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自分軸で自分の心に正直に生きよう

◇自分軸とは何か?


人間が物事を思考する上で主軸となる位置、見る視点を自分軸と他人軸の2つに分けた2つの内の1つが自分軸となります。

『ちょっと何言ってるか分からない…』と、これだけでは理解に苦しむ方もいると思いますが、他のブロガーなどが良く説明する仕方としては

自分を軸に物事を考えるか?他人を軸に物事を考えるかの違いで、自分軸ならば他人の評価よりも自身の過去に比べた成長や本当にやりたいことを主軸に考えていることで

他人軸ならば、その逆で他人との比較で自分はどの位置にいるか?自分の能力よりも他人にどう思われるか?など、思考が自分以外への人間によって左右されてしまうのを他人軸と言います。

では今、他のブロガーが良く説明する仕方でお伝えしましたが、これを更に深堀すると、自分と他人軸の位置の関係だけでなく

軸を中心に色んな事柄が回って行く中で、その軸の安定性もその人の中で大きな影響を与えます。

自分軸で考えたいのに、軸が動いて他人軸に引っ張られてしまうと行ったことが人によってはあると思います。

これが自分の意志によって切り替えをしているならまだしも、自分の思う軸に定まっていないと何かをする上で、自分軸が正解だと思ってるのに他人軸が気になってしまう…

どちらが正しいのか?と疑念が出て来て正解に迷ってしまいます。

もちろん迷って試行錯誤することは素晴らしいことですが、何か確固たる自分の中の軸がないと、例えば学生の頃の親の願う自分像が国家公務員で

自分が自分に願う自分像が美容室の経営者だったら、他人軸と自分軸で物事の回し方(進め方、方法)も変わってきたりします。

軸がブレブレだと、どれも中途半端な目的も明確になっていない迷子状態に陥ってただただ時間を消費する可能性も出てきます。

こう言ったことが無いように、他人の思った道に進んで上手く行かなかった時や自分の過去のやりたかったことに悔いを残さないで

自己責任で己の考えを軸に失敗も成功も自分のせいだと思って後悔少なく生きて行く上で自分軸は大切だと私は考えます。




◇メンタルが弱りやすい人ほど他人軸で考えてる


他人の意見や動きに惑わされる=メンタルが安定しないと書くと、いささかステレオタイプ的に不快に感じる人も中にはいると思います。

しかし自己コントロール感のない事柄が身の回りで増えて行くと、メンタルは消耗して行きやすいのは事実としてあります。

実際にアメリカの老人ホームで1976年に行われた実験でも、介護士が部屋の家具などの配置から何から何まで全て決めてしまうのと

入居者に全て決めてもらう場合で、入居者の老人が決めた方が活動量と健康維持率、幸福度が高まったという実験結果もあります。

これはどのような事か?というと他人の考えで自分の周囲のことが決められてしまうと、楽なようでいて実は潜在的にストレスに感じてしまう場合もあり

自分でコントロールして行ける事柄が多いほど、主体性を持って前向きに活動して行きやすくなる。そこから活動量の増加し、メンタルの安定にもつながり健康維持に効果的だったという事です。

なので他人軸で考えてしまうと、自己努力では動かせない事態と動かしたいと思う対象が増加して、満足行く自己コントロール感を得るのが自分軸よりも難しかったります。

どのような事かというと、他人の価値観や捉え方、気持ちはこちらが努力した所で変えられない場合が多々あります。

もし、あなたがカブト虫が大好きだったとして、しかしあなたの彼女が虫が大嫌いでカブト虫も気持ちが悪いと感じていたら、その彼女をカブト虫好きにすることが当然難しく。かと言って彼女が虫が嫌いだから

将来一緒に暮らすことを見据えて他人軸で自分も大好きなカブト虫を好きな思いを押し潰す。

そうなれば彼女を虫好きにすることも出来ず。自分の気持ちと反してカブト虫を好きだと声を大にしていう事も出来ず

カブト虫愛をひた隠しにして過ごし続ける選択肢を余儀なくされるが為に

自己コントロール感が低くなるということで、自分軸で考えていれば

人によって好みはみんな違うし、公序良俗に触れてる訳でも、彼女の見てる前でカブト虫と戯れている訳ではないし

俺はこのままで良い!もし彼女と一緒に住むことになったら、カブト虫の為にしっかり稼いで、カブト虫専用の部屋を作ってやるぜ!と考えて幸せになれると思います(例えが合ってるか?微妙)

