ちびっ子のエネルギー♾
小学校の運動場から見える、放課後に遊ぶ子どもたちの姿は、とてもエネルギーを感じる。楽しそうに走ったり遊んでいるだけで、見ているこちらまで伝わって来るほどのパワフルさが光っている。
全くの他人である通りすがりの私さえも、こんな気持ちにしてくれるのはなんてすごいことなんだろう。
過去に2年ほど教育現場で働き、数人のクラスをいくつか担当していた時期のことが思い出された。
『自分の生徒』といった枠組みになると、さらに輪をかけて子どもたちへ愛着を感じるんだよなぁと。
毎週一緒に過ごす一時間の授業をとおした空間で
たしかに成長していく様には、私が「教えた学習」なんかよりもこちらが活力をもらっていたし、何よりも本当に癒されていた。授業前と後で自分の気持ちや表情が入れ替わるのを、各曜日ごと何度も体感した。
週一、一時間会うだけの私ですら、こんなに愛を感じるなんて、そりゃ自分の子どもとなると歯止めが効かないくらいに愛したくなる気持ちが少し分かる気がする。生徒のお母さんに対して、「どうしてそんなに心配するのだろう」と思うような質問をされることがあったが、“愛ゆえに”どうしても気になってしまうのだろうという気持ちもやはり汲み取れた。「どうでもよくない存在」には心が動く。だから褒めるし、怒るし、感情が大きく動く。そしてあれこれと先回りして言いたくなるのだろう。
子どもに『なるべく良い将来』や『幸せ』を願うからこそ色々と教えたくなるし、沢山のことをこなせるようになって欲しいと望むのだ。
だが、この“愛ゆえに”は、一定の点を超えると「過保護」や「押しつけ」に成りかねない。愛とエゴは紙一重なのだと思う。
人生で何よりも貴重なのは、自分自身で体験して何かを見つけて、そして失敗をして何かを学ぶこと。そういった自分から『やってみる』を、たくさんする=自主的に『経験』をすることである。
これからを生きていく上で、自分の経験こそが全ての財産となるからだ。
何かに取り組み、心が動いた回数や時間が多ければ多いほど、豊かな経験を得られていると思う。感情が動いた大きさは、心だけでなく、体にも馴染んで『感覚』といった機能をも育ててくれるため、それは先々の『自信』となるのである。
『心と肉体』どちらもに経験は身についていく。
最前列でたくさんの子どもの成長過程を共に味わえたことは、とても貴重な経験になった。
🔽教育者時代の話“教えると教えられる”について
🔽『愛』とは?「エゴ」とは?を考える
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