、コツをつかんで急に自転車が乗れるようになった時みたいに、急に上手く回り出すこともあります。

要はどこで挑戦を切り取るか?で、失敗した時点で切り取ってしまえば、失敗で終わりますが、失敗、失敗、失敗、成功の所で切り取れば、今までの失敗がまるでなかったかのように周囲は成功を称えることでしょう。

しかし失敗した過去が全て無駄になることはありません。

多少遠回りになってしまったとしても、代償を負ってしまったとしても、経験や思い出が、挑戦を避けていた場合に比べ多く残ります。

最後にまとめになりますが、挑戦をしない大きな損失というのは、未完が脳に刻まれる後悔と、成長機会損失、今現在の受容出来るリスクが少な過ぎる故の未来のリスク上昇脳の機能低下失敗経験の不足による正しくない失敗に対する過度の不安や恐怖などです。

しかし、ここまで書いておいて何なのですが、全く何事にも挑戦してない人のが珍しいかもしれないですね。今日は苦手な人と一緒だけど、少し話してみようかな?やピーマン苦手だけど食べて見よう!でも挑戦ですし

という所で今回はこの辺で終わりにしたいと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございました。そんな優しい真面目な皆さんがより豊かになりますように☆ またね!(●´ω`●)

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