社会的地位や他人からの好感度の多さなど、承認欲求を自分の価値を上げる為の多くを占める要因だと考えていれば、幸せを感じるのは困難を極めます。

仮にめちゃくちゃ有能でその人が孫正義ばりに金持ちになったり、元メジャーリーグのイチローなったとしても、上には上がいて

戦争やTwitter買収で名前が度々出るイーロンマスクやボクシングのメイウェザーのように、更に世界的に有名で金持ちが世界にはゴロゴロいます。

このように他人軸で価値観を決めてると、自分が年収500万なら年収1000万円を羨ましく思い、あの人は自分よりもここが良い、自分はここが劣っている

と情報が増える毎に他人の良く見える所、キラキラした所が気になり、そして自分が他人の社会的地位などを意識してるが故に、自分も他人からどう見られているのだろう?と気になって

行動が全てが人との比較とどう思われるか?など他人に左右されてしまいます。

そうなって行くとどんなに頑張ってもひっくり返す事のできない差など自己コントロール出来ない部分を意識する機会が増え、幸福感を感じる事が少なくなる。

人の気持ちとその人の持って生まれた能力と環境、運は、自分もそうなりたい!と頑張った所で変えることが出来ないことが多いです。

そんな動かせないものを毎日考えるのはストレスですし、どう考えてるか?本当の所は正確に分からない人の目を気にし過ぎるのも精神衛生上よろしくありません。

しかし、それに気づかず他人軸でいる人は自ら天候の不安定な荒波の海を航海してるようなものです。自分軸なら海中で自分の進行方向に集中出来るというのに。


◆自分軸と他人軸のバランスが大事


自分軸がいかに大事が?を書いてきましたが、全て事細かに自分軸過ぎると上手くいかないことも世の中には多々あります。

例えば、出世を夢みてる会社員の請け負った業務の締め切りが一か月だったとして、それが1か月と10日かかってしまったけど、自分主導でやった期間の中では一番早いから良い!と自己記録を塗り替えたからOK!にしてしまうと

これが続くと飛ばされるか、自主退職を促されると思います。

お客さんを増やしたい美容師さんが、お客さんの好みよりも自分の美的価値観を基準にヘアスタイルを決めてしまったら。そのお客さんはもう二度と店に来ることはないでしょう。

新人のガールズバンドが日本のマーケット需要を無視して、名前が売れる前の、最初から自分たちのやりたい歌詞英語のゴリゴリのメロディックスピードメタルをやったら

メンバーが若くて可愛かったら一瞬話題にはなるかもしれませんが、恐らくバンドとしては全く売れなくて活動継続が難しくなるでしょう。

主となる目的があった時に、ある程度他人軸も必要となってくる場面もあるという事です。

ここで何が言いたいか?ですが、使い分けと自分の置かれた立場でのバランスも大切かなと考えます。

細かな部分。業務など相手の求めているものを他人軸に考えて、時に集団の中で他人と競争することも良いと多います。だだ細かな部分を包む、大きな所は自分軸で考える

要は、将来進みたい方向と自分の中での幸せの基準は自分軸。仕事や趣味など第三者の意見や受け取り方が重要な場面は、主観以外に客観性が必要なの。で、あえて他人軸も入れて行く

