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本能寺の変1582 第60話 9光秀という男 5斎藤氏の盛衰 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

第60話 9光秀という男 5斎藤氏の盛衰 

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1400年代、前半。

 将軍は、4代義持・5代義量・6代義教・7代義勝の時代。
 土岐氏は、頼益―持益の代。

土岐氏は、求心力を失った。

 土岐氏は、一族の結束が強固だった。
 その多くが康行に与した。
 しかし、敗戦。
 桔梗一揆は、崩壊した。

 彼らは、新当主に反抗的だった。
 
 土岐氏は、大きく弱体化した。
 最早、かつての輝きはない。

土岐氏は、富島氏と斎藤氏を重用した。

 土岐氏は、外様を起用した。
 すなわち、一族以外の者たち。
 富島氏・斎藤氏、ともに、外様である。

 この様な状況の中から、斎藤氏が台頭していく。

富島氏と斎藤氏の権力闘争が始まった(美濃錯乱)。

 文安元年1444。
 斎藤氏が守護代富島氏を暗殺。
 守護代の座をめぐる争いが激化した。
 美濃は、錯乱状態に陥った。

1400年代、後半。

 将軍は、8代義政・9台義尚・10代義材・11代義澄の時代。
 土岐氏は、持益―成頼―政房の代。

斎藤氏は、急激に勢力を拡大した。

 斎藤氏は、富島氏を守護代の地位から引きずり落した。
 守護持益は、すでに取り込んでいる。
 となれば、斎藤氏の天下、・・・・・。

 しかし、富島氏も黙ってはいない。
 宝徳四年1450。
 守護代斎藤宗円を暗殺した。
 正に、血で血を洗う争いが繰り広げられた。

 斎藤氏は、嫡男利永がその跡を継いだ。

斎藤利永は、土岐持益の後継問題に介入した。

 康正元年1455。
 持益に、後継問題がおきた。
 利永は、成頼を擁立した。
 持益は、これを承諾。 
 成頼がその跡を継ぐ。 

土岐成頼は、利永の傀儡にすぎない(一色氏)。

 成頼(しげより)は、一色氏の出自という。
 饗庭氏・土岐氏の一族との説もあり、定かではない。
 何れにしても、西池田氏以外の人である。

 土岐氏の後継者は、斎藤氏によって決められた。

 土岐守護家は、次のように繋がっていく。

 ⑦持益―成頼―政房―頼武―頼芸 

斎藤利藤が利永の跡を継いだ(惣領家)。

 長禄四年1460。
 利永、没。
 嫡男利藤が後継する。

斎藤妙椿が利藤を後見した(持是院家)。

 妙椿は、斎藤宗円の子。
 利永の弟。
 利藤の叔父。
 出家して、仏門に入っていた(持是院)。
 兄の死により、利藤の後見人となる。
 斎藤氏の実権を握った。

1467年、応仁の乱が始まった。

 応仁元年。
 時の将軍は、第八代足利義政である。

時代は、戦国時代に突入した。

 美濃は、その渦中へ引き込まれた。

妙椿は、応仁の乱に参戦した。

 妙椿は、成頼とともに西軍(山名宗全)に属した。
 となれば、富島氏は東軍(細川勝元)となる。

妙椿は、富島氏を駆逐した。

 応仁二年1468。
 妙椿は、富島氏の本拠地垂井を攻撃。
 富島氏は、近江へ逃走。
 斎藤氏は、同氏を美濃から一掃した。
 長い戦いだった。
 美濃の錯乱は、ようやく、終わった。 

妙椿は、土岐氏を超える力を有していた。

 斎藤氏は、美濃を制覇した。
 その勢力は、土岐氏を凌ぎ、隣国へも影響を及ぼすほど強大なものに
 なった。

この頃が斎藤氏のピークだった。

 妙椿は、土岐成頼を意のままに動かした。
 斎藤氏は、守護家を越える存在に成り上がった。 

 文明十二年1480。
 妙椿、病没。
 美濃は、再び、不穏な情勢となる。



 ⇒ 次へつづく 第61話 9光秀という男 5斎藤氏の盛衰 






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