方法として必要な時は他人軸も使うということで、一概に他人軸がいけないと書くつもりは毛頭ありません。

かなり分かりづらいと思いますが、他人軸で考えた方が上手く行くこともあるということです。そしてそのバランスも人によって違う。



▢自分の心の声を抑え込まない


自分さえ我慢すれば上手く回る、みんなだってそうしてるんだ
とけっこう自分の心の声を抑え込んで生活して人も少なくないかと思います。

もちろん自分の我を常に通す、我がままだと他人とぶつかる場面も増えてしまいます。しかし度が過ぎて空気を読んでしまい過ぎてしまうことによって

自分の思ったことを言えなかったり、『自分はこうしたいんだ!』と意見を言えないが為に、自分軸でいたいと思っても周りに流されて行動してしまうことがあります。

それが結果的に上手く行って自分が満足出来れば良いのですが…そうじゃないことが多かったなら、多少輪を乱しても、嫌われても

自分の心の声に正直に、偽らず生きた方が良いと思います。

自分を嫌う人間は、遅かれ早かれ気に入らない所が垣間見えた時や露呈した時に自分を嫌います。それが遅いか?早いか?の違いだけで

相手に合わせて隠し続けてもボロが出れば結果は同じ、嫌われるです。

相手の考え、価値観を尊重し、最低限の礼儀を持って接した上で、自分の心に正直に行動して嫌われるようなら、単純に合わなかったということで

それは人間関係だけでなく、場所もそうです。職場やどこかお店に遊びに行くのでも、『あ、自分には合わないな』『なんか違う』と持続的に思ったなら

離れても誰もあなたを責める権利はありません。現世その人としての人生の選択、行動は自由で、その行動の最終的な責任を負うのも本人です。

いくら周囲が『あなたの為に言ってる』と言っても、人生最後までめんどう見てくれる訳ではありませんし。こちらが他人の言う通り動いて、遠い未来戻せない大きな後悔をしたとしても

相手は責任を持って何とかしてくれる訳ではありません。日本は子どもの頃に

人に迷惑をかけてはいけないと教えますが、インドではあなたも人に迷惑かけて生きてるのだから、他人の迷惑も許しなさい

と教えるそうです。

人に迷惑をかけないように注意を払って生きるのは素晴らしいことですが、自分が迷惑をかけてないという自負があるからと言って、他人の事情も汲み取らないで

『迷惑をかけるな!』と言うこと自体が迷惑だと思います。

何が言いたいか?というと人は大なり小なり様々なものに迷惑をかけて生きているのです。いやいや俺違うよ?と思っても

人間が文明的な生活をしている限り地球環境を悪くしている訳ですから、地球にとっては迷惑です。

そんな大げさでなくとも人は気を付けていても、自分の見えない所で大なり小なり他人にも迷惑をかけて生きている。だからこそ

今の自分にとって他人が迷惑な選択をしたとしても、その人なりの人生を豊かに、幸せに生きる為の選択ならお互いに尊重するべきです。

そうすれば、互いに自分の心のままに生きやすい世の中になる。

ただ今はそのように思う人は少ないかも知れませんが、自分は多少、人に迷惑をかけても、自分の人生なのだから、相手も相手の人生があるのだから

と、割り切って心の声に従って生きると後悔も少なくなるのかなと思います。



■人生、最後は自己満足


人間の最終的な結果は死です。

その最終的な結果が訪れる前に自分の人生に満足出来て、後悔が少なければどんな状態になっていても、その人にとって良い人生だったということです。

いくら社会的地位が高く、資産を多く持っていたとしても、これが欠如していると老後は面白くないと思います。

歳をとれば肉体の衰えと共に色欲、物欲、食欲あらゆる欲求が順番に確実に減って行きます。欲求が少なくなるということは

それらの欲求で自分を満たし続けることが難しくなります。

だから歳をとると、他人や家族とのコミュニケーションや過去の思い出を、残された時間が少ない分に若い時よりも大事に思うようになり、挑戦よりも心の平穏を欲する傾向が強くなると考えます。

そして、最終的に行きつく所の自己満足が感じられる部分は。社会的に結果を出したことよりも、自分の心のままに動いたこと、失敗、自分なりの成功を得たこと

その時大変でも、自分の選択から見ることの出来た世界たちの記憶なのではないか?と私は思います。

私の祖父や晩年の石原慎太郎などのインタビューを見聞きすると、自分のちょっと我がままを通したがゆえに大変だったことすら嬉しそうに話してる場面が印象に残っています。

すごく、生活苦でどうしようもない孤独で病気がちな老後ではない限り、成功者でなくとも、自分の歩いた道を思い出した時に

心のままに生きてきたことを良かったと思える場面が多いと、私の推測ですが、幸せだったと感じると考えております。

ただ最後に伝えたいのが、人生の正解を決めるのは自分なので、ここで書いてあることを全て鵜呑みにしないで、自分の満足行く行動をするのも正解だと思いますし

でも。仮に自分の生き方に不満があるようならば、ここで書いたことの数文字でも印象の残った部分を思い出し、自分なりの幸せに向かう原動力に

微々たる力でも加えて頂けたのなら、この記事を書いて本当に良かったと思えます。

ということで、今回も長くなってしまいましたがここで終わりにしたいと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

そんな優しい真面目な皆さんがより豊かに、幸せになりますように☆またね('ω')ノ



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